13.



 地響きがして、地面が揺れる。それに加え、四方八方からの殺気。足元で黒い獣が倒れて塵へと化す。
(……まずいな……)
 ライゼスは焦りを感じ始めていた。
 死体が残らない獣は魔成生物――合成獣(キメラ)と呼ばれるものだ。強い魔力の歪から生み出されるそれは、近年二度ほど異常発生が報告されている。
 遺跡は今や土でできたただの洞窟になっていた。元々それを古代の力で歪め、仕掛けによって道が開くように作られていたのだろう。それがセラの秘めた力で起こされ、だがセラが遺跡を出たことによって再び眠り初めている。長く眠っていた遺跡が短時間でその力を乱されたことによって合成獣が発生していると思われた。
 しかしそれがわかったところで、その発生を止める手段がない。キメラが生まれるほど周囲の魔力が乱れているため、ライゼスは魔法を撃てないでいた。今や小さな明かりを作ることすら難しい。
 自分も剣を借りるべきだったとライゼスは悔やんだ。剣を持つと自我を失い暴走する性質があるため――だいぶコントロールできるようにはなっているものの――避けたのである。
 しかしそうした結果、戦闘を全てティルに任せることになってしまった。傷と失血を考えれば彼の限界は近い。いや、とっくに超えているはずだ。即ちいつ死んでもおかしくない状態なのだ。
 現に、一撃では仕留めきれなくなっている。足元に転がる獣の頭を踏み砕いて塵に帰すと、ライゼスはティルの腕をつかんだ。
「もういいです。刀を貸して下さい。僕が戦います」
「……やだね。大体それで暴走したら誰が止めんだよ……」
「貴方死にますよ!?」
 立っていられるのが不思議なくらいの状態で、こちらの手を振り払うだけの気力もないくせに、それでもティルは飛び掛かってきた獣に向けて刀を突き出した。腹に刃を突き立てられて、空中で塵が舞う。
「俺は、いーんだよ……。お前が帰らないと、セラが、泣く……だろ……」
「……ッ」
 尚も刀を振り上げようとするティルを力づくで止め、叫ぶ。
「この馬鹿!!! それはお前も同じだって何度言えば解る!!」
 ようやく、虚ろだった碧眼がこちらをとらえた。その口元が、ゆっくりと笑みを刻む。
「……お前もブレてるじゃねーか……」
「誰のせいだと! ……こんな苛々したのは初めてだ、クソ馬鹿!!」
 いつものような棘のある会話の応酬。ティルは満足気に短く息き出し、そしてそのまま意識を失った。
「ティル!!」
 咄嗟に腕を取るが、支えきれずにライゼスも地面に膝をついた。獣の唸り声に息を殺す。だがガランという音がしてライゼスはそちらに目を向けた。今にも消えそうな魔法の光を白銀の刃が弾く。考える暇もなく、ティルが落としたその刀に手を伸ばす。
「ぐ……っ」
 武器を手にしたことで頭にかかるノイズを振り払いながら、ライゼスはティルの刀で飛び掛かって来た獣を払った。そしてティルの腕を肩にかけて立ち上がり、引きずるようにしてなんとか前に進む。進むといっても道なりに歩いているだけで、進んでいるのか戻っているのか定かではない。この先に出口がある保証もない。
「でも、帰らないと……」
 どちらが欠けることもなく帰らないと、セラの屈託のない笑顔は見られない。それはライゼスにとって死より遥かに恐ろしいことだった。
 使い慣れない刀で、獣を殴りつけるようにして進む。明かりを維持する余裕もなく、暗闇で殺気に向けて刀を振り回しているような状態だ。致命傷はないものの、獣の爪がかすめて行きあちこちが痛む。疲労も限界で、呼吸も激しく乱れている。
 かすむ意識の中でそれでも進み、辿り着いたのは行き止まりだった。
「……」
 足から力が抜け、ティルの重さに引きずられてライゼスは地面に膝をついた。だが考えることはやめない。息を整え、思考をめぐらせる。
「……何か……あるはず……」
 地面を睨みつけたとき、どこからともなく声が聞こえた。

 ――汝、光の力を持つものよ。さらなる力を欲するか?

 それは酷く微かで、ライゼスは呼吸を止めた。荒い息にかき消されそうなくらいの声だが、確かに聞こえたのだ。

 ――汝、光の力を持つものよ。さらなる力を欲するか?

 獣の襲撃は止んでいた。暗闇に点のような光が浮かび、地面も壁も消える。

 ――力を欲するか?

 三度の問いかけに、ライゼスは引き結んだ唇をわずかに笑みの形にした。
「欲しいですよ。力……」
 刀を握る手に力を籠める。そして彼は顔を上げた。
「でも、僕の欲しい力を、貴方は持っていません」
 笑みを収めて、ライゼスは光を睨みつけた。

 ――我は、世界さえ手に入る力を持っているぞ――

 誘うような声に、ライゼスは気のない声で返す。
「世界なんて要りませんよ。金にも権力にも興味ありませんし」
 戸惑うように光は揺らめいた。

 ――ならば汝の望みは何だというのだ、人間よ――

「僕の、望みは……」
 力を振り絞って、ライゼスは立ち上がった。
「僕が望むのは……! このクソ馬鹿アホ変態偽姫が余計なことをして! 僕がそれを吹っ飛ばして! セラが呆れて笑ってる――そういう日常を守る力です! だから僕らをここから出せ!!!」
 ライゼスの叫び声が闇に吸い込まれ、揺らめいていた光が消える。

 ――我は、千五百年、待った……この力をどうすればよいのだ。

 力をこめて叫んだために、ライゼスは咳き込んだ。血の味がしてそれを吐き捨て、息を整えながら再びライゼスは声を上げる。
「貴方に終焉を齎す者を連れてきます。もう貴方のような力が残っていい時代ではありません」
 声は消え、闇が晴れる。その代わりに光が辺りを包んだ。

 ――

 ――呼ぶ者の方へ――

 残された声に、ライゼスは耳を澄ました。
 懐かしく、いつも傍にあった、その声の方へ。

 ■ □ ■ □ ■

「ラス、ティル!!」
 目を開けると、見慣れたアイスグリーンの瞳があった。
「セラ……」
 抱き着いてくる彼女の背を支えながら、辺りを見回す。ブレイズベルク城の王座。最初に遺跡に吸い込まれた場所だ。
 だが、悠長に確認している場合ではないことを思い出し、セラの後ろで泣いているリーゼアに、ライゼスは鋭く呼びかけた。
「リズ、すぐに医者をここへ! 一刻を争います、早く!」
「は、はい!」
 リーゼアも倒れたままのティルを見て、すぐに事態を把握したようだった。踵を返して走っていく彼女を見て、ライゼスは回復魔法を使うために印を切る。
 魔法だけではもうどうにもならない。縫合などの適切な治療が必要だったが、それを施すまでの時間を魔法で繋ぐこともまた必要だった。
「ラス、私は――」
「貴方はここにいて下さい。僕の魔力が増幅されますし、それに……」
 ちらりとティルに視線を走らせる。全く意識はなかったが、セラの名前で覚醒するくらいだ。本人がいた方がいいに決まっているだろう。
 セラは頷くと、両手を伸ばし、ライゼスとティル、それぞれの手を握りしめた。
「悪かった……私の我儘で、こんなことに……」
「いいんですよ。セラはそれで」
 小さくティルが声を漏らし、一度言葉を切る。その意識が戻っていないのを確認して、ライゼスは言葉を継いだ。
「ここで、僕らの傍で、気が済むまで我儘を言っていて下さい。僕らにはそういう貴方が必要なんですよ」
 涙の溜まった瞳で、セラは微笑んだ。
 今は反省しても、ティルが回復して、またいつものような日常が帰ってくれば、セラは今日の言葉を逆手に取ってまた暴れまわるのだろう。ティルはそんなセラを咎めずに後先考えずついていくだろう。そのとき、ライゼスは今の言葉を言わなければよかったと後悔するのだろう。
「願わくは――」
 そんな日常が早く帰ってくるといいですね。
 ライゼスはその呟きを胸の中だけに落とした。