第六話 生く者の葬儀



 ――すまない、エル。

 それが、最後の言葉だった。

 安定していた戦況は、フレンシアにリディアーヌという少女が現れたことで一転した。王都を目の前にして、快進撃を続けていたヴァルグランド軍が、弱冠十六歳の少女が率いた兵を相手に大敗を喫したのである。それを境に、状況は一気に逆転した。
 奪った領土は次々に取り戻され、今度はヴァルグランドが侵略される側に回ると、国王エドワード七世は自らが出陣した。そして激しい攻防の末、ついにリディアーヌは捕えられる。救世主としてフレンシアの民に希望を与えた聖少女は、異端裁判にて火刑に処され、壮絶な最期を遂げた。その事実はフレンシアに絶望をもたらし、同時にヴァルグランドへの憎しみも募らせた。
 一方ヴァルグランドも、リディアーヌとの戦いにこそ勝利したものの、その代償は大きかった。いくつもの砦がリディアーヌによって落とされ、国王は重傷を負って王都へと撤退。なにより目の前であった勝利が消え去ったことに、ヴァルグランドの民は大いに疲弊していた。
 その結果、ヴァルグランドの誰もがハーシェン家長子エドワードの出陣に期待を寄せた。
 歳は若いが、エドワードは軍人として優秀であった。戦の天才と言われた父の剣才とカリスマを余すことなく受け継いだ彼は、怪我によって一線を退いた父に代わり、出陣の準備を進めていた。彼ならこの状況を打開できるとヴァルグランドの民全てが信じた。
 しかしそれを嘲笑うかのように、フレンシア王国ノイシス地方で再びリディアーヌを名乗る少女が現れたのである。そしてまた彼女によって、拮抗していた戦況はフレンシアの優位に転がる。フレンシアでは、復活したリディアーヌを誰もが神聖視し、讃え、そして希望を見た。
 そんな折の、ヴァルグランドの劣勢に追い打ちをかけるようなエドワードの病死だった。
 このことが公に出れば、ただでさえ疲弊している兵や民は再起できなくなる。そう判断した国王の命により、エドワードの危篤は、ごく限られた腹心と身内にのみ告げられた。そして父と兄弟達が見守る中、静かにエドワードは息を引き取ったのである。

「葬儀は略式で執り行う。戦況は逼迫している、すぐに準備をしておけ」
 その死を確認するや否や、国王は短い言葉を残して踵を返した。その言葉が誰に向けられていて、何を意味するるのか、エレオノーラには解っていた。しかし声が出なかった。
「――あなたと言う人は!」
 ようやく絞り出した掠れた返事は、だがライオネルの激昂に掻き消される。
「息子が死んだというのに戦のことですか! あなたにとっては、僕たちも駒と同じなんだ!」
 悪意に満ちたライオネルの叫びに、父王は足を止めた。
「そうだ」
「……ッ」
 一分の迷いもなく返ってきた冷たい返事に、ライオネルが拳を振りかぶる。だが、父を打ち据えるはずのその拳は、彼が振りむいたことによっていとも簡単に止まってしまった。
「部下とお前たちの命に差などない。戦場では私を庇って誰かが死のうとも、その屍を踏みつけても剣を振るうというのに、どうして肉親の死にだけ戦を忘れて涙など流せる?」
 真っ直ぐにライオネルを射抜く眼光には、言葉どおり涙の一滴もなかった。ただ寒々しく、ただギラギラと滾るようなその目に、ライオネルが一歩も動けずにいる間に父王は退室していく。
「……ライ。彼は私達の父ではなく、王なのよ。ハーシェン家に生まれた以上、そのくらいは弁えなさい」
 凍りついたように動けない弟を、エレオノーラはやんわりと諭した。それに重なった声は、しかしライオネルのものではなく。
「エドワード兄上が亡くなった今、兄上がハーシェン家の長男なのです。そのような弱気では困りますわ」
 目元の涙を拭いながら、イザベラがキッとライオネルを睨む。その台詞を聞いて、エレオノーラは意を決して口を開いた。
「……ライオネル、イザベラ。今から私が言うことをよく聞いて。とても大事なことなの」
 イザベラの言は確かに正論でありながら、今の状況には相応しくなかった。
 弟と妹の肩をそれぞれの手に抱き、エレオノーラは告げる。あの日、父から告げられたことを。
「病死したのは『エレオノーラ』。今から執り行われるのは、貴方達の『姉』の葬儀です」
 弟達にとって、それは予想もしてない言葉だったのだろう。ぽかんとした四つの瞳に見つめられつつも、エレオノーラは彼らが理解するのを待った。――先に、イザベラがはっとしたように視線を落とす。
「そして私は、『エドワード』として出陣します。いいですね、もう姉と呼んではいけません」
「――どうして!」
 ここにきてようやく、ライオネルが悲鳴のような声を上げる。
「何故姉さんが戦に行くんだ! 兄上が亡くなった今、僕が――――」
「では、兄上に戦ができるとでも?」
 イザベラが上げた鋭い声に、ライオネルが言葉を詰まらせる。
 ハーシェン家次男でありながら剣もろくにあつかえない身である以上、兵を率いる能力も人徳もないことは本人が一番わかっていた。それでも納得できず、ライオネルが唸る。
「しかし……」
「しかしではありません。魔女の一件で民が疲弊していることなど、兄上にもお解りでしょう。今の状況では、家臣も民も兄上の死を受け止めきれませんわ。……そういうことですわよね、姉上?」
「……ええ。イザベラ」
 まだ幼いのに、イザベラの口調はしっかりしている。だが、瞳は弱い。ライオネルは性格のきついイザベラを苦手としている節があるが、姉の目で見ればイザベラが無理をしているのは一目瞭然だった。それでも甘やかさないのは、もうそれが許されない状況に置かれていることと、これからは傍で守ってやれないから。そして何より、イザベラがそれを許さないと思うから。
「姉上のご英断、妹として誇りに思います」
 大人びた口調で賛辞を口にすると、イザベラもまた部屋を出て行った。略式とはいえ、支度にはそれなりに時間がかかる。そして、エレオノーラもまた、葬儀の傍ら兄が倒れたことで頓挫してしまった出陣の準備も進めねばならなかった。だが、ライオネルはまだ俯いたままだ。
「……ライ」
「ごめん、姉さん」
 そして彼が紡いだ言葉も、エドワードと同じ謝罪だった。ぎゅっと胸を掴まれるような思いがして、エレオノーラは弟の頭を抱き寄せた。
「どうして?」
「僕が、臆病だから。だから姉さんに辛い思いをさせる」
「それは違うわ。あなたがいるからやれるの。謝らないで――私は、嬉しいのよ」
 兄の身代わりを提示されたとき、逆らう術は持たぬものの、心は迷っていた。兄に代わって戦うことに異存はない。だがそれは兄に少しでも長く生きて欲しいという思いの為だ。死ぬことを前提とした身代わりはつらかった。
 それでもエレオノーラから迷いが消えたのは、自分が戦えば、せめてライオネルを戦わせずに済むかもしれないから。
 自分が戦うことで、また戦況が覆せれば。そして、この戦争を勝利に導けば、もう誰も戦わなくてもいいのだ。
 親しい者を死地に見送るくらいなら、自分が向かう方が、ずっと楽だった。
「嬉、しい……?」
「忘れないでライ。今日これより、この場所に私は女であることもエレオノーラの名も棄てて行く。だけど、貴方を案じている肉親がいることに代わりはないわ。私がエレオノーラであろうと、エドワードであろうと」
「…………」
「ライの優しいところ、私も兄上も大好きだったわ。だから貴方はそのままでいて」
 抱きしめる手に力を込めて、エレオノーラは最後の姉としての言葉を告げた。

 そしてその日、ヴァルグランド王女エレオノーラの葬儀が、しめやかに執り行われた。