最初、ヴァイトはアリーシアがエタンセルの方角が分からないと言ったのは、彼女の方便だと思っていた。だがどうも、本当に分からなかったらしい。とりあえず、呆れた。
ヴァイトとてそう西の地理に明るいわけではないが、ドラゴンズヘブンで地図は見ていた。ここからだとエタンセルは南東の方角だ。都合の良いことに丁度夜明けだから、方角を把握するのはそう難しくはなかった。後は、その方向に向かって伸びる魔法車の線路を追えばいい。
「だが、直接エタンセルまでこいつで行くのは無理だ」
「どうしてですか?」
ばさりと竜が羽ばたき、アリーシアは片手で帽子を押さえながらヴァイトを振り返った。ヴァイトは羽の付け根によりかかるようにして座りながら、顔も上げずに答える。
「こんなもので上空から近づいてみろ。騒ぎになって即座に撃ち落とされる」
「魔法で、ですか? ならシールドを張れば防げます」
「それだけじゃない」
ぶっきらぼうな声に、アリーシアが眉をひそめる。
アリーシアの扱う魔法の威力は、ヴァイトも知っている。エタンセルの魔法使いが首を揃えても彼女には叶わないだろう。だが厄介なのは彼らではない。
ヴァイトは嘆息すると、ドラゴンから身を乗り出した。物凄い早さで景色が変わっていく。おそらく体感しているよりずっと速度が出ている。風の抵抗をあまり感じないのはアリーシアが何かの魔法を使っているのだろう。そう悟ってヴァイトは顔つきを変えると、前にいるアリーシアの肩に手をかけた。
「アリー、そろそろ降りた方がいい」
「このまま行きます。時間がないんです」
「時間がないなら余計にだ。着く前にやられたら元も子もないだろう。いいから降り――」
「降りません!」
珍しくアリーシアが声を荒げ、ヴァイトは彼女から手を離した。
「もう、あんなこと起こしたくありません」
ドラゴンズヘブンでの一件を思い起こしているのだろう。今手を置いていた肩が小刻みに震えている。
確かに一歩間違えば大惨事だった。しかしあの事件がアリーシアのせいで引き起こされたということが、ヴァイトにはまだ納得できない。聞いたら答えてくれるのかもしれないが、そこまで踏み込むことはためらわれた。それは、アリーシアが何も聞いてこないせいもある。
震えるアリーシアの背をじっと見ながら、ヴァイトは腰に携えた剣に触れた。だが、フラガラックも黙して語らない。
「……いいか、アリー。魔法はあまり問題じゃない。だが問題になりそうな奴が一人いる」
「ヴァイ?」
「お前はこのドラゴンをどこまで操れる? 例えばシールドを破られたら、このドラゴンは自分の意志で魔法をかわせるか?」
アリーシアは少し考えるように竜の背に視線を落としたが、すぐに小さく頭を振った。
「やっぱり、ヴァイは降りて下さい」
「直接エタンセルに行きたいんだろ。俺がなんとかしてやる」
返ってきたのは答えではなかった。だから、こちらも答えは返さない。言われたこととは関係のないことを言うと、アリーシアが項垂れる。
「巻き込んだとか考えるなよ。むしろ俺は今ほっとしてるんだ」
「……なぜ?」
「先に俺の質問に答えてくれ。時間がない」
不思議そうなアリーシアに、ヴァイトは強い口調でもう一度答えを促した。眼下には大きな川が見える。恐らく、これを越えたらエタンセルはもうすぐそこだ。
「この子は、そんなに俊敏な動きはできません。大きな魔法一撃ならかわせるかもしれませんが」
「なら確実に撃ち落とされる。かわす方法を考えろ」
ヴァイトがにべもなく告げると、アリーシアは何か言いたげに彼を見上げた。だがすぐに視線をそらして、手を口元に当てて考え込む。
「……ありますが、ヴァイの負担が大きくなります」
「いいから、言ってみろ」
「私がこの子と同化します。ヴァイが指示してくれればかわせると思います。ただ、その間私の体は無防備になります」
「なら、それをやれ、いますぐだ」
フラガラックを抜き、ヴァイトは端的に告げた。迷うようにこちらを見上げるアリーシアの腕を強く引き、叫ぶ。
「早く!」
フラガラックを通して感じる気配に、ヴァイトは前方を睨み据えた。彼の有無を言わさぬ声に、反射的にアリーシアが魔法を使う。
『我、アリーシア・クラフトキングダムが盟約の元、力を行使する。汝、我に器を委ねよ!』
緑色の光が竜を包み込んだかと思ったら、アリーシアのから力が抜けた。その華奢な体を抱きとめてすぐ、ヴァイトは叫ぶ。
「来るぞ、アリー! 四秒後に右に旋回しろ! 一、二、三、」
アリーシアがすぐに対応できるのか一抹の不安はあったが、だからといって事態は待ってくれない。果たして四を叫ぶ頃には竜の体が大きく傾いた。その瞬間、すぐ目の前をまばゆい掠めて飛んで行く。アリーシアが回避したことにより、光はそのまま目の前を通過していくが、その先で大きく弧を描いた。
「自動追尾……! やはりな!」
アリーシアの体を抱え直し、竜の鱗に手をかけて再びヴァイトは叫んだ。
「戻ってくるぞ。五秒後に高度を落とせ。一、二、」
五を数えると共に、竜は翼を水平に保って降下する。それを追ってくる光を、ヴァイトはタイミングを合わせてフラガラックで弾き返した。
竜が、いや厳密にはアリーシアが、大きく翼を動かして前進する。追随する光を何度も撃ち落とし、ヴァイトはすぐ眼前に迫ったエタンセルの白い城壁に、ありったけの声を振り絞った。
「随分な歓迎だな、ルーエン!」
呼応するように光が尾を引いて、城の方に吸い込まれていく。それを追ってテラスに降り立った竜の前に、眼鏡の青年が立ちはだかった。