ストレンジツインズ 兄妹と銀紫の魔女 8


『高き天に住まいし――』

「やめなさい!」
 紡がれかけたスペルをぴしゃり叩きつけるように掻き消す。その後で、黒髪黒目の少女は、金髪碧眼の少年をきっと強く睨みつけた。その色彩と表情の違いさえなければ、二人は鏡合わせのように良く似た面差しをしている。
「こんなかすり傷に命を削ってどうするの!」
 ヒステリックに叫ぶ声に、おずおずと少年は印を切りかけた手を下ろす。
「でも、マリス……、まだ血が」
「だから何だというのよ!」
 ぐい、と忌々しそうに、マリスは――少女は喉元の血を乱暴にこすった。白く小さな手が赤黒く汚れ、そのことにまたマリスが苛立ちを見せる。
「退くところじゃなかったわ。慎重なのは結構なことだけど、ユリス。慎重なのと臆病なのは違ってよ」
「……マリスが傷つくのは嫌なんだ」
 拗ねたようにユリスが呟く。自分を慮ってのこととわかっても、マリスの苛立ちは依然として消えなかった。地団太を踏んで、年相応の少女のように純粋な苛立ちを周囲に振りまき続ける。といっても、夜明け前の路地裏には、自分と双子の弟以外誰がいるわけでもないが。
「甘いことを言わないで。傷ついても血を流しても、そんなことは些細なこと。この世界をあたしたちに跪かせるには小さな過程」
 言い聞かせるように、強くマリスは言葉を噛みしめた。マリスの言葉の全てを受け入れ切れないユリスも、その言葉には同調するように、強く幼い表情を引き締める。
「ふざけた兄妹。まずはあいつらから跪かせましょう。それから」
 銀紫の魔女も。
 年頃の幼さを消し、そう言ってマリスが妖艶に笑って謳う。それを聞いて、ユリスの表情もまた、残忍な笑みを宿す。
 そして、双つの小さな影は、暗がりからゆらりと揺らめいて消え去った。

■ □ ■ □ ■

 それから、幾つ夜が明けたのか。
 慣れた揺れにぼんやりと揺られながら、ティラは小さな窓から流れゆく景色を、見るともなしに眺めていた。
 ひゅうひゅうと、胸の穴を風が抜けて行く。そのこともその理由も自覚していながら、だが何かをするような気力はまるでなかった。最近、同じような感覚を味わったときにそれでも動けたのは、だけどまた会えることが解っていたからだ。
 必ず来てくれると信じていたから。
「……お兄ちゃん……」
 そんな言葉は、喉の奥に引っかかった。
 素直にそう呼んで後をついてまわれた、何も知らなかった幼い頃は幸せだった。そんな時間がずっと続くと、何の疑いもなかったから。
 胸に過ぎるのはそんな過去のことばかりで、これからのことに何も結びつかない。らしくないとわかっていても、ただ連盟の馬車に揺られ、ぼんやり過去の思い出に浸るしかできていなかった。この数日間ずっとだ。
 だが。
「間もなくヴァニスに差しかかります。少し休憩されますか?」
 同席する連盟員がそんなことを聞いてきて、ティラははっと顔を上げた。
 はっとしたのは、声をかけられたからではない。これまでも食事や小休止、夜を越すのに何度か馬車は降りている。無視するわけにもいかないから、上の空で返事をしては、味のない食事や空虚な夜を過ごしてきたけれど。
「……もうそんなところまで戻ってきたのね」
 ヘイルと見つけた遺跡もとっくに過ぎて、兄と歩んできた道を逆戻りして。
 兄とヴァニスに辿りついた頃には、もっと強い自分を持っていた筈だった。命を危険に晒しても、曲げられない想いや信念が確かにあったのに。
 なのに、今の自分はどうだろう。
 ここに着いた頃の自分は、例え何があっても、兄の傍を離れたりしなかった筈だ。
 戻ってこないことを疑ってとか、足手まといになることを厭ってとか、そんな葛藤は小さなことで――ついていったのは、もっとシンプルなただひとつの譲れない想いのためだ。

「一緒にいたかった。ううん、一緒にいたい」

 トラブルづくめの旅でも、呆れてしまうくらい破天荒な兄でも、大好きなかけがえないたった一人の兄だから。

 蘇った強い想いを噛みしめながら、ティラは休憩を受け入れる返事を返した。間もなく馬車が停まってステップを踏む。風を頬に感じながら外を見渡すと、真っ先にヴァニス城が目に飛び込んでくる。それを見上げ、ティラは兄との旅を思い出していた。そうして歩き出しながら、ティラはこの馬車に戻らないことを密かに誓うのだった――。


- 兄妹と銀紫の魔法 完 -


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