外伝3 暁に消える 14


 ――死んでは駄目だ。そんなことは……オレが許さない。

 ラルフィリエルの意識を、闇から引き戻したのは、そんな言葉だった。
 それ自体は幻聴だろうが、同じ言葉を言われたことがある。それもまた、この地だった。

「ラルフィリエル!!」

 同じ声が、自分を呼んでいる――だがそれは幻聴などではなく、崩れ落ちた自分を支える腕の体温が体に伝わるのを、確かにラルフィリエルは感じていた。
「シェラ!!」
 同時に感じるもうひとつの気配にも気付く。それは目など開かなくとも例え意識などなくても、その存在を感じられる人だ。
「エス――、お兄、ちゃん」
 小さく、呼ぶ。だが、それらに混じってはげしい憎悪もまた、すぐ傍から伝わってきた。
「邪魔よ。貴方に用はないの。――それに、この娘はカオスロード、ラルフィリエルよ」
 殺気に、思わずラルフィリエルは目を開けた。その言葉で、殺気が向けられた相手を察したからだ。慌てて身体を起こすと、危惧した通り、ユーヴィルがリューンに向けて今まさに力を放とうとしているところであった。
「お兄ちゃん!」
 ラルフィリエルが叫び、エスティもまた、僅かに身を固くする。だが、

防御陣(プロテクション)!』

 反射的にシレアが張ったシールドによって、リューンに向けられた力はその大幅が相殺された。全てを防ぎきったわけではないが、シレアのシールドを通り抜けた攻撃もまた、リューン自身によって防がれた。
「……どんな呼び名があっても、彼女はぼくの妹だ」
 エスティとラルフィリエルの前に進み出たリューンが穏やかにそう言うと、ユーヴィルは幼い顔に不釣合いな、憤怒の形相を表した。
「貴方に用はないって、言ってるでしょ!?」
 彼女の癇癪(かんしゃく)に呼応するかのように、ユーヴィルを核に力が拡散し、それが合成獣(キメラ)へと転じる。突如現れた数体の獣は、だが彼らには目もくれず、真っ直ぐにシレアの方へと向かった。
「!」
「シレア!!」
 不意を突かれて、全くの無防備となったシレアに、キメラが(はし)る。顔色を変えて、リューンがそれを追うが、シレアの傍にいたイリュアの力によって獣の爪がシレアに届くことはなかった。だが息をつく暇もなく、ユーヴィルによって生み出された獣はその全てがシレアへと襲いかかる。
「くッ」
 ラルフィリエルが気がかりではあったのだが、リューンはシレアの方へと走った。イリュアは同時に複数の合成獣を消し去ってはいるが、発生を止めることまではできていない。時間差で生み出される獣に、イリュアの力は瞬く間に追いつかなくなり、リューンは剣を具現させるとシレアを庇うように、その獣の漆黒の胴を薙いだ。
「――まずいわ」
 剣を振るう隣で、緊迫したイリュアの声が聞こえて、キメラを退けながらリューンは彼女の方を振り仰いだ。
「イリュア?」
「不安定な力がキメラを生み出し、それが更に制御に支障をきたしている。このままじゃ――」
 力を使い続けることで憔悴したイリュアの顔に、冷や汗が伝っている。
「暴発、するっていうこと?」
 2人に加勢する為に印を切っていたシレアが、押し殺した声を上げる。ゆっくり頷いたイリュアに、過去の悪夢を思い出してリューンは思わず右目を押さえていた。
「エス――」
 そして、それを止めるたったひとつの術を持つ彼を、注視した。


「もう止めるんだ、ユーヴィル」
 できる限り穏やかな声で、エスティは目の前の少女に語りかけた。
 力を放出し続けている彼女は、ランドエバーで見たときのように薄い靄のようなものに包まれている。その向こうに見える姿は、心なしか薄らいでいた。実際のところ、これほど力を使い続けていれば、姿を具現することも苦しいのだろう。
 だがユーヴィルはエスティの声には応じなかった。
「止めろ、ユーヴィル。このままじゃ暴発する」
 握り締めた手には汗をかいていたが、危惧を表情には出さず、もう一度静かにエスティは言った。それでも、やはりユーヴィルに力を収める素振りは見受けられない。
「……貴方に、私を消して貰うつもりだった。だけど、それも悪くないわ。暴発すれば私も消えて、その女も殺してやれる」
 緩慢に伸びたユーヴィルの手が、ラルフィリエルを掴もうとしているのに気付いたときには、エスティはついに叫び声を上げていた。
「止めろ!!」
 ユーヴィルの動きを阻むように、エスティがラルフィリエルを引き寄せる。その瞬間、ユーヴィルは酷く傷付いたような表情をした。
「なんで庇うの? その女は、たくさん人を殺したじゃない!! なのに、なんでその子を助けて、私は助けてくれなかったの……!?」
 ユーヴィルの怒号に、エスティは再び叫びかけた。だが後半彼女の声に涙が混じると、何も言えないまま、エスティは開きかけた口を閉じた。ようやく、彼も気付いたのだ。ユーヴィルがラルフィリエルに向ける憎悪の大半は、彼女への羨望だった――。