ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 11


 ティラが固く閉じた目を開けると、すぐ側にフリートの険しい横顔があった。さっきまで窓の側に並んで立っていたのに、気が付くとフリートに抱え上げられ、窓からは少し離れたところにいた。恐らくは、窓からの侵入者と降りかかってきた硝子の破片から、フリートが守ってくれたのだろう。ティラには傷ひとつなかったが、フリートの頬には赤い線が走っていた。そして、彼が鋭い視線を向ける先には、黒装束を纏った者が三人、刃を抱えている。
「離すなよ」
 囁くや否や、フリートが動く。それと同時に、黒装束も動いていた。慌ててティラがフリートの太い首に抱きつく。
 ひゅっと空を裂く風が首元に触れ、その正体を想像してティラは震えた。ティラはフリートのように戦いなれていないし、リゼルのように強いわけでもない。こういった事態に縁もないから、悲鳴を上げて逃げ出したかった。だがその衝動のままそうするほど愚かでもなかった。
 恐らくそうすれば、待っているのは死だ。そう直感させる黒々とした空気がそこにあった。これにもまた縁がなかったが、恐らくこれが殺気というものなのだろう。
 悲鳴を殺し、ただフリートにしがみつく。そしてフリートは、そのティラをしっかりと抱えながら、落ち着いた身のこなしで双方から襲い来る刃を紙一重で避けて行った。そうしながら、少しずつ窓の方へ近づいていく。やがて完全に侵入者と立ち位置が入れ替わると、フリートは迷わず窓から飛び出した。
「ちょっとっ……!」
 さすがにティラの喉から悲鳴が漏れる。イリヤの部屋に来るまで、階段を5回は上った記憶がある。その記憶に違わぬ高さが唐突に眼前に広がり、ティラは再び固く目を閉じた。胃が浮いて悲鳴を閉ざし、どんなにきつくフリートの体を掴んでも、落下する感覚は容赦なく体を襲い、だが一瞬後には強い衝撃とともにそれらのものは全て消え去った。
「もう大丈夫だ」
 低い声に、ようやくティラは全身の力を抜くと、目を開けた。裸足のままの足の裏に土の感触を感じ、木陰の隙間から太陽の光が差し込んでくる。ぼんやりとそれを見て、それから慌ててきつくフリートにしがみついていた手を離す。そしてティラは思わず周囲をきょろきょろと見回した。
「大丈夫だと言ったろう。ここは城の中庭だし、声を上げれば他の衛兵が気付く。恐らくここまでは追わない」
「あ、いえ。そっちじゃなくて、ある意味そっちよりタチが悪いのが来たらどうしようと思って」
「?」
「なんでもないです。気にしないで下さい」
 しばらく待っても、激怒した兄が「他の男にくっつくな!」と叫びながら地響きを立てて駆け寄ってくる気配はなかったので、ティラはひとまず安堵するとフリートに向き直った。
「庇ってくれてありがとうございます。……血が」
「お前の兄と約束しているからな」
 淡々と言いながら、フリートが頬の血を拭おうと無造作に手を持ち上げる。だがティラはそれを止め、傷に自分の手を翳した。

『“貴き神の御使いよ。我が手に寄りて癒しの光となれ。起死回生(リザレクション)”』

 淡い光がティラの手から零れ、フリートの傷を癒す。ティラの手が離れてフリートが血を手の甲でこすると、そこにもう傷はなかった。
「……お前、魔法が使えるのか?」
「少しだけです。古代では死人に近い者まで蘇らせたという癒しの魔法を用いても、小さな傷を治すだけで精一杯ですけどね」
「だが、魔法を使う者などおれは初めて見た」
「普段は使いません。でも私のせいでできた傷だから……それより」
 柔らかい笑顔を浮かべ、そしてティラはすぐにそれを消した。それに合わせて、フリートも表情を固くする。
「これが、ただの脅しですか? 彼らは本当に殺す気に感じたのですが」
「ああ。今までとは違う。明らかに本気だった。牽制でもなんでもない」
 はっきりとフリートが肯定して、改めてティラは戦慄した。ひとつ間違えば命を落としていたかもしれない。その事実が心を空寒くさせる。そして、大変なことを引き受けてしまったのだと、解っていた筈なのに今更のように痛感した。あれほどまでにリゼルが止めた理由も今なら解る気がした。
「……ヴァシリー様の気が変わらないのに業を煮やして、脅しから暗殺に切り替えたか、それとも……」
 フリートの黒い瞳が、じっと真っ直ぐにティラを射抜く。見つめてくる瞳の奥は、きっと同じことを考えているのだろうとなんとなくティラには解った。
 もちろん、フリートが今しがた言ったことも十分にありえる。だが、今このタイミングで。
 イリヤとティラが入れ替わった、このタイミングで。
 これはただの偶然なのだろうか。
「……それとも、私とイリヤが入れ替わったのを知って襲ったのなら。どうしてイリヤではなく私を狙ったの?」
 フリートは答えない。というよりは、答えられないのだろう。同じ疑問を、今フリートも考えていたに違いなかった。
 答えを欲するなら、それは自分で探すしかなさそうで――ティラは両手をぎゅっと握り締めた。


 その夜ティラは湯を浴びて豪勢な夕食を食べ、寝巻きに着替えてベッドに入ってから百秒数えて起き上がった。
 シルクのネグリジェの上にガウンを引っ掛け、ブーツに足を突っ込んでそっと部屋の扉を開ける。
「何をする気だ?」
 影のようにそこに控えていたフリートが、険しい顔をこちらに向ける。
「先刻狙われたばかりなんだぞ」
「だからこそ、黙って襲われるのを待っているのも癪でしょう」
 そう言い放ち、スタスタと歩き出したティラを見て、フリートは溜息をついた。
「滅茶苦茶なのは、お前の兄ではなくお前の方だな」
「だったらついてこなくて結構です」
「約束がある」
 心外なことを言われたので思わずティラは突っぱねたが、フリートは一言で、さらにそれを突っぱねた。その一言に、ティラが苦笑する。実際、それでフリートに「では一人で行け」と言われてしまえば途方に暮れるしかない。またさっきのように襲われればひとたまりもないし、目的の場所へたどう行けばいいのかもわからない。フリートだってそれは解っているはずだ。なのにわざわざ、律儀に約束を持ち出して守ってくれようとしている。
「……ありがとう。正直怖いし、どこに誰がいるのかもわからなかったの」
 足を止め、フリートを見上げて素直に礼を述べると、フリートは少し苦笑して見せた。表情のない男だと思っていたが、こうして少しの間でも一緒に居てみると、意外とそうでもないのだと気付く。
「約束もあるし、お前は何か、放っておけない」
 そんなことを言われ、ティラは赤面した。だがいきなりひょいと抱え上げられ、足が宙を泳いで少し慌てる。
「あの……」
「二人でぞろぞろ歩いたら目立つ。それにお前は足音も消せない。……どこに行きたい」
 問いかける前に正論を返され、ティラは後の言葉を飲み込んだ。とりあえず、兄のアンテナが不穏な空気を感知しないことを祈ってみながらフリートにつかまり、そしてティラは小さく、だがはっきりと告げた。
「ヴァシリー様のところ」
 フリートに特にリアクションはなかったところを見ると、予想はしていたのだろう。一瞥だけで返事をくれて、それからフリートは影のように動き出した。



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