2.悩める家路



 俺が異世界で聖少女と呼ばれたのは、本当に聖少女の生まれ変わりだからだった。
 始めはそんなこと信じていなかったけれど、頭の中で声が聞こえるわ、「彼女」が俺と瓜二つだわで否定できなくなってしまった。
 そしてもうひとつ。俺が聖少女の魂を持っているからこそ、言語の違う世界で意志の疎通ができるのだと。
 だとすれば、この世界となんの関わりもないであろうエドワードが日本語を理解できないのは、考えてみれば当たり前の話だ。
 学校は出たものの、俺はこれからどうすればいいのか途方に暮れた。けどそうしたところで学生の身である俺には家に帰る以外の道などない。
 でも、家族にエドワードのことを何て話せばいいんだろう。
 そんなことを考えていると、学生カバンの中から携帯の着信音が聞こえてきた。取り出して開いてみると、画面に出てきた名前は、「姉」。
 咄嗟に切りたい衝動にかられたが、そんなことをすれば余計に俺の命の保証がない。仕方なく通話ボタンを押すと、聞き慣れた、けど懐かしい、だからといって全くありがたくもない、姉の怒声が耳をつんざく。

『今何時だと思ってんのよ!?』

 そして続く音声MAXの罵詈雑言は、予想がついたので既に耳から携帯を離している。それでも充分うるさいけれど。それがひととおり収まってから、俺は改めて携帯を耳に当てた。
「ごめん。ちょっと色々あって……今帰ってるから母さんにそう言っといて。じゃ」
 一息に吐き出してから、間髪入れずに電話を切る。それから俺は改めて携帯の画面を見つめた。三月十六日、午後八時過ぎ。ついでに不在着信が十件ほど入っていて全部姉。
 俺が屋上で光に吸い込まれたのはだいたい五時頃だったと思うから、二、三時間くらいの誤差はあるけど、でもその程度だ。時間の流れ方が違うのか、もしくはそもそも全く関係性がないのか。考えたところで答えなんて出ないけど。
 それにしても、「色々あって」の内容が異世界云々だなんて、姉も母も考えてもいないだろうな。考えていたら天才――というよりある意味病気だ。ため息をつきながら携帯をジャージのポケットに突っ込むと、そこで初めてエドワードが怪訝そうにこちらを凝視しているのに気がついた。
 ああ、まあ、そりゃそうか。彼女は携帯なんか知らないわけだし。
「あ、ええとこれは携帯電話っつって……、って、言葉、わかんないんだよな」
 取り出しかけた携帯を、もう一度俺は突っ込んだ。
 もどかしい。
 知らない世界で、知らないものばかりで不安だろうに、言葉までわからないなんて。不安を少しでも軽くしたいのに、その方法すらわからないなんて。
 そんな、全く違う、何もわからない世界に、彼女を連れてきてしまったなんて。
「……ごめん……」
 結局零れたのはそんな言葉だった。
 謝ったところでどうしようもない。もう取り返しがつかないし、それ以前に、これが謝罪だってことも彼女には分からないんだ。
「謝るな」
 なのに、エドワードがそんなことを口にして、俺は驚いて顔を上げた。薄暗くてよくわからないけど、苦笑する彼女に不安そうな色はなく、いつもと同じように見える。
「まったく、君は解りやすくて助かる。……せめて、私の言葉だけでも君に届いて良かった」
 どんだけ顔に出やすいんだ、俺……。
 でも、全く意志の疎通ができないわけじゃないって分かって少しはほっとした。エドワードはやっぱりさすがだな。知らない世界に来ても俺と違ってうろたえたりしていないし、困ってばかりの俺よりよっぽど堂々としてる。それに比べて、俺のなんと頼りないことか。
 一瞬自己嫌悪しかけたけれど、繋いだ手がぎゅっと握られて我に帰った。
「詫びないでくれ、咲良。私はヴァルグランドを出たことがないから、ただでさえ世間知らずで驚くことばかりだが、でもそれが楽しい。全く不安でないといえば嘘だろうが、私は大丈夫だ。君を信じているから」
 優しく微笑むエドワードの言葉が、胸に直接響いてくる。
 ああ、俺、アホだ。いくらエドワードが強くても、いくら俺が頼りなくても、それでも来たばかりのこの世界じゃ彼女は俺しか頼れないのに。
 ぎゅっとエドワードの手を握り返す。弱気になってちゃ、守るなんてできやしない。彼女を守るって誓ったばかりなのに、早速破るところだった。
「……行こう」
 言葉がわからなくても、何も言わないよりずっとマシな筈だ。できるだけ明るく声をかけると、エドワードは微笑んで返事をしてくれた。