11.宵闇のムーンライト・ブルー
闇はまだ濃く、夜明けには遠い。暗闇の中で、エスティは体を起こした。「行くの?」
すぐ近くで声がかかり、そちらを振り仰ぐ。
「ああ。夜が明ける前にカタをつける」
彼の言葉に、声の主――リューンが頷いたのがわかった。連れ立って外に出ると、そこには月明かりの空と同じ瞳の色をした少女が待ち構えていて、二人は――特にリューンは、動揺を瞳に揺らした。
「……シレア」
リューンが呻く。彼がどんな想いでその名を口にしているのか、闇に紛れて表情からそれを探ることはできない。だが何か言いたそうな彼女が何を言うのかは、皮肉なほどエスティにもリューンにもわかっていた。
「あたしも、連れて行って」
そう言うのはいつものことだ。
だが今回はいつもとは場合が違う。そうすることが自分の命運を変えることになるかもしれないなどと、彼女には知る由もない筈 なのに、彼女の表情は固い。
応えられないエスティと、応えかねているリューン、二人の思いを他所に、別の気配が張り詰めた空気を割った。
「俺も行くぜ」
王都の方角から、見張りをしていたルオが姿を現す。その言葉は許可を求めるものでも確認を取るものでもなかった。既に出ている答だ。
「危険だぞ」
「エインシェンティアが危険だというなら、それはここに居ても同じだろう?」
答えたのはルオではなかった。新たな声のした方を振り向くと、ミルディンを伴ったアルフェスが怪我人を収容している廃屋から姿を現したところだった。
「僕が一緒にいったら足手まといかい?」
「まさか。嫌味のつもりか?」
言葉を返したエスティに、アルフェスがにっと不敵に笑う。
「で、もしかして……王女もか?」
アルフェスの傍らに立つ少女に視線を向け、まさかと思いながらエスティが尋ねると、
「……足手まとい……には、なりませんから」
必死の様相で訴えられ、駄目だとは言えなくなってしまった。困った様にアルフェスを見ると、彼も似た様な表情をしている。
「こうなると僕は、目を離す方が恐い」
「……成る程ね」
だが、それを言うならシレアも似たようなものかもしれない。それにこうなってみると、シレアだけを置いて行くことも不自然だし、アルフェスの言う通り暴発が起こればスティンのどこにいても結果は同じだ。だからといって今すぐこの国を出ろといってシレアが聞く筈もないだろう。
「来るか? シレア」
そう言うと、リューンが驚いたようにこちらを見、シレアはぱっと顔を輝かせた。だが、リューンが驚きを見せたのは一瞬のことだ。彼女だけを置いて行く訳にはいかない事を、リューンも解っている筈だった。
ともあれ、これでセルティ兵に対抗するだけの戦力は充分だ。だが――
「だが、どうしたもんか――不用意に王に接触しても、昨日の二の舞だ」
素通りできない問題に行きあたって、頭をがしがしと掻く。それに対しての明確な策はなかった。
「どういうこと?」
昨日捕えられたれたときの状況を知らないシレアが疑問の声を上げ、エスティはスティン王が暴発の阻止と引き換えに自分達を捕えたことを彼女に手短に話してやった。すると、
「それなら、きっと大丈夫よ」
話しが終わると同時に、妙に確信に満ちた表情で彼女はそう言った。
「何で言い切れる」
「それは……言えないけど。でも、大丈夫。あたしを信じて」
「信じてって……」
強い瞳で訴えるシレアを困った様に見下ろす。
「お前はその言葉に責任が持てるのか? オレ達全員の――いや、スティンの民全ての命がかかっているんだぞ?」
厳しいエスティの言葉にも、彼女の表情は揺るがない。訪れた沈黙を、最初に破ったのはルオだった。
「よし、わかった。俺は嬢ちゃんを信じよう」
「――おじさん」
ほっとしたように、シレアが笑みを浮かべる。
「シレア。わたしもあなたを信じるわ。あなたが考えなしに多くの命を危険に晒すとは思えないもの」
ルオに続いて、ミルディンもそう進言する。その隣で、アルフェスも笑みを浮かべた。
「僕もそう思う。信じるよ」
「……ありがと」
ちょこんと頭を下げたとき、シレアは自分を見つめる視線に気がついた。
「……お兄ちゃん……」
どこか憂いを含んだ声で呟くシレアを、リューンは複雑な――驚きと哀しみが入り混じったような――瞳で見つめていた。そして、少し戸惑いがちに、口を開く。
「シレア……お前、もしかして」
「――エス!!」
だが、その声は彼女自身によって遮られる。唐突に呼ばれ、少し驚いたようにエスティはシレアを見下ろした。その腕を掴み、シレアはまた叫んだ。
「早く行こう、エス!」
「シレア?」
必死の形相で懇願する彼女の様子は明らかにおかしかった。それに気付きミルディンが不安げに声をかける。シレアは微笑おうとしたが上手くいかなかった。そのまま、わけのわからない表情で、助けを求めるように再びエスティを見上げる。そんな彼女の頭をぽんと叩き、落ち着かせるように成るべく優しく、エスティは声をかけた。
「オレも、お前を信じるよ。行こう……シレア。王に会いに」
シレアがほっとしたように表情を和ませる。どの道、夜明け前にカタをつけたいなら彼女を信じるしかないのだ。エスティは、シレアの強い瞳に、全てを懸けることを決めた。
窓から見える夜明けには程遠い濃い闇を、彼は見るともなしに只眺めていた。
いつもの城に、いつもの玉座。
(……あの四人は、脱獄したと言っていたな)
口の中だけで独白する。
王には根拠のない確信があった。彼らはもうすぐやって来ると。
「王! 侵入者です!!」
扉を激しく叩く音と、繰り返されるその言葉に、王は身を起こした。そして、憂いに満ちた表情で、白髪の王は、剣を――
エインシェンティアを手に取ったのだった。