この世界――というか、この国に四季があるのかどうかは知らないけれど。日本の真冬くらいには、ヴァルグランドは寒かった。
「ここって、寒いよね……。いつもこうなの?」
 俺の何気ない問いに、エドワードがこちらを向く。
「まあ、近頃は少し冷え込むが。大体いつもこんなものだ」
 そうなのか……。夏が好きな俺としては、それは遺憾だ。いや、四季があったとして季節が変わるくらいまでこの世界に滞在する気はないけれど。でも俺にその気がなくても帰れる保証はどこにもなく、そして待っていても暖かくなることはないらしい。
 寒いのはあんまり好きじゃない。そんな俺にとってみたら、エアコンもストーブも、こたつさえもないこの世界はやっぱり厳しい。防寒具が毛布一枚というのはなんとも心許ない。
「寒いのか?」
「少しね。ストーブとかあったら嬉しいんだけど」
「すとーぶ?」
「うん、ないよね、わかってた」
 妙なアクセントで返してくるエドワードに――この世界にないものを口にすると、彼女は大抵そうやって反芻してくる――、俺は少々肩を落とした。ストーブは無理でも暖炉くらいないものか。が、この部屋に火を焚くような設備がないのは、見ればわかることである。まあここは娯楽施設でも民家でもないし、命に関わるとか凌げないほど寒いわけじゃないからそれも仕方ないんだろう。ストーブやら充実した暖房設備に囲まれた、現代っ子の俺がひ弱なだけで。
「この砦は大きい方だが、所詮は攻防用の砦だからな……、確かに過ごしやすくはない。不便をかけて済まん」
「いいよ、我慢できないほどじゃないし」
 すまなそうな顔をしたエドワードに、俺は慌てて両手を振った。それは大体わかってたし、エドワードに謝られるようなことじゃない。大体、彼女が平然としているのに、俺が寒いとか言ってちゃ駄目だろ。
「なんなら、今晩も一緒に寝るか?」
「いや、いいです!」
 そんな申し出に、俺は振っていた手の勢いをさらに強めて悲鳴のように叫ぶ。からかわれてるのだとは思ったけれど、俺も単純なのでいちいち動揺してしまう。案の定くすくすと笑われて、俺は赤面しながら憮然とした。このところ、エドワードは俺をからかって遊ぶのを楽しんでいる気がする。たったひとつ年上なだけで、ずいぶんと俺を年下扱いしてくるし。
「いや済まん。可愛いからついつい」
「……それ、フォローになってると思ってる?」
「そう怒るな。……寒いなら暖を取る方法はあるぞ」
 俺が怒っても彼女は全く困ってはくれないのだが……むしろ益々楽しそうなところが気になるが、一応は詫びると、彼女はそう言って立ち上がった。そして、部屋の隅から瓶を一本手に取って戻ってくる。まさか、それって……
「呑めば温まる」
「いやいや。俺未成年だし」
 やっぱり酒か。だがそんな俺の声に、エドワードは首を傾げた。
「確か咲良は、十六と言っていなかったか?」
「う、うん……」
「ヴァルグランドでは十五で成人だ。それに、酒で暖を取るのに歳は関係ないだろう」
 そんなものか……、そりゃ日本の常識で話しても仕方ないけど。でも酒はなあ……。一度父ちゃんに呑まされたことあるけど、一口でくらくらして倒れるかと思った。おまけに次の日死ぬほど気持ち悪くて学校も行けなかったし。以来、さすがの父ちゃんも俺に呑ますことはなくなった。
「でもやっぱり酒はやめとくよ……。俺、弱いんだ」
「だが、寒いのだろう?」
 断る俺にお構いなく、エドワードはカップに酒をついで、自分でその中身をあおる。そう小さなカップではないのに彼女はそれを一気に干し、しかも顔色ひとつ変えず平然としている。
「そう強い酒ではない。いくら弱くとも一杯くらいでは酔わぬ」
「う……」
「それとも、やはり一緒に寝るか?」
「いただきます」
 何かうまいこと手玉に取られている気がするんだけれども。顔を近づけられてそんなことを言われ、俺は思わず彼女からカップを受け取ってしまった。半分ほどしかつがれていないけど、匂いだけで頭が痺れる。本当に軽いのかと一抹の疑問が頭を過ぎったが、目の前で一気飲みした彼女が平然としているのだ。ここで呑まなきゃ男が廃る。
 ……というわけで、俺は覚悟を決めるとカップの中の液体を一気に胃に流し込んだ。間髪いれず、焼けるような熱さが俺の喉と胃を襲う。こ、これ絶対軽くない!
「な、大したことないだろう。温かくなったか?」
 笑うエドワードの姿がぐにゃりと歪む。なんで彼女は何ともないんだ。ああ……俺は本当に何一つ彼女に勝てない。
 それがなんだか無償に悔しくて、俺は力が抜けそうになる足を踏ん張った。
 汗が滲むほど体が熱くて、上着を脱ぎ捨てながら、彼女の方に歩き出す。
「さく――」
 何か言いかけた――多分、俺を呼ぼうとした彼女の声が途中で途切れたのは、俺が突然掴みかかったからだろう。ついでに、小打ち刈りの要領で足をかけると、余程呆気に取られていたんだろう、あっさりと彼女はバランスを崩して、俺の狙い通り後ろにあったソファに背中から倒れる。
「……まださむいから、」
 すかさず被さるように押さえつけると、俺はろれつが回ってない舌を動かし、大ウソをついた。
「あっためて」
 途端、酒を一気にあおってもまるで変わらなかったエドワードの顔が、耳まで真っ赤になる。
 ――勝った。今度こそ勝った。
 心地よい勝利の余韻に浸った瞬間、俺の意識は暗転した。

■ □ ■ □ ■

 目覚めたら、ものすごく頭が痛かった。
 これは、父ちゃんに酒を飲まされたときと同じ――間違いなく二日酔いだ。
 酷い頭痛と吐き気に襲われながら、何があったのか必死に思い出そうとするのだが、どうにも呑みほした直後からの記憶がない。
 どう頑張ってもまるで思い出せないのでエドワードに聞いたら何故か無視された。たったカップに半分の酒で倒れたりして、さすがに呆れられたのかもしれない……。

 しかし不思議なことに、エドワードが俺をからかって遊ぶことは、この日を境に激減したのであった。



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