ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 7


 ノックの音に、ティラはまどろみから引き上げられた。兄を押しのけて起き上がり、眠い目をこすりながらカーテンを開けると、丁度空がしらみ始めたところだった。随分と気が早いものだと苦笑しながら寝巻き上にマントを羽織って扉を開ける。
「答えは決まりまして?」
 その向こうに現れたイリヤは開口一番にそう言ったが、ティラは答える前に思わず吹き出してしまった。
 けらけらと笑うティラを見て、イリヤは一瞬ぽかんとしたが、すぐに真っ赤になって叫んでくる。
「ほ、ほんとうに失礼な方ね! 何故笑うのです」
「何故って……。いいえ、失礼しました。でもあなたって本当に気が早いのね。私が断ったら無駄になるわよ、髪」
 ティラが笑った理由が髪のことだと知って、イリヤはさらに赤くなった。だが今度は怒りの赤ではなく、羞恥のそれだろう。乗り出しかけた身を引いて、だがきっと睨んだ目つきはそのままに、イリヤが言葉を返してくる。
「貴方に断る権限なんてないですわ」
「誰にやってもらったのそれ?」
 高飛車に告げる言葉は綺麗に流し、ティラがまだ笑いながら聞いてくる。いよいよ怒りと羞恥で声が出ないイリヤに、ティラはどうにか笑いをおさめた。これ以上は冗談で済まなくなりそうだ。
 ――それにしても。
 イリヤの腰まであった髪は、ティラと同じ肩口まででバッサリ切られていた。だがそれに驚くより、綺麗に真っ直ぐ切りそろえられた毛先に笑いがこみあげてしまった。見事なオカッパだ。
「直してあげる。入って」
「余計なお世話――」
「怒鳴らないで、兄さんが起きちゃいます。きっと兄さんも笑いますよ、貴方の髪を見たら」
 反射的に口を押さえたイリヤを見て、ティラは微笑んだ。それからベッドに視線を伸ばし、そこから規則正しい寝息が聞こえてくるのを確認する。まだ眠っている兄を起こさないようティラは静かに自分のポーチを探り、ソーイングセットから鋏を取り出した。
「座って下さい」
「……結構ですわ」
 だが椅子にかけるよう促すと、イリヤは表情を変えた。少し青ざめた顔を怪訝に思って彼女の視線を追うと鋏に向いており、ああ、とティラも合点がいく。だがその上で、ティラはまたくすりと笑った。
「私が怖いですか? 今から私を命の危険に晒そうというのに?」
 蒼白な顔色のまま、イリヤがこちらに視線を戻す。だがやはりその視線だけは、決して曇ることがなかった。迷いも怯みも、眼差しにだけはない。
「断る権限がないなら、貴方を刺して兄さんと逃げたほうがいいかもしれないわね。私も死にたくはないもの」
 少し意地悪すぎるかしらとティラは危惧したが、やはりイリヤの表情は変わらなかった。毅然と胸を張って、ティラが勧めた椅子に腰を下ろす。
「はやくして下さいな。貴方は私の代わりになる。そして私に自由を与えるのです」
 苦笑して、ティラはイリヤの髪を数束手に取り、縦に鋏を入れていった。手際よくそれを繰り返す。別段、髪を切る能力に長けているわけではないのだが、ティラは手先が器用だった。
 もちろんさっきのはただの脅しだったので、髪を揃え終えるとティラはすぐに鋏をしまった。イリヤが大きく息をつき、早々に立ち上がろうとする。
「待って」
 だがティラはそれを制すると、自分のリボンを解いた。そして、怪訝な顔をするイリヤにまた前を向かせると、その髪を掬ってリボンを結わえる。すると、いつも鏡で見慣れた人物がそこに現れた。

「貴方の覚悟、受け取ったわ」

■ □ ■

 昨日と同じ面子――即ちリゼルとティラ、イリヤとフリート、そしてヴァシリー――が一同に会すると、何か問われる前にティラは進んで声を上げた。
「一晩猶予を下さりありがとうございます。昨日のお話、お引き受けします」
 ティラの答えに、ヴァシリーは扇子で口元を隠し、くつくつと笑った。
「そう。良かったわ、貴方が賢い子で」
「だが条件がある」
 割って入った声に、ヴァシリーは気分を害したように笑うのをやめた。イリヤとフリートも声の方を向き、その中で一番驚いた表情をしたティラもそちらを見た。
 声を上げたのは、他でもない兄リゼルだった。
「ティラの警護をそいつがするというなら、そのお姫様の警護は俺だ」
 イリヤとフリートを睨みつけながらリゼルがそう言い放ち、ヴァシリーは顔をひくつかせた。だがリゼルはヴァシリーのことなど歯牙にもかけず、フリートに視点を定めると尚も言い募る。
「ティラに何かあったら、お前のお姫様も無事ではないと思え」
 納刀したままではあるが、刀をフリートに突きつけ、リゼルが啖呵を切る。ティラは溜息をつきながら、頭を抑えた。
 兄さん、それじゃ正義の味方というよりまるっきり悪役よ。
 心の声が聞こえたわけではないだろうが、リゼルはすぐに刀を引いた。どの道、刀を向けられても啖呵を切られてもフリートは微塵も動かなかったし表情も変わらなかったが。
「その代わり、お前がティラを守るなら、俺もお姫様には誰にも指一本触れさせない」
「戯言を。お前のような下賤の輩をイリヤの側におくわけには――」
「だったら力尽くでティラを連れてかえるだけだ」
 リゼルが刀の束に手をかけ、重心を落とす。ひっ、と小さな悲鳴を上げてヴァシリーがのけぞった。その彼女の大袈裟すぎるリアクションに閉口して、リゼルが刀から手を離す。元々本当に抜くつもりなどない。
「……約束しよう」
 フリートが応えると、リゼルは黙ってソファへと身を戻した。張り詰めた空気が元にもどる。ただ、ヴァシリーの笑顔だけが消えて忌々しそうにリゼルを睨んではいたが、これで話はまとまった。
「決まりですわね。ではティエラ。しっかりわたくしの代わりを務めてくださいましね」
 口の利けないヴァシリーに変わってイリヤが場を仕切り、それから旅の少女と亡国の皇女は、その立場を秘密裏に交換したのだった。



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