黄金の輝きに、異形の者は主の帰還を察して頭を垂れた。
「お帰りなさいませ、イリュアさま」
だがすぐに輝きは失われ、黄金の髪と瞳はみるみる色を変えて行く。
「力がお戻りになったのでは」
「……戻りつつ、あるわ。ガルヴァリエルの方は、うまく行っていないようね。ユーヴィルは依としては力不足。間もなく……命を落とすでしょう」
荒い息をつきながら、イリュアが答える。支えようとする異形の者の手を拒み、彼女は自力で立ち上がった。
「長らくリダを空けてごめんなさいね、イル。あと、少しだから」
「こちらのことは大丈夫です。イリュアさまがもしものときにかけていたプロテクトがまだ活きていますから。それよりもご自愛下さい」
「私は……大丈夫よ」
重たい手をかざし、スペルを紡ぐと、かなり不安定ではあったが手ので銀色のロッドが形を成す。それと同時に黄金の光が溢れ、彼女の黒い髪を黄金へと塗り替えた。
「もうしばらくしたら、戻る。救済への筋書きは、動き始めたわ」
そうしてそのまま、光と共に彼女の姿は掻き消えた。
「……カレン?」
ふと、彼女の部屋から金色の光が零れたように見えて、ディラルドは眠るエスティから視線を上げた。
体調が優れないという彼女を気遣い、休ませていたのであるが、時刻はまだ朝。黄昏の光が零れるような時間ではない。
怪訝に思って扉を開けそしてディラルドは息を飲んだ。カレンの見慣れた黒髪が金に輝き。赤い瞳も黄金の光を零してこちらを射抜いた――気がしたのだ。だが、錯覚かと思うほど、それは一瞬のことだった。はっとして目をこすったときには、もう金の光などどこにもなく、カレンはいつのも笑顔でこちらを見ていた。
「今……」
「ごめんなさい、ディラルド」
目の前にあるのはもう日常でしかなかったから、さっきの光は錯覚で、カレンがそう詫びるのは体調を崩して寝込んでいることだと思った。
それ以上カレンが何も言わないから、ディラルドは何の疑いもなくそう信じ、彼女が横たわるベッドに腰掛ける。
「エスティは?」
「よく眠ってる。……エスも、カレンと同じ赤い瞳だ。不思議な色だな……」
それきり、またカレンは口を噤んだ。どこか浮かない表情が気になったが、体調のせいだろうと、彼女の気を晴らすためにディラルドは話題を探った。
「少し調べたんだが、赤い瞳というのは古代では珍しくなかったらしい。やっぱり、君は力がないのではなく、現代とは違う力を持っているせいで魔法が使えないんだと思うよ。だからエスも、未知数の力を秘めているかもしれないね」
「――古代では、赤い瞳は“持たない者”の証だったの」
ふいに、カレンがそんなことを言う。意外な言葉に、ディラルドは思わず目を見開き、彼女をまじまじと見た。学者である自分ですら知らない古代の知識を彼女が口にしたことに、違和感を覚えたのだ。
それを益々増長させる、カレンの言葉はまだ続いた。
「“持つ者”は、もっと眩しいわ。輝く瞳をしているの。さっきあなたが見た色よ」
このまま日常が続くのなら、さっき見たことなど錯覚として忘れて行く筈だった。なのに、まだ消してしまうには鮮明すぎる先ほどの記憶を、カレンは簡単に引っ張り出してくる。嘘だと思いたいのに、それを許してくれない瞳と言葉で。
「……時間がきたみたい」
あのときと同じ、哀しそうな瞳に涙を讃え、そんなことを口にするカレンに、咄嗟に意味を飲み込めずディラルドが押し黙る。
続いて欲しかった日常は、今音を立てて崩れて行こうとしていた。その音を振り払うように、ディラルドは小さく首を左右に振った。
「どういう……」
「行かなければならないの」
「記憶が、戻ったのか?」
あの日と同じ質問をディラルドが震える声で口にして、あの日と同じように、カレンは首を横に振った。だが、あの日と同じように、彼女は傍にいることを選んではくれなかった。
「違うの。戻ったのは、力」
瞬く間に、さっき見た金の光が部屋中を塗りつぶし、今度こそ彼女の黒髪と赤い瞳は金髪金目へと変化した。
「――行くな」
嫌でも、そこにある別れと日常の崩壊を、ディラルドは悟らなければならなかった。咄嗟に伸ばした手は彼女の腕を掴んだ。掴んだけれど、止められないという焦燥が体中を蝕み、寒気がする。
「ごめんなさい。あなたが封印をやめられないように、私にも購わなければならない罪がある。どうしても、果たさねばならないことがあるの」
カレンと根を下ろし、カレンに新しい命が宿り、エスティが産まれてからも、ディラルドはふと旅に出ることがあった。必ず帰っては来るのだが、懺悔の旅をやめられないことを、カレンもエライズも知っていた。そして止められなかった。
「……同じように……」
もう一度、カレンが呟き、黄金の瞳でまっすぐにディラルドを見る。
「だから、もしあなたがこれからも自分の罪で苦しむことがあるのなら。どうかそのときは私を恨んで。あなたの罪は私の罪。そして、これから起こることがあなたを傷つけたとしたら、そのときも――どうか私を恨んで下さい。憎んで下さい」
ふと、掴んだ腕の感触が曖昧になる。温もりが消えて、感覚が消える。黄金の光はカレンを飲み込んで輝きを増す。
恨んで下さい。
そうもう一度呟き光に溶けようとする体を、ディラルドは咄嗟に抱きしめていた。
「それなら、どうか――、もし君が罪を犯したというなら、それに苦しむとき思い出してくれ。君が何者でも、これから何が起こっても、おれは君を愛したことを後悔しない。恨まないし憎まない」
腕の中には何の感覚もなかったが、それでも全力でディラルドは光を抱きしめ、そして叫んだ。
「君を愛している。これからもずっと、永劫に」
その瞬間、嘘のように光はカレンと共に消え去っていた。白昼夢かと思うほどの静けさを裂くエスティの泣き声だけが、ディラルドに現実を伝えた。
時間は流れ、まるでカレンと過ごした日常などなかったかのように、ディラルドはまたエライズと旅を続けていた。
エライズは多くを尋ねず、ディラルドが旅に出る間エスティの世話をしていたが、エスティが留守番できるような歳になると、エライズもまた遺跡へと同道するようになった。
そして、元通りの生活に戻って、十数年が過ぎる。
「この古代秘宝は――?」
遺跡の奥に、畏怖が入り混じった父の声がこだまする。遺跡調査家である父と祖父の後をこっそりつけてきた幼いエスティは、そちらの方をそっと窺った。厳かな祭壇に、小さな箱が乗っているのが見える。父の言葉はどうやらそれを指したようだ。
「……すごい、力だな。おそらくこれの“依(よりしろ)”になれるものは、いまい……」
「また、こんなものを見つけてしまった」
冷静な祖父に対して、父は幾分か錯乱したかのように、絶望的に吐き捨てた。
「私がこんなものを発掘したばかりに……戦争が始まってしまった。これは、ずっと眠らせておくべきだったのに!」
その剣幕に、思わずエスティはびくっと体を奮わせた。温厚な父が声を荒げることなど普段ではまずなかったからだ。
「過ぎたことを言っても、時間は戻ってはこんよ、ディラルド。それにお前がこれを見つけなくても、いつかは誰かの手によって見つけられた。……嘆いても詮無い。最善を尽くすことだ。少しでも、悪意ある者から古代秘宝を護れるように」
うなだれてしまった父の肩を、祖父が優しく叩く。
「そう……ですね。父さん。――ここは封印しましょう。何人も立ち入れぬように」
父のその言葉を最後に、もう二人が言葉を交わすことはなかった。足音がこっちに向かってくるのに気付き、エスティは慌てて身を潜めた。だが彼らをやり過ごしてしまうと、エスティは意気揚揚と飛び出した。
(封印される前に、一度その秘宝とやらを拝んでやるか!)
幼さ故の強い好奇心が、“禁忌なるもの”とやらを求める。それがどんなものなのか――どれほどの魔力を持つものなのか。“魔法が使えない”エスティにとって、古代秘宝は何より興味深いものだったのだ。急ぎ足に祭壇へ向かう。封印のスペルが終わる前にここを出なければ洒落にならないことになる。
「へぇ……こんな小さなものが、そんなに力があるものなんだ」
感心して箱を見上げるエスティの頭の中に、声が響いたのはそのときだった。
『汝、邪なるものか?』
冷たく、だが美しい女性の声に、驚いてエスティは辺りを見回した。だが、誰もいない。
狼狽するエスティをよそに声は続く。
『汝、力求めるものか?』
「……誰だ?」
だが恐れなどは見せず、強気の光を瞳に宿してエスティは問い返した。
『汝の目の前に居る』
「古代秘宝!? まさか……」
返ってきた答えに、エスティは今度こそ声からも驚きを隠せなかった。まさか。そう思うのだが、やはり周囲には人の気配などなく、信じ難いことでも信じるしかない。エスティはきっと箱を睨みつけた。驚愕はあっても畏怖や恐怖はなかった。それは、ただ幼いからに過ぎなかったが。
「……オレは古代秘宝がどんなものか見たかっただけだ。邪かどうかなんて知らないし、力なんていらない」
ありのままをそのまま答えると、箱が震えるようにぶれた。
『ならば、汝は我の求めていた者。……受け入れよ』
「!?」
咄嗟のことに、エスティが答えることはできなかった。だがそもそも、それは答えを求める問いではなかった。選択肢などなく、一方的な言葉は、選ぶことを許していなかった。
突如巻き起こった光の濁流に、小さな体は成す術なく飲み込まれる。
「う……ああああああ!!!」
膨大な知識が頭に流れ込んでくる――
古代の力。
魔道の流れ。
力の使い方。
デリート・スペル。
暴発。
そして、禁忌の古代秘宝。
――消去せよ。