決意


 眼下の草がたちまちのうちに色を失い、萎れてサラサラと塵になって流れて行く。
 その向こうで、ヴァイトがフラガラックを振りかぶる。霞む視界でも、その顔色が悪いのがわかる。
(エリオ……)
 オルニスに斬りかかっていくその姿が、遠い昔に失った肉親と被った。
 ただあの夜と違うのは、オルニスは抵抗しなかった。ふらつくヴァイトの一撃を、難なく躱せるはずのその剣を、避けることも防ぐこともせず。涼しい顔をして、その身にフラガラックの刃を食い込ませる。
「!?」
 エナジードレインに晒されながらの攻撃が相手に届く筈がないと、誰よりもわかっていたのはヴァイト自身だった。怯む彼を見下ろして、オルニスが口角を持ち上げる。微笑む、というにはあまりにも空寒い笑顔で。
「動けるとは驚いた。流石は神殿騎士――だが、それが限界の筈だ」
 その言葉に呼応するかのように、ヴァイトの膝がガクリと落ちる。視界の端に、ルーエンが倒れているのが映る。無理もない。ヴァイトとて、気を抜けば一瞬で意識など消し飛んでしまいそうだった。
 ヴァイトの体が崩れ落ちると同時に、フラガラックもズルリとオルニスの体から抜ける。だが、血の一滴も流れることはなかった。オルニスはそれ以上ヴァイトに構うことなく、アリーシアの元へと歩み寄ると、再びためらいなくその細い体に自らの剣を突き立てる。
「ああああ!!!」
 不死といえど、痛みがないわけではない――、アリーシアが倒れたまま苦痛に身をかがめ、悲鳴を上げる。
「貴……様ァ……!」
 詰ろうとしても声すら出ず、ろれつが回らない口から涎が零れそうになる。なお一層激しくなる脱力感に、フラガラックを握り締めることも既に叶わない。
 ――そのために。
 オルニスはアリーシアを痛め続けているのだ。
 恐らくオルニスには物理攻撃もアリーシアのエナジードレインも効かない。

『ヴァイト……あいつは、生きていない』

 頭の奥、どこか遠くでフラガラックの声が聞こえる。さらに、その向こうで。

「オルニス……私、帰ります……、だから早く……連れていって……」
 アリーシアの弱々しい声が聞こえる。フラガラックの声すら聞き取るのが困難なこの状況で、その消え入りそうな声がはっきりと、ヴァイトの耳には聞こえていた。オルニスが何か答える。その声がなんと言っているのかはもう、聞き取れないのに。
「ごめんなさい……」
 要りもしない謝罪だけが残る。
 そうして脱力感が消えた頃には、二人の気配も姿もなくなっていた。

「恐ろしい力ですね」
 ようやく、ルーエンが言葉を紡げるようになるのに、それから半刻を要した。アリーシアが倒れていた場所を核に、そこから大人の足で十歩程度の範囲内にある植物は全て枯れ、小動物の干からびた死体が転がっている。それに視線を落としながら、クラウソラスを杖にしてルーエンは体を起こした。
「神殿騎士は魔力の影響を受けにくいですが……僕らですら動けなかったのにあのオルニスという男。全く影響を受けていませんでした。それだけでなく、フラガラックに貫かれてもダメージゼロとはね。アリーシアさんが『オルニスには勝てない』と言っていたのはこういうことですか」
 自分の考えを整理するように、ルーエンが顎に手をあてながらブツブツと呟く。しかし依然としてヴァイトが座り込んだままなのに、ルーエンは眉根を寄せて彼を見下ろした。
「ヴァイト。いつまでそうして――」
「ルーエン」
 不意に名を呼ばれ、ルーエンは喉元まで出かかった小言を飲み込んだ。見上げてくる旧友の瞳は、こちらの姿を映してはいるものの、見ているところはどこか遠くのように焦点が合っていない。
(だが、曇ってはいない)
 彼が聖地を出ていく前を思い出す、どんな無茶も通ると思っている少年のそれを彷彿とさせるものだ。
「頼みがある。エタンセルに戻ってシスティナを守ってくれ」
「……貴方はどうするつもりですか?」
「クラフトキングダムに行く」
 立ち上がって、躊躇いなくヴァイトは答えた。
「システィナが危ないこの状況でもですか?」
「だからお前に頼んだ」
「僕と貴方とアリーシアさんで五分だったあの二人組に、僕一人でなんとかしろと」
「できるだろ、お前なら」
 はぁ、とルーエンはわざとらしく溜息をついた。そして眼鏡を直しながら、ヴァイトに向き直る。
「で、貴方はあのオルニスという男を一人でどうにかできるんですか」
「……できるだろ、俺なら」
 なんの根拠もない言葉を口にして、ヴァイトが踵を返す。その背に、もう一度聞えよがしに溜息をつこうとして、笑い声を零しそうになったことに気づき、ルーエンは口元に手を当てた。
「ようやく貴方らしくなったじゃないですか」
「は?」
「いえ。しかし……」
 首だけでこちらを振り返るヴァイトに、ルーエンは本心とは逆に難色を示す。
「あのエミリアーナという神子は、神子を殺すと言っていました。彼女をどうにかするまでは、オルニスがアリーシアさんを守っていた方が彼女は安全とも言えるかと」
「安全? あれを見てそう思うのかお前」
 吐き捨てるように、ヴァイトが答える。それに対してルーエンは否定を持ち合わせなかった。
「フラガラックで刺されても死なねえんなら、あいつは自分の力で俺たちを倒すこともできただろう。なのにわざわざアリーを傷つけた……あれじゃあ体は死ななくても心はいつか死ぬ……」
 アリーシアが刺されたあの瞬間、怒りに駆られてオルニスに斬りかかった。それを思い出して、ヴァイトは自らの手の平を見つめた。
「もう俺は……手を離すことはしたくない」
「システィナの手は、いいんですか? 離しても」
「一度離した俺じゃ叩き落とされるが関の山だろ。お前に頼むよ」
 どのみち、何を言おうがもう彼の心は決まっているのだろう。
 森の中に消えていく後ろ姿を見つめて、ルーエンはふぅと今度こそ溜息をついた。
「僕でも叩き落とすと思いますがね。まぁ、叩き落とされに行きますかねぇ……」
 ルーエンもまた踵を返す。
 エミリアーナは、恐らく神子の位置を力で特定している筈だ。こうなると、システィナが力を失っているのは逆手に取れる。聖地の位置を調べてエタンセルに乗り込むのにもある程度時間が要るだろうし、そこからシスティナを探して会うまでにシスティナの元に辿り着ければいい。
「かといって悠長にもしていられませんからね。急ぎますか。旧友からの初の頼みですしねぇ」
 独り言をつぶやいて、ルーエンは走り出した。  


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