リゼルの動きは、サーラが手を翳すよりティラが悲鳴を上げるよりも早かった。ティラの手を握った手はそのままに片手だけで抜刀し、その勢いを殺さないまま刀を振り抜く。その軌跡の後には両断されたキメラの体が残り、一拍遅れて咆哮が上がり、だがその頃には塵と化したキメラの体を風が攫っていた。何も無くなった空にリゼルが息を吐き出し、抜き身のままの刀を降ろす。
「……変な感じだな。手応えはあるのに何も残らないっていうのは」
刀を握る自分の手を見つめながらリゼルがそんなことを言い、サーラは翳しかけてその必要が無くなった手を腰に当てた。
「半端な生命エネルギーは完全な体になることはできず、奴らは完全なものを求めて襲い掛かる。……哀れだと思わないか。それでも奴らは生きているんだ」
憂いを帯びたサーラの声を風が運び、リゼルは顔を上げた。
「だから金の為にキメラを屠るハンターは嫌いだ」
腰に当てた手も降ろして、サーラは兄妹に背を向けた。ブレスレットが鳴る音に消されそうなほどサーラの声は力なく、弱かった。それまでに見せていた彼女の凛とした強さを全て覆してしまうほど哀惜に満ちた声に、応えたのはリゼルだった。
「サーラさんは優しいんだね」
「君の言葉はいちいち陳腐だ」
首だけで振り返ったサーラの瞳と同時に落とした声には嘲りの色があった。それに対しティラがむっとして口を開きかけたが、先に言葉を続けたサーラがそれを遮る。
「……キメラから見れば私もハンターも同じ。違うと思いたいのは単なる私の自己満足だ」
「でもそれで満足できるのは、サーラさんが優しいからだと思う」
その嘲りが、リゼルへのものではなく自分自身へのものだったのだと――
兄は最初からきっと気付いていたのだろう。見上げた兄の視線は真っ直ぐにサーラに向けられて、その先でサーラの憂いに満ちた表情が少し色を変えた。
「フツーはそんなことで満足を得ようとしない。そして満足しようとしている自分を責めたりしない。飽きもせずに金とか権力とかを欲したりするもんだよ」
ぎゅう、とティラが強く兄の手を握り、それに応えるように兄が強く握り返してくる。そして、離す。
「そこから動かないでね、ティラ」
放心したようにこちらを向くサーラの背後で、いくつもの気配が揺らめき始める。さすがに一瞬後にはサーラもそれに気付いてはっとした。
「行っていーよ、サーラさん。俺、キメラから人を守る正義の味方になろうと思ったけど、キメラのためにキメラを救う正義の味方になってみる」
刀を構えながらリゼルがにこっと笑う。見慣れた気の抜ける笑顔と、聞きなれてきたアホな台詞が、いつもとは違って聞こえてサーラはまた苦笑した。ずいぶんと毒されたものだ。
「……正義ほど陳腐な単語はないと思っていたが。君には似合っているかもな」
咆哮がサーラの言葉の後半をかきけして、彼女めがけて闇を裂いて光るキメラの爪が踊る。だがひらりと身を翻してそれを避けたサーラは、押し寄せるキメラの群れに突っ込み、そのまま姿を消してしまった。入れ替わるように雪崩れこんでくるキメラ達の胴体に、白刃が閃いて行く。
そして塵になったキメラの体を、次々に風が運んでいった。
■ □ ■
塵が頬を掠めていく。それを視界の端に留めながら、サーラはキメラの群れを逆流していた。
塵と一緒に牙や爪も肌を掠めていくが、それを紙一重で避けながら、サーラは走り続けていく。すれ違い様に襲い掛かってくるキメラ達も、一度やり過ごしてしまえば深追いはしてこない。それは近くにもっと容易に食える“餌”があるからだ。しかも二つも。
キメラは基本的に“発生ポイント”からそう遠ざからない。そして、より弱いものを見分けて襲う。魔成生物である彼らの強弱の判断は魔力だ。つまり強い魔力を持つサーラは、他人と一緒にいれば真っ先にキメラのターゲットからは外れる。持ち合わせる知識と今までの経験からサーラが立てた作戦は、誰かを囮にして、その間にポイントを探し当てて消滅させることだった。
そしてリゼルはその囮に最適な人物だった。
すぐ死なれては囮の意味がない。それ以前に、さすがに死なせてしまっては後味が悪い。だからと言って、強すぎる力を持てばターゲットにはならない。その点リゼルは物理攻撃のみでずば抜けた戦闘能力を持ち、さらにサーラにとって都合の良いことには深追いする気と知識がない。これ以上にうってつけの人物はいない。
ポイントを消滅させれば、少なくともそれを発生源としているこの辺り一帯のキメラは消える。彼ならそれまで持ちこたえてくれるはずだ。
しかし、ティラの存在が気がかりだった。誰かを守りながら戦い、両方無事でいることは格段に難易度が上がる。焦燥感にサーラは舌打ちした。自分らしくない。
「急がないと」
認めながらも呟くと、サーラは目を閉じ手を翳した。
『“探査”』
呟きと共に、目には見えない力の奔流が周囲を取り巻いていく。だが彼女が望む結果は得られなかった。
「……何故?」
問いかけに答えられる者などいないことを知りながら、彼女は何故と問う。焦燥が冷静を侵食していた。
キメラの群れと、それが押し寄せる方向、そして地理とこの地に属する魔力から、サーラはある程度ポイントのアタリをつけていた。だからこの結果は完全に予想外だった。
「だったら何故、群れはいつも同じ場所に止まる? ポイントを守るためじゃなければ……」
焦燥を抑えて、思考を働かせる。だが思いついた結論は、およそ自信の持てるものではなかった。
隠すため?
口の中だけで呟いて頭を振る。
「キメラにそんな知能はない。いや、なかった……筈だ」
だがそもそも、キメラの発生自体がもともとはなかったことの筈だ。それに、その数は程度を増して、行動範囲も少しずつだが広がっている。
「――リゼル」
ついに焦燥が全ての感情を上回ると、サーラは唇を噛み踵を返した。