3.心、苛むもの

「何を驚いているの? エス」

 記憶と違わぬ声で彼が話しかけてきても、エスティは応えることができなかった。
 ありえない。
 頭ではわかっているのだが――
「リューン……なのか?」
 問うと、彼はフッと微笑した。
「冷たいなぁ。もうぼくを忘れちゃったの?」
「まさか」
 その物言いもまさしくリューンそのものであったが、気を許さないまま短く応える。目の前に居る少年は、確かにエスティが記憶している親友の姿と寸分も違わない。だが――
「……だけど……リューンはもう、いない」
 それはエスティが最も認めたくない事実ではあったが、胸の痛みを押し殺してエスティは自分に言い聞かせるように呟いた。しかし、目の前の少年がリューンだと断定できない理由は、実はそんなことではなかった。
 姿は違わない。だが、気配がまるで別人だ。抑えられてはいるものの、こちらに対して突き刺さるような冷たい殺気を感じる。その正体を探るように凝視していると、不意にリューンの笑みに、嘲笑が混じった。
「そうだね、確かにぼくは……死んだ。君のせいで、ね」
 その言葉にエスティが言葉を失う。だがそれに構わず、リューンはにっこりと笑うと左手をかざした。すると何の前触れもなくそこに一振りの剣が現れ、彼の手の中に正確におさまる。
「ぼくは知ってたんだよ? エインシェンティアを発掘したのが、君の父さんだって」
「!」
「君は、話してくれなかったけどね」
 手の中で剣を遊ばせながら、リューンは続けた。
「それに、君はエインシェンティアの暴発を止めるなんて言ってたけど、ぼくの村を守ってはくれなかったじゃない。君がぼくの村のエインシェンティアに気付いていたなら、ぼくもシェオリオも苦しまずにすんだのに」
 一歩一歩、彼は近づいてくる。そして、エスティの間合いギリギリで立ち止まった。
「結局……君はなにもできてないんだ。君の力は人を傷つけるだけ。でしょ?」
 微笑みながら、リューンがその剣の切っ先を、まっすぐエスティの喉元に向ける。先に剣を振り上げたのは――エスティの方だった。リューンの剣が、造作もなくそれを受け止める。
「お前は……リューンじゃない!」
「だったらどうだって言うんだ? ぼくがリューンじゃなかったら、ぼくが今言ったことも嘘になるの?」
 ギィン!!
 重い金属音と共に、リューンはエスティの剣を跳ね上げ、隻眼を見開いて不敵な笑みを見せた。
「ここには真実しか存在しない。ぼくはリューン。リュカルド・シルリス・リージアだ」


 遥か古代より存在するという、“エルダナ”と呼ばれる聖域。
 誰がその名をつけたのか、そもそも何を以って聖域と呼ばれるのか、それすらもわからない、忘れられた聖域。
 何故そんな聖域のことを知っていたのか、解らない。だが、自分は確かにこういった。気をつけろ、と。
(……私の中にある、エインシェンティアからの警告だろうか)
 問うても答えは返してくれない。誰かに問いかけたくても、周囲にも誰もいない。気がついたら、一人になっていた。どうすれば皆のところに帰れるのか――冷静さだけは保ったまま、ラルフィリエルは自分の言葉を思い出していた。
 ――全てのものを試す。確かそうも言ったか。
 試されるのは構わなかった。たとえその結果が可でも不可でも、ラルフィリエルにとってはどうでも良いことだ。だが孤独は嫌だ。
 心細さもある。だがそれよりも耐えられないのが、身体に染み付いた皇帝への“恐怖”だ。彼に踊らされているような、なんとも言えず嫌な気分が身体も思考も蝕んで行く。
「……!!」
 ふと、唐突に気配を感じて、ラルフィリエルは身体を強張らせた。
「……ガルヴァリエル……?」
 最も最悪なケースを彼女は思い描いた。強く剣を握り締める。今唯一自分の身を護ってくれるもの、しかしたった一振りのそれは余りに頼りない。
 だが現れたのは、彼女が思っていた者とは全く異なる者だった。闇を縫って彼女の前に現れたのは――
「……私……?」
 思わず呟く。
 亜麻色の長い髪と、明るい翠色の双眸を持つ少女が、闇にくっきりと映える真っ白な衣服を纏って目の前に立っている。その髪と瞳の色を別にすれば、その少女はラルフィリエルと瓜二つだった。向かいあうと、鏡を見ているような錯覚すら覚える。
「……お前は」
「私は、シェオリオ。シェオリオ・アレアル・リージア」
 問うと、悲愴な表情で少女はその名を歌うように口にした。
 ラルフィリエルはその名を知っていた。それは決して忘れることなどない名前。だが、だからこそ彼女は怪訝な顔をする。
「シェオリオ……? 嘘だ。だって、それは」
「違うわ。貴方じゃない。シェオリオは、リューンお兄ちゃんの妹は、この私よ!」
 ラルフィリエルの幾分狼狽した声と闇を、少女の叫び声が引き裂いた。
「リューンお兄ちゃんを、返して!!!」
 何も言えないでいるラルフィリエルに詰め寄り、少女が叫んだ言葉は、刃などよりも深く深くラルフィリエルの胸を貫いた。