外伝2 蒼天に契る 5


 じじっ、とランプの炎が音を立てる。既に辺りはすっかり闇に沈んでいる。
「率直に言って、私は協力を求めているのではないのだ、騎士殿」
 むくつい外見からは意外、と言っては失礼か。
 ガルスの声は穏やかで、柔らかい物腰だ。だが、逆にだからこそ隙もなければ気を許してもいない。組織をまとめる者としては、如何なる間違った判断も許されない、それ故の用心か――それはアルフェスにも身に染みて判っている。
 そして、彼が何を言いたいかも。
「ブレイズベルクには、多くの捕虜が囚われている。レジスタンスに組する者も、そうでない者もだが、反抗する者、脱国する者がいれば、見せしめに彼らは殺されるだろう」
「……要するに、協力するともせざるとも、私が取る行動は自ずと限定される……と」
「そういうことだ」
 静かな空間で、アルフェスとガルスの会話だけが淡々と続き、その隅っこでフィセアは小さく欠伸をした。それに気付いたリアがその頭をはたく。
「なにすんのよ、リア」
 小声でだが、抗議の声をフィセアが上げる。
「あんたには緊張感ってものがないの?」
 睨み付ける妹に囁き返すのだが、フィセアとておさまらない。
「だって話が長いんだもん! 簡単なことを回りくどく話すのって意味なくない? みんなを助けてって、頼むだけじゃない。おにぃさん、あのアルフェス様なんでしょ? 英雄なんでしょ? 強いんでしょ?」
「あんたは単純思考すぎんのよ。子供は黙ってなさい」
「リアだって同じ年じゃんかー!!」
 だんだんと派手になっていく姉妹喧嘩に、ガルスは溜め息と共に口をつぐんだ。だがやれやれ、とでも言いたげなその表情に煩わしさはなく、姉妹を見つめる瞳は和やかだ。
 それを見、アルフェスも微笑むと腰を上げた。それによってはっと喧嘩を止めた姉妹の、特にフィセアの方に歩み寄る。
「ごめん、フィセア。さっきも言ったけれど、僕はランドエバー王家直属の騎士だ。冷たいようだけれど、市民の反抗勢力に、僕個人の判断で力を貸すことはできないんだよ」
 かがんで覗き込んだフィセアの瞳は、失望に似たものに濁る。いや、失望というよりそこにあるのは純粋な哀しみで、慌ててアルフェスは補足した。
「――レジスタンスに協力することはできないけれど、ブレイズベルクに囚われた市民を救うことはできる。今君の父さんと話していたのは、そういうことだよ」
 アルフェスの説明は、フィセアには不十分だったようで、彼女は小さく首を傾げた。だが、
「良くわからないけれど……助けてくれるってこと?」
 アルフェスがゆっくり、でもはっきり首を縦に振る。
 この国で燻っている訳にもいなかいが、自分が脱国することで、無関係な人を巻き込むことなど絶対にあってはならないことだ。
 自らの良心に訴えても、また仮に主君に伺いを立てたとしてもだ――
 命を護ることに間違いなどある訳はない。
 頷いたアルフェスに、フィセアはみるみる表情を明るくすると、ぱぁっと輝くような笑みと共に、アルフェスにとびついた。
「アルフェス様、ありがとう!!」
 首に両腕を回してアルフェスにしがみつくフィセアを、後からリアがふたたび引き剥がしながら、リアは渋面になった。
「でかい声出すなよ、あんたホントに状況わかってないんだから――アルフェス、あんたは名前が売れすぎてる。もう不用意に名乗らない方がいいよ。国に帰る前に面倒なことになりたくないだろ」
「ああ――だけど、なんて名乗ればいいんだか」
 ぱっと偽名など思いつかない。だが彼女の言う通り、国に帰るまでは身分を隠した方が懸命だろう。首を捻るアルフェスに、リアもうーん、と考え込む。
「あんた、なんか愛称とかないの?」
「……」
 再び首を捻る。
 父親にも友人にも「アルフェス」としか呼ばれたことがないし、「レーシェル」という姓の方は名に輪をかけて通っている。強いて言うならば――
「……アルフェ、と呼ぶ人がいるけれど」
 1人だけ。
 だがリアの表情は難しい。
「全然変わってないじゃん。縮まってもないし」

 ――うん、だから、わたしだけ、そう呼ぶの

 リアの言葉に、唐突に脳裏に遥かな記憶が蘇る。
 それは昔、同じようなことを自分が言ったから。遠い記憶の中の会話。

 その声は、目醒めのときに導かれた、あの幼い少女の声と同じもので、だから――解った。
 それが誰なのか。

 (ミラ――)
 
 胸の中だけで、強くその名を呼ぶ。
 眩しい少女の笑顔が片時も頭を離れない――

「お迎えにあがりました、女王様」
 その意味がさっぱり解らずに、彼女は柳眉を潜めた。
 だがこの状況を問うこともできず、反抗することもままならず。
 人を呼ぶこともできず、魔法を使うこともできずに。
「共に来て頂けますか」
 よくしゃあしゃあとそんなことが言えたものだ。
 まだ少女と呼んで差し支えない、だがそろそろ大人びた美しさを宿し始めたその顔を歪め、女王――聖ランドエバー王国女王ミルディン・W・セシリス=ランドエバーはセルリアンブルーの瞳でこの狼藉者を睨みつけた。
 急に音もなく、自室へと滑り込んできたその小柄な青年は、悲鳴をあげることすら許さず瞬く間に片手でこちらの両腕を封じ、そして逆の手でこちらの口を押さえる。
 その意図は、叫ぶことを封じるという単純なものだけではなく、スペルの発声すらも妨げようというものだろう。一切の行動を封じておきながら、さも紳士的に同意を求めるなど白々しいにも程がある。
 彼女のそんな思いなど解っているだろうに、青年は表情も口調も変わらなかった。
 ただ淡々と。ただ、無表情に。
「では、参りましょうか。ブレイズベルク公国に」
 青年の顔は、整っていたが秀麗というには至らず、それは何の印象も持たせない。その瞳が自分を覗き込むのと同時に一瞬体に自由が戻る。
 彼が腕の戒めを解いたのだ、と理解するころにはしかし、ミルディンの意識はとだえていた。
 彼女の鳩尾をついたその手で、青年は崩れ落ちた彼女の体を受け止める。
 それでも彼は笑みすら浮かべることなく、やはり音もなくその場を離れてゆく――