七夕編
(※エドワード視点 2011年7月掲載)
「うっわー、すげー星!」
夜も更け、そろそろ休もうかという時刻になってから上がったそんな声に、私も窓の外を見上げた。
確かに満天の星空だったが、騒ぐほど珍しいとも思えない。むしろ、そんなことで無邪気に騒ぐ咲良の方が私にとっては余程物珍しい。そういうわけで、早々に観察対象を星から咲良の方へと移すと、それに気付いたのか彼は怪訝な顔をして私を見返してきた。
「な、何?」
そこで何故身構えるのかわからない。……いや、最近少しからかいすぎなのかもしれないな。そんな考えを肯定するように、ふっと私が口元を緩めると彼は尚更うろたえた。まあ、そういう反応が素直で期待を裏切らないから、私もつい遊びたくなってしまう。これで幼い頃、何度ライを泣くまで苛めたかとふと懐かしくなる。
だがさすがに身内でもない咲良で遊びすぎるのも申し訳ないので、ほどほどに切り上げておくことにする。
「いや。まあ、確かにここ数日は曇っていたが……、咲良に会った夜もこんな感じだったぞ」
「あのときは星が綺麗なんて考えてる余裕なかったよ」
あの夜のことは、鮮烈に記憶に焼き付いている。
気持ち悪いほど月が大きく、星がせわしなく瞬く、静かだが眩しい闇だった。何もなくとも印象に残る夜だったのだけれど。
苦笑する彼を改めてまじまじと見る。
この客人は、違う世界から来たなどと、突拍子もないことを言っている。それが本当なら、確かに星など楽しんでいる場合ではなかっただろうけれども。
にわかには信じ難い話ではあるのだが、嘘だと一笑に付してしまうには、彼はあまりに純だった。
嘘のうまい者などいくらでもいる。虫も殺せないような顔をして残虐非道な者も、聖人のように振る舞いながら影の顔を持つ者も、存在することを私は知っている。そんな一瞬たりとも隙を見せられないような人の中で、私はハーシェン家の人間として生きてきた。だからこそ解るのは、咲良はそういう人間が持つ空気とも違うものを纏っているということだ。
私は今更どんな善人も聖人も信用しない。奴らの持つ温もりなど結局はまやかしだ。だが、咲良の傍はまるで陽だまりのように優しい温かさがある。それがまやかしならそれでも良いと思える程。
そんな感覚を覚える度に、彼はこの世の者ではないという気がする。だから、異世界から来たという言葉が、おかしなほどしっくりと来る。
「まー、電気とかネオンとかないもんな。ビルもないし。日本じゃいまどき七夕でもこんなに綺麗には見えないなー」
それから、たまに彼の口から出てくる意味のわからない言葉もまた、彼を浮かせる要素の一つだ。
「……デンキ? タナバタ……? 何を言っているのかさっぱりわからないのだが」
「あ、ごめん。七夕っていうのは俺の国の伝統行事で……」
戦ばかりの身とはいえ、近隣諸国の地歴や文化くらいは頭に入っている。それでも聞き覚えがないのは、まあ異世界であれば当然のことか。
「どんな?」
「短冊に願い事を書いて笹に吊るすんだよ。そしたら願いが叶うって言われてる」
「……済まん、何を言っているのかさっぱり解らないんだが……」
聞いたことのない言葉を連発されてはさすがに理解の仕様がない。私にはそのササやタンザクとやらが、食べ物なのか人なのかすらわからない。
私がそう言うと、咲良は困ったように唸るばかりになってしまった。説明や話すことが得意そうではないし、諦めて声をかける。
「あ、いやいいんだ。少し興味があっただけだから。理解できず済まない」
だが詫びると、咲良はこちらを向いたあとまた視線を落とし、益々考えこんでしまった。気が良いから、恐らく説明下手なのを気に病んだのだろう。余計なことを言ってしまったと反省していると、ふと咲良が顔を上げる。
「こっちの世界の人はさ、星に願うとか祈るとかしないの?」
今度は理解できる言葉だった。……だけど。
「星に……は、聞いたことがないが。いや、私が知らぬだけかもしれん。願うことや、祈ることも止めて久しい」
ついそんな風に答えてしまって、また後悔する。
赤い瞳が、なんの曇りもない目が、ただ心配そうに私を見上げてくる。……そんな風に咲良が純粋だから、私もつい気を抜いてしまって、余計な言葉ばかり零れてしまう。心配をかけたいわけではないのに。
「あ、済まな……」
「なんで謝るんだよ。エドワードってちょっと謝りすぎ」
そう切りこまれて頬を掻く。私はどちらかと言えば素直に自分の非を認める性質ではないので、そんなことを言われて少し驚く。だがこれまでの自分の言動を振り返ってみると、確かに彼には謝ってばかりだったかもしれない。
何故だろうと考えてみるが、咲良がさらに言葉を続けて中断される。
「……エドワードの願い事って何? 止めたっつっても、あるだろ、願い事くらい」
真っ直ぐな瞳が痛い。
そんなもの、ないと言っては嘘だ。だけど考えれば戦えなくなる。
そんな私の気持ちなど知らず切り込んでくる言葉は、だけど、痛いのに心地悪くはなかった。
むしろ、心地よかった。
彼の言葉はいつもそうだ。傷に触れても、抉るのではなく撫でるような。痛くても癒される。悲しいのに笑える。
「願い、か。そうだな……、では、君が元の世界に戻れるように」
笑いかけると、だが咲良は不満そうに顔を歪める。
「それはあんたの願いじゃないじゃないか。それに…………、」
噛みついてくる言葉は途中で消えた。それは待っても紡がれず、結局紡がれたのは多分違う言葉。
「そうじゃなくて、俺のことじゃなくあんたの願いを聞いてるんだよ」
少し照れたような、ぶっきらぼうな口調が可愛い。それを言えば怒るのだろうけれど。
そんな咲良を見ていて、ふと気が付いた。
謝ってばかりの自分が何を恐れているのか。そして、自分の願いが何なのか。だけど。
「……言ったら、叶えてくれるか?」
「え!? い、いやその……えーと、俺に出来ることなら、まあ」
きっと、君にしかできないことだと、その言葉も願いと一緒に飲み込んで、踵を返す。
「――秘密だ」
「なんだよそれ?」
背中に、やっぱり不満気な声が聞こえて、肩越しに振りかえる。じっと見つめるだけで、不満気な表情は解ける。一人で寝室に向かうつもりだったのに、慌てたように視線を外す彼を見て、ついもう一度振り返って髪を撫でてしまった。
「……俺、身長伸びるように願っとこ」
そんな独り言が聞こえて、私は笑った。そして、同時にほっとしていた。
私のこんな行動を、咲良は子ども扱いしていると言って嫌がる。だけど本当の所を言えば、子供は私の方だ。
こうすることで安らぎを求め、甘えているのは私の方だから。なのに、こんなに沢山の感情を思い出させてもらっても、私は咲良が元の世界に帰る方法など見つからないことを願っている。咲良が帰りたいと願わなかったことに、こんなにもほっとしている。
そんなこと、どうして言える筈があるだろう。
でももし、そんな私の弱さと汚さを知ったら、優しい咲良は帰らずいてくれるだろうか。
もし私が願うなら、祈るなら、空に瞬く星ではなく、私の暗闇を照らしてくれた君にでありたい。
だけどそんな思いはやっぱり怖くて声にできずに、私はおやすみとだけ口にした。