ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 12


「うう、何か凄く不愉快だ」
 苦虫を百匹くらい噛み潰したような果てしなく嫌な顔で呻いたリゼルを見て、イリヤもまた不快そうに眉を潜めた。
「それがレディと一緒にいるときに言う言葉でして? あなた方兄妹はどこまで失礼なのかしら」
「あ、ごめん。違うんだ。俺のアンテナがなんかとても不快なものを受信しただけ」
「何を言っているのかわかりませんわ」
 アホ毛を撫で付けているリゼルを横目で見ながら、イリヤは小さく溜息をついた。
 衛兵に「ここで待て」と通された部屋で、さていったいどれくらい待ったのだろうという時間が過ぎても、シルヴァスは現れなかった。最初は緊張していたイリヤも、今は飽きてしまって欠伸をかみ殺している。
 リゼルは撫で付けても撫で付けても跳ね上がるアホ毛から諦めたように手を離し、その手をテーブルの上で組み合わせて顎を乗せた。
「……にしても。シルヴァスって、最近どこかで聞いたような気がする名前だなー」
「今更ですの? フリートの姓ですわ」
 リゼルの呟きに、呆れと欠伸の両方が混在した、複雑な声をイリヤが返す。ああ、とリゼルは返事をして頭を上げた。だがすっきりしたのは一時だけで、一瞬後には違う疑問が頭を過ぎっていく。
「……それって、どういうこと?」
「クレイヴ・シルヴァスは元グランヴァニスの貴族で、古くからのお父様の親友ですわ。そして、フリートは孤児で流れの剣闘士でした。その腕を買ったお父様がフリートを引き取り、クレイヴが養子にしたんですの。それから、わたくしとフリートは兄妹のように共に育ちました」
 イリヤの言葉を元に、リゼルは頭の中で人物の相関図を作って行った。そこに今までの情報も加えて、最初から考え直してみる。
 まず、最もリゼルが気になっていたことは、町であれほどの殺気を感じていたのに、終ぞ襲われることはなかったということだ。フリートと大乱闘をしていたときなどこれ以上ない好機だっただろうに、それでもイリヤは無事だった。その為、もしかしたらただの脅しかもしれないと思っていたのだが、フリートがシルヴァスの養子だというのなら、息子の身を案じたのだろうか。
(いや、それより)
 そこまで考えて、リゼルは考えを打ち切り頭を横に振った。
 もし本当にシルヴァスがイリヤの命を狙っているのだとすれば、もっとおかしなことがある。
「それじゃあ、フリートが一番危ないじゃないか。もしシルヴァスが君の命を狙っているなら、フリートを使うのが一番手っ取り早いでしょ?」
「そうですわね」
 あっさりとイリヤは肯定した。そのリアクションを見る限り、イリヤも同じことを考えたことがあるのだろう。
「その危険を承知で、君はフリートを側に置いていたの?」
 これにもあっさりイリヤは頷いた。そして、腑に落ちないといった表情のリゼルを見て、ふっと笑ってみせる。
「そうね、では例えば、あなたがいなくなればいいとティエラが願ったとしたら……あなたはどうしますか?」
 まっすぐに目を覗き込まれてそんなことを問われる。最初何を言われているのかわからなかったが、理解してしまえば複雑な顔をせざるを得なかった。
「……多分側を離れたりはしないな。殺されてもそれでいい」
「でしたら、あなたもわたくしと同じですわね」
「そうか。そうだな」
「あなたみたいな妙な男と同じなのは、不本意ですけれど」
 そっぽを向いて、照れたように付け足すイリヤを見てリゼルが「ちがいない」と笑う。ますます変な人だと思いながら、でも、とイリヤは逆説をつけた。
「でも、あなた意外と取り柄は沢山あるようね? 見事でしたわ、歌。なんという歌ですの?」
「知らない」
 笑顔で即答され、イリヤはソファから落ちそうになった。
「し、知らないんですの? わたくし、本当にあなたは吟遊詩人なのかと思ったのに」
「そんなわけないじゃーん。あんなにうまくいくとは思わなかったから自分でも結構びっくりしたくらいだしー」
 空いた口が塞がらない。
 綿密な計画の上かと思えば、出たとこ勝負だったらしい。この男には呆れることばかりだが、今度という今度は、本当に呆れた。言葉を無くして口をぱくぱくしていると、さすがに罰が悪くなったのかリゼルは済まなそうに頬を掻いた。
「あの歌はねー。母上がよく歌ってただけで、なんて歌なのかどういう意味なのか俺もよくわかんないんだ」
 呟いた独り言に、またイリヤの表情が変わる。今度は、どこか羨望のようなものが混じった表情だった。
「お母様も、さぞ歌がお上手なのでしょうね」
「いや……」
「わたくしの母を、軽蔑したでしょう? でもね、前は違ったの。もっと優しくて、温かくて、わたくしが眠るまでずっと歌を歌ってくれた」
 イリヤは、きっと母という言葉に反応したのだろう。寂しそうな、哀しそうな横顔に、ヴァシリーの姿を思い出す。
 自分と娘以外の全てを蔑んだような目。確かにそれは見ていて気持ちの良いものではなかったが。
「きっと、イリヤのことを守ろうと精一杯なんじゃないかなー。俺の母上なんて、別に歌上手くなかったしあんまし優しくなかったし怖かったし怖かったし怖かったし」
「なんですの、それ」
 茶化してみせると、イリヤは笑った。その笑顔に安心しながら、だが思考は全く違う所に行ってしまう。
 もし、イリヤの命を狙っているのがシルヴァスでないのなら。息子を案じて脅しで終わったのではないのなら。
 ――娘を案じて、脅しで終わったとするなら? その罪をシルヴァスに着せて失脚を狙ったとしたなら――
「I do not want to get a matter of certain For "is" or "is not" I define I hope, and hold out my hand to one slender woman To thy lip, to thy green eyes.」
 それを言葉にするのはやめて、代わりに歌を口ずさむ。
 お世辞にも歌が上手いとは言えなかった母が口ずさんでいたその歌は、実のところ正確な音程がわからなかったりもするのだが。
 歌詞にしたって、どこの国の言葉でどういう意味なのかも解らない。それでもリゼルはこの歌が好きだった。悲しいときには口ずさんだ。悲しい旋律だから余計悲しくなるのだけど、そうしてひとしきり泣けば元気になれた。
 だから、イリヤも少しでも元気になればいい。
 心を込めて歌い上げると、拍手は意外なところで起きた。
「――いや。済まない。思わず聴き入ってしまったものでな。待たせて申し訳なかった、私がシルヴァスだ」
 いつの間にか開いていた扉の向こうで、黒髪黒目の40代半ばの男性が、惜しみなく何度も手を叩いている。
 聴き入っていたイリヤが我に返って俯く。そこにある緊張を感じ取って、リゼルも表情を引き締めた。



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