10.偽りの聖王国
彼女があっさりと答えを出したことも意外なら、その答え自体も信じ難いことで――咄嗟に何の答えも返せない彼を見つめるエルフィーナの瞳に浮かぶのは、やはり哀しみで。その答えの理由よりも、彼女の瞳に映る哀しみの理由を問いたい気持ちが強まるのは何故か、思わずアルフェスは自問していた。そんな彼の気持ちを知る筈もなく、エルフィーナは言葉を続ける。
「ランドエバー王家に生まれるのは、王女で一子。それは貴方様もご存知でしょう」
「はい……その、稀に例外もあるとは聞きますが」
「そう。例外」
アルフェスが口にした言葉を、エルフィーナは強い口調で反芻した。
「今でこそその例外も認められて、直系の男子がそのまま王となることもあります。けれどそうなる前までは、男子と双子や兄弟は災いを招くと言われていたのです」
やるせなさを含む彼女の言葉、その事実はアルフェスも聞いたことぐらいはある。そのような下らない迷信に左右された時代があったことを。
「王家や元老院によって“災いを招く者”の烙印を押された者の末路はひどいものでした。そうしたことは何も遥か昔の話しではないのです。新しい歴史の中でも似たようなことは度々あった。想像に難くないでしょう? このランドエバーで王妃が授かった子が、漆黒の髪と瞳をした男の子だったなら」
「……!」
アルフェスの表情には衝撃が走った。その様なことがあるのだろうか。だが実際にあったのならば、確かにその者の末路は想像に難くない。黒髪黒目の王など、凶兆としか思われなかっただろう。
「ウォーハイド……、この光の聖王国と言われるランドエバーの影の部分、その筆頭に上がる名前です。黒髪黒目のその王子を産んだ王妃はそのショックでそのまま帰らぬ人となり、元老院はそれを受けて、すみやかに代えの姫を仕立て上げた。問題の王子は城の地下の最奥に幽閉され続け、十に満たぬ歳で気が触れて凄惨な死を遂げました。――ランドエバーでも、もうごく一部の者しか知らぬことですが」
「……しかし、それでは」
声をあげた彼の言わんとしていることは容易に知れて、エルフィーナは頷いた。
「そうです。ランドエバー王家の正統な血など、とうに玉座にないのですよ」
ぶわっ――
ひときわ強い風が開け放しの窓から吹き込み、カーテンが大きく踊る。
何事もなかったかのように、エルフィーナは窓辺へと歩み寄ると、窓を閉めた。途端、生き物の様に舞っていたカーテンは力を失って垂れ下がり、それをも閉めようとして手をかけるが、やめる。そのままエルフィーナは曖昧な表情で外の景色を見下ろした。
「ですが……ウォーハイド気の者がランドエバーの王となったのは、二百年近くも前のことです」
「ええ……」
カーテンを閉めて、エルフィーナが振り返る。
「アルフェス様。お気づきの事とは思いますが。もうこの元老院はあの者の手に堕ちています。あの者がウォーハイドの者だというなら……災いを招くというのも真だったやも知れませんね。二百年の時を越えて、今このランドエバーに災いをもたらす存在となった」
「そんな、馬鹿なことが……ッ」
あるか、と叫びたい衝動をどうにか堪える。
エインシェンティアや滅亡へと向かう世界。何事もなく今日が終わって明日が始まるこの世界の陰をアルフェスは知っている。
何が起こったとしても、今起こっていることは夢でも偽りでもないのだ。レガシスが二百年前、悲劇の末路を辿ったウォーハイドの者であろうが否が、災いを招くというならそれを止めねばならない。それだけは確かなこと。
だが傷を押さえてアルフェスは渋面になった。それを悟ったところで、今の自分にそれをどうにかする力などあるのだろうか。
「アルフェス様」
自問するアルフェスのすぐ近くでエルフィーナの声がする。いつの間にかすぐ傍まで歩み寄っていた彼女の、優しい微笑みは聖母のように眩しい。
「光の聖王国と言っても、蓋を開ければそこには闇と背徳がある。迷ってはなりません。信念のない過ちは罪でしかありませんが、信じたものには光がある。いつも正しく優しいものなどないのです」
か細いエルフィーナの手が伸びて、頬に触れる。
「忘れないで下さい。何時如何なるときも、貴方を案じ、その選択を信じる者の存在を」
「エルフィーナ様……貴女は……」
彼女の温かく大きな存在に触れ、無意識に口をついた問いは――
回廊に響く無神経に騒々しい足音に消されてしまう。その主を想像し、アルフェスとエルフィーナは身を固めた。
「いけない、はやく此処を――」
「ありがとうございました、……母上」
「!」
そう言った呼び名に根拠などなかったが、それは彼女のライラックの瞳が驚きに見開かれた瞬間、確信に変わった。だが無情にも扉は開け放たれる。
「貴様……!! ここで何を!!!」
憤怒の形相をして現れたレゼクトラ卿が、金切り声に近い怒声をあげた。
――他の重臣が自分を毛嫌いするのはただの下らないやっかみにすぎなかったかもしれない。だが彼が自分に対して向ける敵意は、それを主とするには尋常でない気がずっとしてはいた。
その理由を、今やっと知った気がする――
(背徳、か)
口の中で呟きながら、アルフェスは素早く剣を抜き――エルフィーナにそれを突きつけた。
「それ以上近寄らないで頂こう、レゼクトラ卿」
鋭い瞳を向けて言うと、予想通りレゼクトラ卿の顔はみるみる真っ赤に染まった。そして、狂乱したように彼は叫ぶ。
「誰かおらぬか!! 狼藉者だッ――!!」
狂ったように叫ぶレゼクトラ卿を哀れむような瞳でアルフェスは見ていた。
彼のこの姿は、レガシスに操られたものなのか、それとも彼自身が持つものなのか。――いや、醜悪な部分など、人の誰もがどこかしらに持つものか。
駆けつける複数の足音を聞きながら、アルフェスはとりとめもなくそんなことを考えていた。