コツコツと扉を叩く音に、アルフェスは重い頭を上げた。しばらく眠れていないのだが、仮眠を取るように言われてもまるで眠れやしなかった。だがろくに眠れていないのは、おそらくミルディンやヒューバートも同じなのだろう。その二人もいまこの執務室にいるが、ミルディンは青ざめているしヒューバートは絶えず貧乏ゆすりをしている。
ともあれ、アルフェスがノックの音に応えると、すぐに扉が開き、赤い軍服の美女が姿を現した。
「失礼します、陛下」
「ラルフィリエルか。待ったぞ。それで」
「二週間程前、リュナがレアノルトのギルドで依頼を受けています。依頼の内容は資産家の護衛。しかしもうそちらにセリエラ様はいらっしゃいませんでした。その先の足取りは掴めていません」
ラルフィリエルの言葉に、ヒューバートが怪訝な顔でラルフィリエルの方を向いた。
「資産家の護衛だって? じゃあリュナ嬢の手伝いをすると言っていたのは、その護衛だったってことか?」
問いかけに、ラルフィリエルもヒューバートの方へ目を向ける。そして、沈鬱な表情で頭を横に振った。
「いや、もともとリュナが受けていたのはラーサの野盗退治のようだ。その依頼を終えてから、また新しく依頼を受けている」
ますます一同は訝って眉をひそめた。
「てーことは、姫は賞金稼ぎの真似ごとが面白くなって、もっとやってみたくなったとか?」
「いくらセラが鉄砲玉だからといって、そんな理由だけでこんな心配をかけるほど馬鹿じゃない。それにライゼスがついている。理由があって帰還が遅れるなら書簡くらいよこすはずだ」
今度はアルフェスがヒューバートの言葉を否定する。じゃあなんなんだよと頭を掻きむしるヒューバートの向かいで、ミルディンは青ざめながら膝で重ねた手をぎゅっと握りしめた。
「やっぱり、何かあったのね……」
震えながら呟くミルディンの肩をアルフェスが抱いたとき、またノックが部屋に響いた。今度は返事を待たずにドアは開いた。
「あー、エレン……またなんか怪しいことになってきたよー」
来室者の方を見もせずにヒューバートはその名を言い当てた。たいしたことではない。王の執務室に、そんなぞんざいな入り方をするのは一人しかいないからだ――自分以外には。まだ頭を掻きむしり続けながらヒューバートが呻くと、来室者はそれを一瞥し、抱えていた書束をその顔面に叩きつけて黙らせた。アルフェスとラルフィリエルがそれを見て見ぬ振りをする中、エレン――元親衛隊長にしてライゼスの母、エレフォ・レゼクトラはまっすぐにミルディンへと近づいた。
「妃殿下、少しお休みください。お顔の色が優れません」
「でも、エレン……」
不安を隠せず、か細い声を上げるミルディンを、安心させるようにエレフォは微笑んだ。その笑みを彼女が見せるのは、幼い頃から仕えているこのミルディンに対してだけで、それは今も変わっていない。
「姫様なら大丈夫です。姫様はお強い。それに、愚息がついています」
震えるミルディンの手を、エレフォが優しく包み込む。
「ライゼスは、必ず姫様を守り抜くでしょう。アルフェスが貴女を守り通したように、必ず」
包み込んだミルディンの小さな手の、その震えが止まった。少しやつれた顔で、ようやくミルディンも小さく微笑んだ。
「……うん……」
それを見て、エレフォはもう一度だけ微笑み、そしてすぐにそれを綺麗に消し去った。
「ラルフィリエル、妃殿下を部屋にお連れしろ」
「はい」
いつもの鉄面皮に戻って淡々と指示を出すエレフォに、ラルフィリエルは短く返事をするとミルディンを伴って部屋を出た。それと入れ違いに、今度は違う兵士が姿を現す。
「失礼します、陛下。書簡が届いております」
「ラスか?」
「いえ」
僅かな期待を抱いてアルフェスが問うが、兵士が首を横に振って思わず落胆する。だが兵士が口にしたのは意外な名前に、彼は再び顔を上げた。いや彼だけではない。その場にいた誰もが驚きを顔に浮かべた。
「なんだって?」
思わず聞き返したアルフェスに、兵士が差し出し人を反芻するその途中で、彼は慌てて書簡を受け取った。