1.自由都市レアノルト

 窓から木漏れ日が差し込む。小鳥がせわしくさえずる。何の変哲もない平凡な朝。
 今日も今日とて爽快に、リューンは朝の目覚めを迎えた。ベッドも壁も天井も曇りない清潔な白。どこを見回しても白。病院では普通のことなのだが、面白見はない。個人的に白という色は嫌いではないが、何日もそんな風景の中に閉じ込められていると気が滅入る。
 ともあれリューンは起き上がると、ひとつ大きく伸びをした。長めの髪を手櫛で整えながらベッドを降り、窓を開け放つ。日差しや桟にはたくさんの鳥が戯れていた。
「平和だなあ」
 呟く。
 今までの戦いが嘘のように、平穏な日々が続いていた。
「……暇だなぁ……」
 あのレグラスの戦いから、一か月が過ぎようとしていた。エスティやシレア、ルオの必死の情報収集も虚しく、目ぼしい情報が何も得られないまま四人は未だ自由都市レアノルトにとどまっている。ちなみに重症を負ったリューンはその大半を病院で過していた。
「暇なのは、いいこと……だけど」
 独白を続けつつ、ベッドにかけてある上着を羽織って立ち上がり、
「やっぱぼく、じっとしてるのは性に合わないや」
 リューンはそそくさと病室を出た。


 自由都市、レアノルト。
 現在彼らが滞在しているこの場所は、リルステル大陸の自治都市群の中では最大の人口を誇る。学校や病院などの施設も充実し、商業も盛んでここでしか手に入らない品も多い。勿論食堂や宿も多く、占い屋や骨董品などの出店も立ち並んでいる。戦時中の今でも活気は消えず、戦火に負けることなく人々は変わらぬ生活を営んでいた。
「んー。やっぱここ、いろんなものがあるなぁ〜!」
 呑気な声を上げながら街路を歩いているのは、もちろんシレアである。
 一ヶ月間、彼女は飽きもせずウィンドショッピングを堪能していた。今日も情報収集の片手間に、ショーウィンドを眺めるのには余念がない。
「楽しそうだね、シレア」
 鼻歌を歌いながら歩いていたのだが、突然背後から声がかかって驚く。驚いたのは声をかけられたことにではない。声の主にだ。
「お兄ちゃん! いいの? 起き上がったりして」
 振り向いて、シレアが叫ぶ。心配そうな妹に、リューンは茶目っ気を込めて腕を回して見せた。
「全然平気だよ。それよりシレア、何かわかった?」
 問われ、シレアは肩をすくめると首を振った。いわゆる“全然ダーメ”のポーズである。
「大きな町だから楽勝だと思ったんだけどね。セルティの方も全然動く気配ないみたいだし」
「……そうか」
 複雑な表情で頷く。これで終わりならいいのだが――、そんな有り得ないことをつい考えてしまいリューンは軽く頭を振った。
「他の情報ならたくさんあるわよ。ええと、この自治都市群、一時的にランドエバーの傘下に入るみたい。軍事力が無いから、保護を求めたわけね。ミラは快諾したみたいだけど、ランドエバーだって余裕があるわけじゃないでしょ。なんか分離しときながら都合がいいときだけ保護を求めるって、勝手な話よね」
 石畳を歩きながら、シレアが辛口な批評をしてリューンは苦笑した。
 そのことは彼も新聞で読んだので知ってはいるが、シレアと同じようなことを思わなかったこともない。だが、今回のレグラスの件があったからには無理もないことと言えた。
 ランドエバーもランドエバーで、軍事力で栄えているようなものであるから、友好関係にあるこの自治都市群を護る力もないほど疲弊しているなどと思われれば今後の国政に関わる。ミルディンが快諾したのは困っている自治都市の住民を見捨てられないからだろうが、元老院がそれを許可したのはほぼ見栄と建前だろう。いつでもどのような状況でも、結局我が身が可愛いのは誰も同じだ。
 だが、それが生きていくということなのかもしれない。
「ここにも、騎士団の一部が派遣されてるみたいだけどさ。でも、まだヴァールにはセルティ兵がいるんでしょ? 大丈夫なのかなあ」
「……まあ、セルティの狙いはエインシェンティアだからね。所在が明らかになった以上そんな無闇に攻め込むことはしないと思うけど」
 心配そうなシレアを安堵させようとリューンはそう言ったのだが、
「でもそれじゃミラが危険ってことじゃない」
 不安の色を増したシレアに、失言だったことに気付いた。今ランドエバーのエインシェンティアを所有しているのは、ランドエバー王女ミルディンだ。そして、彼女はシレアの親友でもある。
「アルフェスがついてるんだから、きっと大丈夫さ。今度、また様子見に行こう」
 沈み込むシレアをリューンは明るい声で励ました。それでやっと、シレアにいつもの笑顔が戻る。
「うん! ありがと、お兄ちゃん!」
 弾ける笑顔に、ほっとしてリューンも笑顔を返した。
「えっと、それからね。次の情報!」
 すっかりいつもの調子に戻った彼女は道の真ん中で立ち止まると、向こうの方をびしっと指差した。つられてリューンもそちらを見る。
「あそこの食堂! 安くてすごく美味しいんだって!」
「へ、へえ」
 いきなり情報のグレードが下がり、思わず肩をコケさせながらもリューンは相槌を打った。だが“シレアの情報”はまだ続く。
「あっちのおみやげやさん! 掘り出し物が多いそうよ!」
「ふーん」
 一応、にこにこと頷いてみせる。多少、相槌は適当だが。そんな兄に構わず、さらにシレアは続けた。
「あの病院! ここ一ヶ月、すごく綺麗な女の人が入院してるって話でもちきりよ!」
「ほ〜」
 相槌をうちながら。何故かリューンは嫌な予感が頭をよぎった。シレアが指差した病院は、自分がいた病院であるが、そのような患者は見かけたことがない。
「でね、それ聞いてあたしも見に行こうと思ったんだけど、“亜麻色の髪で隻眼の超美人”ていう噂だったから、やめた」
 やっぱり、と口の中だけで呟き、リューンはがっくりと頭を落とした。ここ最近、なんとなく周囲が騒がしい気はしていた。
「あとね。あそこが、良く当たるって評判の占いやさんよ」
 もう絶対に退院しようと心に決めるリューンの隣で。最後にシレアが指差したのは立ち並ぶ出店のひとつだった。まだ遠い目で空を見上げているリューンの腕をつかみ、シレアがはしゃいだ声をあげる。
「ねえ、一緒に行ってみようよ〜! あたし、占いって雑誌では良く見るけど、実際にやってもらったことってないんだよね〜」
「占いかあ……」
 シレアに揺さぶられて我に返ると、リューンは彼女の指す出店を見た。占い屋というと、なんとなく陰気な館や老婆などを思い浮かべてしまうのだが、そこにあるのはそういったものとは全くかけ離れたものだった。市場の出店に混じって、簡素な木ごしらえのテーブルにチェックのクロスをかけ、あまつさえ縫いぐるみなどを置いている。その横においてある手製のたて看板には、「うらないします」と大きな可愛らしい字が、クレヨンで書いてあった。
 そのテーブルの向こうに、黒いベールを目深に被った(占い師っぽいのはそこだけである)少女――顔は見えないが、背格好から見ると女だろう――が、となりで野菜を売っている八百屋のおかみと楽しそうに喋りながら座っていた。
「……占い屋? あれが?」
「そうよ! もう当たるって評判よ!!」
 立ち尽くすリューンの背中を押して、シレアはその占い屋へと歩み寄った。マジで? と小さな独白を置き去りに、リューンは妹に引きずられるようにして、その怪しい占い屋に行く羽目になったのだった。