2.金色の占い巫女

「ようこそ」
 唇を笑みの形にした少女は、存外大人びた声でそう言った。
 いささか冷たくも感じられる透き通った声は、しかし次の瞬間がらりとトーンが変わる。
「私の名前は、イリュア・K・ルナー。月を司る月の占い巫女。よくいらっしゃいました、リューンくん、シレアちゃん」
 最初の挨拶のときよりも親しみのこもった明るい声で、彼女はそう告げてきた。唐突に名前を言い当てられ、リューンがまじまじと彼女を見つめる。少し警戒の混じったその瞳を、だがイリュアと名乗ったその少女は何でもないように受け流す。
 一方シレアは、彼らの間でそんな無言のやりとりがあったことに気付くことなく、単純に驚き、感動していた。
「スゴイ!! リューン“くん”って!! お兄ちゃんが男だってどうしてわかったの!?」
 さり気無く視線でプレッシャーをかけていたリューンは、またも派手に肩をコケさせた。「驚く場所が違う……」、リューンが呟くが、イリュアは何故か得意げだ。
「ふふ、伊達に占い師をしてないわ。で、何を占って欲しいのかしら?」
 リューンは何か釈然としないものを感じたが、気にしないことにした。
 それよりも、彼女が何者であるかのほうが今は重要である。だが、問いかけてくるイリュアに邪気はない。ただ単に、凄腕の占い師なのか――

「ねえねえ、お兄ちゃん、何を占ってもらおう!?」

 ――シレアのはしゃいだ声に、リューンはもうそれも気にしないことにした。この二人といると自分のペースを保てそうにない。
「えーっと、やっぱり占うんなら恋愛よねッ!? これからステキな出会いがありますように!」
 問いかけてきたかと思ったら、リューンが何か言う前に彼女は自分で話を進めだした。そして、勝手に完結する。
「シレア、占いはお願いするものじゃないと思う」
 小声でリューンが突っ込むが、イリュアはにこにこしている。
「あら? シレアちゃんはもう、ステキな出会いをしていると思うけれど?」
「――え」
 ひとりで盛り上がっていたシレアが、不意を突かれて動きを止める。リューンにも少し驚いたような目を向けられて、シレアは慌てた。
「だ、だめよう! そりゃアルフェスさんはカッコイイけどミラがいるし! エスティは全然好みじゃないし!! ルオはおじさんだし!!」
 何か特定の人に限りなく失礼なことを口走りながら、シレアがぶんぶんと首と手を振る。
 少し挙動不審気味に、尚もああだこうだと一人で盛り上がるシレアを、リューンは目を細めて眺めていた。その彼に、イリュアはすっと顔を近づけた。そして、その耳元で囁く。
「スティンへ行きなさい。いつまでも自分を嘘で包んでいては、貴方は戦えなくなるわ」
 詩の一節のように、滑らかで流暢なその声に、リューンは隻眼を見開いた。その一瞬、ベールの下の彼女の瞳と視線がぶつかる。

 心の奥を覗き込むような、月の光を放つ金色の瞳。

「シレア! ……と、リューン!?」
 長いようで短いその不思議な一瞬から、聴き慣れた声がリューンを現実に引き戻す。長い漆黒の髪をなびかせながら、声の主――エスティが駆けて来る。
「エス」
「お前、体は?」
 安否を気遣うエスティに、リューンは苦笑した。
「どうってことないよ。ちゃんとリザレクト・スペルが効いてたし」
「そうか……まあいい、今からお前んとこいくつもりだったからな。でも何してたんだ、こんなとこで」
 彼の問いに、シレアがぴょん、と跳ねながら「占いよぉ」、答える。だがエスティはイリュア(とその店)を見て、思い切り不審な眼差しを向けた。その気持ちは、リューンにも痛いほどわかる。だが、シレアは違うらしい。
「どうもありがとう、イリュアさん」
 満足気に、礼を述べるシレアに、
「こちらこそ。ご利用ありがとうございます」
 イリュアもにっこり笑ってひらひらと手を振る。その声も仕草も、さっき囁かれた時とは全く雰囲気が異なっていた。そんな彼女を、しばしリューンは見つめていたが――
 歩き出したエスティとシレアを追って、やがて彼も踵を返した。

「……さってと!」
 3人の姿が、街並みの向こうに消えると、掛け声よろしくイリュアは立ち上がった。
 そして、いそいそと店をたたみはじめる。
「おや? イリュアちゃん、今日はもうお開きなのかい?」
「んーん」
 声をかけてきた八百屋のおかみに首を横に振りながら、クロスをたたみ、ぬいぐるみや看板と一緒に大きめのバッグに仕舞う。ついでに無造作にベールを外すと、それもバッグに放り込んだ。金色の大きな瞳と、やはり同じ金色の、サイドだけ長く伸ばした髪が露になって、爽やかな風が彼女の頬を撫でた。
 優しい目つきで微笑みながら、彼女は不思議そうな市場の女性に明るい声を返す。
「里に帰るの。私の役目は、終わったから」



 街路樹の立ち並ぶ公道を宿へと向かいながら、エスティ、リューン、シレアの3人は並んで歩いていた。――もとい、シレアは相変わらずちょろちょろと店のショーウインドをあちこち眺めながら歩いていたので、本当に並んで歩いると言えるのはエスティとリューンだけだったが。
 ともあれ、唐突なリューンの提案に、エスティは意外そうな声をあげた。
「スティン? どうしてまた……あそこはもう、セルティ領だぞ」
 その反応も予想済みだったのだろう、わかっている、とリューンが頷く。
「でも、だからこそ、セルティの動きがわかる確率が高いし、ここに留まっているよりはセルティに注目していた方がエインシェンティアの情報も得られるかもしれない。……君の“探し物”も見つかるかも」
 意味深なリューンの声に、エスティは一瞬立ち止まって空を仰いだ。それからリューンの前にまわりこむと、ぴっ、と人差し指をつきたてる。
 思わず立ち止まるリューンの前で、エスティは悪戯っぽく目を細めた。
「“ぼくに嘘は通じないよ”……だっけか? お前の得意なヤツ」
 絶句するリューンに背を向けると、エスティはまた歩き出した。
「オレにはお前みたいなマインドソーサルの力はないし、悪いが人の気持ちにも鈍感さ。……けど、その位はわかるぜ?」
 少し遅れて、リューンも歩き出す。
「……ごめん、エスティ」
「謝ることはねーよ。確かにお前が言うことは道理だ。オレだって、ここでいつまでも手をこまねいてるつもりはない。行こうぜ、スティン王国へ」
 気まずそうなリューンに対して、そんな雰囲気を払拭するかのようにエスティが努めて明るい声を出す。
「じゃあ、オレはルオを捜して来るから。お前はシレアと宿で待っててくれ!」
 言うなり彼は背を向けると駆け出した。走ってゆくエスティを見送るリューンの耳に、占い巫女の言葉が蘇る。

 ――自分を嘘で包んでいては――

「あれ? エスは?」
 ひとしきり辺りを見回って戻ってきたシレアを見、リューンは少し微笑んだ。
(――そうだな。ぼくは嘘をつきっぱなしだ。エスにも。シレアにも。自分にも。そして……)
 リューンは空を見上げた。
 彼女のことを想うときは、いつもそうしている。

 例えどこにいても、どんなに離れていても――

 自分の見上げるこの空の下に、必ず彼女もいるはずだから。