九人の王子 2


「船が出せない?」
 予想していなかった言葉に、セラは眉根を寄せた。
「ああ。朝一番の便が賊にやられてね……混乱が収まるまでしばらく休航だ」
 今しがた自分が言った言葉をおうむ返しにされ、船員は陰鬱にそう告げた。  早朝は人がまばらで、人目に付きやすい。そのため朝一の便に乗船するのを避けた セラ達だったが、それが裏目に出ることとなった。
「リルドシアさえ出てしまえば、こちらに分があったのですが……こんなことなら危 険を冒してでも朝一便に乗るべきでしたかね」
「ま、乗らないと向こうも踏んでたんだろうぜ。どの道朝一便に乗ったら、賊に殺られるシナリオだ」
 それもそうですね、と答えるライゼスの傍らで、「乗っていれば賊など蹴散らした」とセラが悔し気に呟く。しかし、過ぎたことをどうこう言っても始まらない。
 船が出ないということで、港は騒然となった。予定を狂わされ、あちこちで怒声が飛び交い始める。もう少し詳しく話を聞きたかったが、どの船員達も客に事情を説明するのに大わらわだ。はぐれてしまいそうなくらい人は増えていたし、どの道これ以上の情報は聞けそうになかった。
「このまま人に紛れて、どこかに潜伏するしかないですね……」
「めんどくさいことになったな。だから早めに手を引けって言ったのに」
「くどいぞ、ティル。その話は終わったはずだ。君になんと言われようが、私は最後まで君を守る」
 真剣な目で詰め寄られて、ティルは思わず息を呑んだ。が。
「いや、逆だし、逆! 俺は逆のシチュエーションを所望する!」
「バカなこと言ってないでさっさと移動しますよ。この人でははぐれてしまいます」
 頭を抱えて叫ぶティルを後目に、ライゼスが踵を返す。憮然としていたティルだが、いいことを思いついたかのように、突然コロッと表情を変えた。
「そうだ、セラちゃん。はぐれないように手を繋ごうか」
「え」
 セラの手を握ろうとするティルの手を、ライゼスが素早くはたき落とす。
「どさくさに紛れて触ろうとしないでくれます?」
「そういうことはやめてくれ」
 ティルがライゼスを睨みながら叩かれた手をさすっていると、セラがライゼスに便乗する声をあげた。やや驚いて顔を上げるティルに、至って真剣にセラが告げる。
「手を繋がなくても、はぐれたりしない。子供扱いするな」
 手の痛みも忘れて、ティルはぽかん、と口を開けた。セラを子供扱いしたつもりなど全くなかった。しばらく呆けていたティルだが、やがて我に返ると、うーんと頭を掻いた。
「セラちゃんて、もしかしてニブい?」
 思わず天敵であるライゼスに聞いてしまうティルだった。
 答えてやる義理はないと無視を決め込もうとしたライゼスだが、それでセラにまとわりつくのをやめてもらえればと、一縷の望みをかけて答える。
「見た通りです」
「……そか」
 ふぅ、とティルが息を吐く。が、気落ちして見えたのは一瞬のことで、彼がうなだれた頭を上げる頃には、その目はらんらんと輝いていた。
「まあ、でもそんなところが可愛いよな。よーし、燃えてきた! 絶対口説き落として見せる!」
 闘志を燃やし始めたティルを、ライゼスはげんなりした表情で見た。立ち直りが早いのは結構だが、ライゼスにしてみれば迷惑以外の何ものでもない。今しがたティルに鈍いと言わしめた通り、セラは男に対する警戒心というものがない。そこが、ライゼスには不安で仕方がないのだ。これからこの一件が片付くまで、ティルがセラにちょっかいをかける度に目を光らせねばいけないのである。
 ライゼスは、胃が痛くなってきた。ひたすらに長いため息をつきたい気分だったが、早速セラの方へ寄っていくティルを見て、そんな暇がないことを知る。
「もう、貴方は、セラの半径三メートル以外には近づかないで下さい!!」
 ティルの腕を掴んで低く叫べば、
「うるせーな。ボーヤはとっととはぐれちまえよ」
 心底うっとうしそうに言い返され、乱暴に腕を振り払われる。そんな二人の対立を止めたのは、だが今度はセラではなかった。
 怒声がどよめきに変わり、馬のいななきが鋭く会話を割る。
「軍が来た!」
 どよめきに混じる誰かの叫びに、ティルがそちらを振り仰ぐ。蒼天の瞳に、黒い馬と、それに乗った長身の男が写し取られる。
「……ラディアス」
 呟くと、ティルはフードを目深に被りなおした。ティルが呟いた名に、セラとライゼスの表情にも緊張が走る。数十名の騎士の姿が見て取れたが、馬に乗っているのは一人だけで、他は徒歩でその後ろに続いている。それだけでセラとライゼスにも予測はついたが、ティルの言葉がそれを裏付けた。

 リルドシア騎士団長にして第四王子、ラディアス。
 黒馬に跨り、短く切り揃えられた髪も黒、細く鋭い瞳の色も黒、そして、他の騎士達は緑色の軍服を着ているのに、彼の軍服はこれもまた黒だった。
 目深に被ったフードの向こうから、突き刺さるような視線を感じて、ティルが小さく舌打ちする。
(ちっ、気付いてやがる……)
 フードで顔を覆っているのに、ティルにはこちらを牽制してくる黒の双眸が見える気がした。
「静まれ! 私はリルドシア騎士団長、ラディアスだ。港は今より無期限で封鎖する!」
 喧騒の中にあってもよく通る声に、とたんに辺りは水を打ったようにシンとなる。そして今度は波紋のように、戸惑いを多分に含んだ囁きが広がった。
「これは民及び旅人である諸君の安全を最優先に考えた、王国の決定である! 速やかに港より退避せよ!!」
 その囁きすら許さぬように、ラディアスが続ける。それを合図にしたかのように、後ろに控えていた騎士達が一斉に進み出て、乗客野次馬を港から出すべく誘導を始める。それを確認して、ラディアスは馬を降りた。そしてそれを傍に控える騎士に預けると、独り歩き出した。
「あの人、こっちに向かってませんか?」
 ライゼスが低く問うと、セラも頷いた。
「ティル、早いとこ退こう」
「無駄だ。俺に気付いてる」
 鋭く言いながら、ティルは横目でライゼスを見た。
「ボーヤは離れてな。事情をでっちあげるのが面倒だ」
「……わかりました」
 ライゼスが素直に頷く。本音を言えば、ティルとセラを二人にするのは心配だったが、本来表にいるべきではない身だ。これ以上、リルドシア王家にその存在――ひいてはセラの正体を悟られることは、ライゼス自身が一番懸念していることであるし、この場はそんなことを言っている場合でないこともよくわかっていた。
「セラに何かあったら、許しませんよ」
 わかっていても、言わずにはいられないライゼスだった。
 港を出る人の波に姿を消したライゼスに、ティルが苦笑を投げかける。
「過保護な程案じてくれる人がいるってのは、有難いことだが。過保護にされる方の苦痛も解って貰いたいもんだな。ね、セラちゃん?」
 苦味を多分に含んだ声に気付き、セラは何かを言いかけて口を開いた。だが、やめる。気配が、近くまで迫っている。その気配が含む強大な重圧に、ティルが戦うなというのも道理だと、セラは内心で納得していた。知らず頬を冷や汗が伝う。遠くから見るだけで、その力量を測るのは容易だった。身のこなしひとつ見ても、どこにも隙はない。
 剣士としての勘が、強い警告を伝えてくる。――戦うな、と。