ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 13


 咄嗟に動けだせないイリヤに変わり、リゼルは立ち上がると、スカートをつまんで会釈した。
「初めまして。あなたがこの国の王様ですか?」
 無垢な笑顔を装いつつ、さりげなく切り込んでみる。だがシルヴァスは実にあっさりと首を横に振った。
「いや、今この国に王と呼べる者はいない。急なる指導者の不在に、今この国は疲弊している。君の歌はそんな者達の癒しになるだろう。どうか、この国に留まり歌って欲しい。大した恩賞を与えることはできぬが、君がこの城に暮らすことを拒む者はいないだろう」
 そうして、この国の者の為に歌って欲しいと言うシルヴァスに、演技めいたものは見当たらなかった――少なくともリゼルには、シルヴァスが真剣に国を案じているように見えた。顔つきは精悍だが、黒髪には白いものが混じり、目の下には濃い隈がある。隠しようも無い疲労が全身から見て取れた。その姿は、着飾り高笑いをするヴァシリーとは対照的だ。
「……そうでしょうか。しかし私は下賤の身。城の高貴なる方は反対なさるのでは?」
 ヴァシリーを思い出し、そんな風に問いかけてみる。誰にそんなことを言われたのだとでも言いたげに、当初シルヴァスは不思議そうに首を捻っていたが、やがてああ、と思い当たったように身を屈めた。
「もしかして妃殿下に……ヴァシリー様にお会いになられたか?」
 シルヴァスが屈んだので、見上げていた視線を真っ直ぐに戻す。リゼルが取った行動はそれだけだったが、シルヴァスが欲していたのはもとより肯定でも否定でもないようだった。
「しかし、ヴァシリー様も君の歌を聴けば少しはお心が安らぐことだろう」
「どういうことですか?」
「あの方は、動転しておられるのだ」
 再び顔を上げ、姿勢を正してシルヴァスは部屋の中央へ向けて歩き出した。その背を振り返ると、長身なのにも関わらず酷く小さく感じた。
「いや……皆が動転している。ようやく新たなる一歩を踏み出そうとしたそのときに、指導者が手を引かなくてどうするのだ」
 独白のような呟きを耳にして、リゼルはそっとイリヤの表情を盗み見た。だが、彼女は俯きながら、食い入るようにシルヴァスを見つめるばかりで真意はよくわからない。彼女もまた、見極めようとしているのだろう。自分のその目で。
「あなたが指導者にはならないのですか?」
「私では器が足りぬだろうよ。しかし、私がやらねばどうしようもあるまい。彼の遺したものを失う訳にはいかないのだ。そう日々自分を奮い立たせねばやっていられない」
「子は」
 ふいに上がった声は、シルヴァスのものでもリゼルのものでもなかった。ふとすれば空耳かと思うほどにか弱く小さな声が、シルヴァスの語尾に被さる。そこで初めて、シルヴァスの視線がイリヤに向いた。その視線にびくびくしながらも、俯いたままイリヤは震える小さな声を紡ぐ。
「子はおられなかったのですか、その指導者に」
 シルヴァスがまじまじとイリヤを見つめ、イリヤが慌ててリゼルの陰に隠れる。怯えたような態度に、失礼、とシルヴァスはイリヤから視線を外して咳払いし、再びリゼルに向き直った。
「……その方もまた、王の遺したものだ。君の妹と変わらぬ、年端のいかぬ少女だ。どうしてその小さな肩に、この国の命運などを乗せられようか。私は彼女が潰れるのを見たくなどないし、心無いものに利用させる訳にもいかない。彼女を護るためにも私でなくば駄目なのだ」
 びくりと背中でイリヤが震えた。それを確かに感じて振り返る。イリヤはまだ俯いたままで表情はわからなかったが、ぎゅうとこちらの服の端を握り締め、千切れるのではないかというほど力を込めているのが震える拳から伺えた。
「――嘘」
 そして、震える声が唇から床に滑り落ちる。リゼルが止める前に、イリヤの感情は堰を切ってしまったようだった。
「嘘よ! あなたはお父様が作ったこの国と民の心が欲しくなっただけですわ! そうしてわたくしからこの国を奪おうとしているのよ」
 ふう、とリゼルが溜息をつく。演じる必要がなくなったと知り、貼り付けていた笑顔を解いて、背に匿っているイリヤをシルヴァスの前に出した。
 その言葉と声から連想できる人物は、シルヴァスにとってひとりしかいないだろう。だがそれでも咄嗟には理解できていないようだった。無理も無いことで、その人物はこんなところに、町娘と変わらぬいでたちでいるはずがないのだ。
「まさか……イリヤ様? どうしてこのようなところに……その御髪はどうされたのです」
「そうでしょう、あなたの計略なのでしょう。お母様がそう言っていた! あなたがわたくしから全てを奪うのだと!」
 驚きを隠せない様子で近寄ってくるシルヴァスを、避けるようにイリヤは飛びのいた。そして逃げるようにじりじりと後退する。それを見たシルヴァスは、沈鬱な表情でイリヤに近寄るのを止めた。
「私が、あなたから何を奪える筈がありましょうか」
「お願い、クレイヴ……嘘だと言って。あなたが、あなたまでもがわたくしの為にと言うならば、わたくしは一体何を信じれば良いの!?」
 こめかみに両の手をあて、イリヤははげしくかぶりを振った。問いかけておきながら、およそ人の話を聞こうという態度ではないイリヤに、リゼルが制するように手を伸ばす。だがシルヴァスがその手を掴んで止めた。
「ご自分をお信じ下さい、イリヤ様。何が真実かは、自分で判断するほかはないのです。だからどうかお逃げにならぬよう。あなたがご自分で考えて、王になるというのなら私は止めません。しかし、現実はよくご理解下さい。王など決して華々しいものではありません」
 イリヤの両手が、こめかみから耳にうつる。なおも彼女はかぶりを振ったが、シルヴァスの朗々とした声が届いていない筈はなかった。
「よくお考え下さい。そして自分が出した結論を信じるのです」
 ゆるゆると。首を振る力は弱まっていき、耳を押さえていた手は今度は顔を塞いだ。指の間から透明な雫がおちて床にはじけるのを見て、リゼルがふう、と大袈裟に息をつく。
「現実を見据えて虚像を看破し、信念を持って貫くには少し辛い歳じゃないかな。それよりはまだお母さんに甘えたいと思うよ?」
 はっとしてシルヴァスがリゼルを見る。だがそのシルヴァスの表情を見る前に、パン、という音と衝撃がリゼルを襲っていた。
「わたくしは、そんなに子供ではありませんわ!」
「……なのに強く在ろうとしてしまう。見てて痛々しーんだよね、そういうのは」
 頬を撫でて、リゼルは苦笑した。目に涙をためながらも、肩を怒らせてこちらを見るイリヤの瞳に甘えはない。強くまっすぐなブルーアイ。よく知った瞳。
「ま、たまには近道もいいんじゃない? 丁度、教えてくれそうな人がいることだし」
 だが、そんな言葉を口に乗せると、イリヤの勝気な瞳は疑問符を浮かべて揺れた。にっこりと笑いながら、リゼルがすっと服の中に右手を入れる。怪訝な顔をするイリヤとシルヴァスの前でその右手を引き抜くと、白銀の刀身が姿を表す。
「とう」
 奇術ショーでも目にしたように目を点にする二人の前で、リゼルはそれを天井に向かって投げた。音もなく刀は天井に吸い込まれ、ぎゃ、という悲鳴が落ちてくる。
 そこでようやくシルヴァスは顔をこわばらせると衛兵を呼びつけた。
 まだ目を点にしたままのイリヤを見て、リゼルはもう一度、にこっと笑った。



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