外伝2 蒼天に契る 8


 夜の帳の中にひっそり佇むブレイズベルク城は、ランドエバーの王城に比べれば、小さく、簡素なものであった。だが良く見れば、門や燭台など部分部分は豪華絢爛だ。
「今、他所に立派な王城を建てさせているんだ。元は小さな国だったけど、先の戦のごたごたに紛れていくつもの国を掌握したからね。この城はとりあえずの仮住まいにすぎないのさ。でも、こっちとしては立派な城が完成する前に事をおこしたいんでね」
 城を見上げるアルフェスに、リアがそんなことを呟く。
 だが不意に緊張した面持ちで彼女はこちらを見上げてきた。
「準備はいい? アル」
「……ああ」
 未だ耳慣れない名で呼ばれて、だがアルフェスは鋭く答えた。
 話し合いの末、結局アルフェスは「流浪の傭兵、アル」ということになった。かつての仲間に、身分を隠す為同様に流浪の傭兵に身をやつしていた王族がいたが、彼にあやかったものである。それが彼に知られれば、きっと豪快に笑い飛ばしてくれるに違いない――王族というよりも傭兵の方が自然であるいでたちと性格だった彼に比べて、自分が傭兵というのは少々無理があるような気がする。
 リアもきっとそう思っただろう、「間違っても"ぼく"とか言うなよ」などと念を押してきた。 傭兵ってより貴族のボンボンになっちまう、などと言って苦笑されれば否定もできず、努力する他に致し方ない。
 だがどうにかボロは出さずに、町境の警備を越えて、夜を待ってここまで来た。
「それというのも、私のお蔭よね」、と笑っていたフィセアは、今はうるうるとした瞳でこちらを見ている。
「気をつけてね、アル様」
 どさくさでまたアルフェスに擦り寄ろうとする彼女をリアが容赦なくひっぺがし、
「もう、ほんとにアンタは……置いてくりゃよかったよ」
「何よ、リア。私の色気のお蔭で警備を潜れたんでしょうが。感謝しなさいよ」
「何が色気だよ……女連れだから油断しただけでしょ」
「リアはその間にこそこそ抜けていったんでしょ。要するにリアじゃ女として役不足なのよ」
「……この……ッ!!」
 ここまできても繰り広げられる姉妹喧嘩に、アルフェスが息をつく。だがもうここまでの道のりでそんな展開にも慣れてしまったのだが。
「どっちにしても、リア1人じゃ役不足でしょ? 今回は失敗できないんだから」
 だが、今回の喧嘩はいつもどおり、エスカレートしていくことはなかった。
 珍しく――というか、アルフェスにとっては初めて見る――神妙な顔をしたフィセアに、思わずリアも口を閉じる。彼女も彼女なりに、緊張しているのだ。
「――確かにそうだ。じゃあ、行くよ。そろそろ裏門の見張りが交代の時間だ」
 彼女の言葉どおり、鉄柵の向こうで兵士に動きがあった。
 交代して去っていく兵士が城内に消えたところで、リアがフィセアに向かって目配せすると、フィセアもまた頷く。
 
『安寧の夜に堕つ者。彼の者に安らぎの眠りをもたらし給え』

 静かにフィセアが印を切り、スペルを紡ぐ。
 その魔法の強さに、僅かばかりアルフェスは驚きをその表情に見せた。
 今彼女が使った闇の精霊魔法は、高位の属性であり、使い手のごく少ないものなのだ。
「……夜だから、闇の属性が強いはずなのに。アル様が近くにいるせいで、すっごい闇の精霊が集まりにくい」
 拗ねたような目を向けられて、アルフェスが少し慌てる。
 何故だかわからないが、彼は光の精霊から守護を受けるほど光に魅入られた者だ。その光の強さに、彼はそれ以外の属性を全く操れず、その場での精霊魔法に影響を及ぼしてしまうのだ。自分の意志とは関係なしに。
「あとで強化すればいいよ。で、いい? アル。これで多分、次の交代がくるまで時間は稼げると思うから。フィセアはここにおいておくし、万一見回りが来たり、門番が寝てることがバレそうになったらそいつも眠らせてもらうし。
 あたしは、退路を確保するから。アルは、捕虜をお願い」
 アルフェスが頷くのを確認すると、リアは身軽に鉄柵を乗り越え、音も無く着地した。
 フィセアの見送りを受けながら、アルフェスもまたそれに続く。
 同様に音も無く着地した彼を見て、満足気にリアが微笑む。
「やるねえ。さすが英雄」
「いや、そんなところで英雄を持ち出されてもさ……」
 やっていることは盗賊と一緒なのにと、アルフェスはまたも苦笑するのだった。

 窓を開けると、夜の冷たい風が肌を撫でて、ミルディンは身震いをした。
 油断していてくれるのはありがたいが、窓に格子すらないのは、舐められているのだろうか?
 溜め息をついて窓を閉める。
 「お腹が空いたわ」
 およそ人質にも女王にも相応しくない言葉を吐きながら、ミルディンは着替えを探してクロゼットを開けた。思ったとおり、色形とりどりのドレスがそこには取り揃えられている。
 夕飯にしても、豪華なものが運ばれてきたが、一口も食べないままそれは下げられていった。
 まさか脅えきっている人質のお姫様が、出されたご飯を全て平らげるわけにもいかないだろう。
 腹ごしらえはしておきたかったが、致し方ない。
 ミルディンは、黒地のシンプルなドレスを手に取ると、急いでそれに身を包んだ。長く、歩きにくい裾は力任せに引き裂いて、動き易さを確認すると、今度は黒のショールを引っ張り出して頭から被った。
「格好悪いけど、闇夜には紛れられそうね」
 呟やきながら、勢い良くベッドのシーツをめくりあげる。そしてそれを引き裂いて、しっかりと結び合わせ、ベッドの足に括りつける。
 こんなものかしら、と独りごちる。彼女の動きはそれだけに止まらなかった。入り口脇においてある立派な鏡台に目を留めると、手際よくその鏡台の上のものをどかし、引き出しを全て抜き、横から押して扉の前に移動させる。そしてまた手際よく、引き出しを元に戻し、ついでに壷やら何やらを乗せて重くしておく。これで入ってくるには時間がかかるだろう。
「よしっ」
 先ほどまで脅えていた面影はどこにもない。
 小さく気合を入れると、彼女は窓を開け放った――。