11.真実

 何があっても毎日朝は来る。
 ここには朝の清々しい空気も、柔らかな日差しも何もないが、光が瞼を通して朝を伝え、いつもの目覚めをもたらす。それで、ベッドの中でエスティは大きく伸びをした。よく眠った。だがもう少しまどろみを楽しんでもいいだろう。そのうちリューンやシレアが起こしに来る筈だ。今にも二人の呆れた声が聞こえてきそうな気がした。「いつまで寝てるの、エス」と――
 そこまで考えて、エスティは重い体を起こした。嘆息する。

 ――そんなことはありえない。

 他の二つのベッドを見ると、既に空だった。慌てて無造作に長い髪を束ねる。この腿にかかるほどの長い髪は鬱陶しいことこの上ないのだが、それでもこの髪を切れないのには理由があった。故郷の村の古いしきたりで、一人前と認められるまでは男でも髪を切ってはいけない決まりになっていたのだ。もっともそんな古いしきたりに従っている者など、エスティの他には誰もいなかったのだが。
(破るとじいちゃんが煩いんだよな)
 厳格だった祖父を思い出し、エスティは口の端を持ち上げた。たとえ鬱陶しくてもまだまだこの髪は切れない。こうやって過去を振り返ってばかりいるうちは、自分はまだまだ半人前だ。
 エスティは自嘲気味な笑みを浮かべると、ジャケットを羽織りながら部屋のドアを開けた。
「おはよう、エスティくん」
 間横から声がかかり、少し驚いてそちらを向く。扉の傍で壁に寄り掛かって、イリュアが笑いかけくる。いつから待っていたのかは知る由もないが、やや待ちくたびれた顔をして、彼女は両手を腰に当てた。
「ていうか、おそよう、ね。皆もうとっくに起きてるわよ?」
 悪戯っぽい瞳で顔を覗き込まれて目を逸らす。どうもこの少女には敵わない。
「皆は?」
「とりあえず応接室に集まってもらっているわ。行きましょ」
 ふわりと笑い、踵を返したイリュアの後についてエスティもまた歩き出した。

「遅ぇぞ、エスティ」
 イリュアに案内された部屋に通されると、開口一番ルオが揶揄する。
「まぁ貴殿は昨日真っ先に寝てたからな」
「何言ってんだ。騎士は早寝早起きが鉄則だぜ」
 ぼそりと嫌味を言うアルフェスの頭をぽんぽんとルオが叩き、ミルディンとイリュアがクスクスと笑った。ランドエバーの英雄がすっかり子供扱いである。そんなことができるのもルオくらいだろう。彼らの一連のやりとりに、ラルフィリエルも表情を緩め、エスティも破顔した。場が和んだところで、イリュアが皆に椅子を勧める。
「いろいろ疑問なことや聞きたいことあるでしょうし。どうぞ座って」
 言われるままにそれぞれが腰を降ろすと一転して緊張した空気が場に流れた。
「何から話せばいいかしら」
 金色の瞳に見つめられ、エスティが身を乗り出す。
「……まあ聞きたいことは山ほどあるけど、とりあえずこの“聖域”ってのはなんなんだ」
「あなた達が知るとおり、“古代に最も近い血と力を持つ者”の里よ。古代の災厄を逃れて生き残った古代人の末裔と古代の遺物」
 一度自らも座っておきながら、やはり居心地悪そうにイリュアは立ち上がった。
「サリステルは古代文明発祥の地。でも力あるものはこの不毛の地を見捨ててどんどん外の大陸に渡ったわ。結果ラティンステル大陸で文明はより発展し、栄えた――この大陸も、ここに残った力無き者も皆、見捨てられたモノなのよ。でも皮肉なことに、災厄の後も、混血が進んだ外の者よりサリステルに残った者の方が古代の血を濃く継いでしまった。古代の血のリスクも“見捨てられた者”が全て負うことになったの」
「……それがあの姿か」
 昨日目にしたイルをはじめとする無数の異形の者を思い出して、エスティが唸る。そこで一度会話が切れると、別の声が間に入った。
「えっと……聞いてもいいですか」
 遠慮がちにミルディンが声を上げる。視線が集まったのを感じて彼女は気まずそうに俯いたが、イリュアは微笑んで頷いた。
「ええ、王女。何かしら?」
「ここの民が最も古代に近い力を持つのなら……どうして現代人であるエスティが、エインシェンティアを消去する役割を担わなければいけなかったのですか?」
 エスティが少し驚いたようにミルディンを振り返ったが、彼女は俯いたままだった。
 イルは、祖先が犯した過ちによる危機を、自分達に代わってエスティが止めてくれるのだと言った。祖先の過ちならばイル達もまた被害者にすぎない。さらに彼らは自分の所為でもない“リスク”を負っている。自分達でどうにかしろというのも酷な話だとは解っていたが、それでも――
 なぜエスティでなければならなかったのか。全く無関係だったエスティが、何故何もかもを背負わなければいけなかったのか――
 問われてイリュアは哀しそうに微笑した。
「……エスティ君でなければ駄目だったの。古代人が残したデリートスペルは、エインシェンティアを消去する訳だから、創りだす以上の力が必要だった。どれだけ古代の血を強く残していても、彼らは“見捨てられた者”。創る力も持たないのにデリートシステムを継ぐことはできないわ。……私は、探したの。この力を継げるものをずっとずっと。ガルヴァリエルが力を取り戻し、アルティメット・エインシェンティアの依を見つける前に、どうしてもデリートスペルを使える者を見つけなければいけなかった」
 ふいにイリュアの哀しげな瞳と視線がぶつかって、ラルフィリエルは目を背けた。
「でも私は半ば諦めてた。古代に最も近い血と力を持つ者でさえ扱えないエインシェンティアを、混血が進み、力の衰えた者が扱える訳がないと。時と共に、衰退は加速した。中には力を持つものもいたけれど、とても足りない。ガルヴァリエルがラティンステルに現れて、私は焦った。……本当に皮肉なのは、失われた古代の力を持つものが、この時代に二人も同時に現れたことよ」
 イリュアが言葉を切る。エスティもラルフィリエルも口を開かないままで、その他の誰もが何も言えないでいた。
 恐ろしいほどの静寂。心臓の音までが聞こえてきそうな何の雑音もない空間。ややあって、エスティがそれを引き裂く。
「……あんたと、ガルヴァリエルは、何者だ」
 再び訪れる静寂。だが長くは続かない。あのとき遺跡で聞いた声で、イリュアが囁く。
「私は、デリートシステムの番人。そしてここに眠るエインシェンティアの番人。エスティ・フィスト、もしあなたが“真実”を知ることを望むのなら――それを見せることが私の最後の使命」
「“真実”だと?」
「そう。あなたが私に問いたい全て。何故古代文明が滅びたのか。アルティメットエインシェンティアとは何か。ガルヴァリエルが何者か、そして彼の目的が何なのか。その全て」
「……あのなあ」
 呆れたようにエスティはイリュアを見た。
「望むも何もそれを知らなきゃ、オレは何も決めれないし何もできないだろ?」
「ええ……そうね」
 彼女は微笑を讃えたまま頷いたが、やはりその瞳は哀しみに曇っている。

 ――その意味をまだ彼は知らない――