俺がこのヴァルグランド軍の砦に滞在するようになって、幾日か経つ。
 エドワードは、噂はすぐに消えると言っていた。確かに人の噂も七十五日と言う。だが残念ながら、まだ七十五日も経ってない。七十五日は結構長い。消えるまで俺はどこにいればいいのかというと、居場所はなくて。
 なんだかんだ、俺はずっとエドワードの部屋にいる羽目になっている。いや、勿論嫌というわけではない。ないのだが。
「咲良、いつまでそんな所で夜明かしするつもりだ? 奥を使っていいと言っているのに」
 今夜も部屋の隅で毛布を抱えてうずくまる俺を見下ろし、エドワードが呆れたような声を落とす。けど呆れてしまうのは俺の方だ。彼女はよく、こんな得体の知れない男と同じ部屋で眠る気になるよ。警戒心が薄いのは強さを伴っているからだろうけど、これじゃ気を遣ってる自分が馬鹿みたいである。
「エドワードこそ、いつまでソファで寝る気だよ? 俺はここでいいんだよっ」
 エドワードは俺が頑固だと言いたいんだろうが、俺に言わせれば頑固なのは彼女の方だ。そもそもここは彼女の部屋なんだから、その持ち主であるエドワードがベッドを空けなければならない理由などどこにもないのである。ましてや、彼女は女で、俺は男だ。……いくら見た目が逆であろうとも。
「女の子ソファで寝かせて、俺がベッド使えるわけないじゃないか!」
 そんな俺の主張に、エドワードは片手を腰に当て、少し複雑な顔をした。
「私はもう随分前に女を捨てた。今更そんな気を遣って貰わなくて結構だ」
「そんなこと言われても、俺の気が済まないの」
「年下なんだから、素直に甘えたらいいのに」
 まるで駄々っ子を相手にしているかのように、はあ、とエドワードが疲れたため息を吐く。ひとつしか違わないのに、そんなあからさまな年下扱いは心外なのだが、それを怒れるような立場にもない。行き場所のない苛立ちと共に俺は立ち上がると、エドワードの手を掴んで奥の部屋へと引っ張った。
「咲良?」
「いいから、エドワードは、ちゃんとベッドで寝てくれよ!」
 そして、無理やり彼女を奥の部屋へと押し込み扉を閉めようとしたのだが、今度はエドワードが俺の手を掴んでそれを止めた。
「……今宵は冷える」
 そんなことは、俺だって一緒な気温を体感してるわけだし解ってる。毛布を被っても肌が冷気を感じるほどだから、寒さに強いとか弱いとかの問題じゃなく今夜は寒かった。だからこそエドワードも俺に声をかけたんだろうが、俺が引けない理由だって同じだ。
「……だから、ソファで寝るのはやめろって」
 こうなると意地の張り合いである。しばし俺たちは睨みあっていたけれど。
 先に目を逸らしたのは、エドワードの方だった。勝った、と俺はよくわからない勝利の余韻に浸っていたのだが、それには少し早計だった。
「わかった。それなら、一緒にベッドで寝よう」
 とんでもないエドワードの一言に、俺の思考とか動きとか、色んなものが停止する。そんな俺の手を軽く引いて、彼女はこちらへと視線を戻し。
「そうしたらきっと温かい」
 顔を近づけて、俺の鼻先に囁きかける。
「え……えええ!? えっとあああの、ええええ、うえ、あ、おおおおッ!!」
 何を言おうとしても意味のない呻きにしかならず、完全に余裕を失った俺は必死でエドワードの手をふりほどくと、無我夢中で扉を閉めた。それだけの行為が100メートル全力疾走よりも疲れて、ずるずると座り込んでぜーはーと荒い呼吸を繰り返す。だがようやくそれがおさまると、扉の向こうでエドワードがくすくすと笑う声が聞こえてくる。
 ……遊ばれた。そこでやっと気付く。
「エドワード……」
「言うことを聞かないからだ」
 うずくまりながら、恨みがましい俺の声は扉の向こうの彼女にも届いたらしい。してやったりという声が、扉を通して返ってきた。
「……風邪を引くなよ、咲良」
 笑い声はしばらく続いていたけれど、やがてそれは穏やかで優しい声へと変わる。そんな声を出されちゃ怒れもしない。結局、苛立ちもしてやられた悔しさも、それで全部溶けてしまうんだから彼女には勝てない。おやすみと呟いて、俺は毛布を手繰り寄せる。

 ……今日は隅っこの指定席ではなく、ここで眠ろう。



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