ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 5


 同じ色の瞳が真っ直ぐにぶつかり合い、しばらくは静寂が場を包んだ。
 だがややあっておもむろにイリヤが首を縦に振り、そして真っ先に動いたのはリゼルだった。
「断る。行こう、ティラ」
「待って下さい! 一ヶ月……いえ、一週間で良いんですの」
「話にならない」
 立ち上がり、ティラの手を引いて今にも退室しそうなリゼルにイリヤが取り縋る。だがその懇願もリゼルはあっさりと断ち切った。
「自分の代わりに他人を危険に晒そうなんて、虫が良すぎると思わない?」
 見下ろしてくる冷酷なまでの瞳は同じ青の筈なのに、鏡で見る自分の青よりずっと冷たい。まるで氷のようなその瞳にイリヤは僅かばかり怯んだ。その間にさっさと立ち去ろうとするリゼル、何事かを言いかけたティラ、そのいずれの行動も実行される前に部屋の扉が開いた。
「――まぁ。貴方が例の」
 重苦しくなった場の空気にそぐわない華やかな声が部屋に飛び込み、一同の注意を攫う。
 豪奢な金髪を結い上げ、上質そうな絹のドレスを纏った女性が、その碧眼に興味津々にティラを映した。
「お母様」
 イリヤがそう言う前から、リゼルにもティラにもなんとなく想像はついた。彼女はずかずかと部屋に入ってくると、今までイリヤが座っていたソファに腰を下ろす。フリートが、開け放されたままの扉をそっと閉めた。
「御機嫌よう。わたくしはヴァシリー・マイヤ・ラーナ・ラタ・アルカーサ。イリヤの母ですわ」
 イリヤの母はそう名乗り上げると、値踏みするようにじろじろとティラを見た。リゼルは嫌そうな表情をあからさまにしたが、懇願の視線を感じてひとまずはソファに身を戻す。イリヤとティラが安堵の息を吐いて、イリヤはそのまま兄妹の横に立ち、フリートは扉の位置で控えている。
 一瞬静寂が訪れたが、焦れたようなヴァシリーの視線にティラははっとして口を開きかけた。だがそれを制してリゼルが口を開く。
「俺はリゼル。妹はティエラ。卑しい身ゆえ家名は持っていない」
「……そう。それでは礼儀を知らぬのも致し方ないことね」
 リゼルの態度は、さきほどのように不遜なものではなかったが、かといって丁寧なものでもなかった。それは態度が横柄というよりは、ただ単に怒っているだけなのだが、ヴァシリーは気づかず吐き捨てる。少しだけ彼女は表情を歪めたが、すぐに笑顔を取り繕うと――繕ったことが丸分かりではあったが――、再びティラへと目を向けた。
「それにしても、ティエラ。臣下からイリヤに似た子が街にいると聞いたときは、にわかには信じられませんでしたわ。でも何てこと、あなたは娘にそっくりですわ。ああでも少し気品が足りませんが、それはイリヤが高貴すぎるのですもの、仕方ありませんわね」
「恐れ入ります」
 ティラが淡々とした言葉を返す。どうせ気付かれないだろうと思って皮肉をこめてみたが、案の定ヴァシリーは気付かないようだった。とはいえ、ティラの興味は既に彼女になかった。伏し目がちに俯いたその視界の端に、ティラはイリヤの姿を捉えていた。
「あなたは兄君よりいくらかマシなようね。良かったわ。ティエラ、あなたならばわかってくださるわよね? イリヤはもうすぐこの国の主となるべき身。その命運を双肩に背負う前に、せめてひとときでも普通の女の子として安息のときを過ごさせてやりたいのです。それにはあなたの協力が不可欠なのですわ」
「勝手な――」
「それで」
 ヴァシリーの言葉の最後にリゼルの不機嫌な声が重なり、さらにそれをティラの声が掻き消した。3者の声が交錯した後、言葉を続ける権利を勝ち取ったのはティラだった。
「それで私はどうすれば良いのですか?」
 ともすれば承諾を意する言葉に、ヴァシリーはソファに身を沈めなおすと満足げな笑みを浮かべた。
「簡単なことですわ。しばしの間、このヴァニス城で暮らしてくれれば良いの。その間、貴方の警護はフリートがします。危険なことは何もなくてよ」
「ちょっと待った」
 今度こそリゼルが強い調子で言葉を挟み、ヴァシリーとティラの会話は中断された。だが今回に限っては、ティラも兄を止めることはできなかった。それほど、ティラ自身も動揺していたのだ。恐らく、兄が声を上げたのも同じ理由で。
「そいつがティラを守るだって? じゃあ俺は」
「下賤の者を城に置くことはできませんわ。あなたは街ででも待っていなさいな。その間の宿泊費くらい出してあげてよ」
 リゼルの冷え切った視線が真っ直ぐヴァシリーに向かい、だが彼女も怯むことなく真っ直ぐにリゼルを睨めつけてくる。蔑みの混じるその視線に、リゼルは呆れたように短く息を吐き出し、視線を外した。
「行こう、ティラ。やっぱり話にならない」
「兄さ――」
 リゼルが立ち上がり、さきほどのようにこちらの腕を掴んで引っ張る。これは引きずってでも連れていかれると直感し、ティラはイリヤの方を見た。
「待ちなさい、ティエラ。引き受けてくれるならどんなお礼でもします。あなたが望むものを望むだけ保証しますわ。富も、この国での身分も」
 ――そんなことに興味はなかったが。耳を抜けていくヴァシリーの言葉より、ティラには気になったことがあった。だから、強くこちらの腕を引く兄に従うのをやめる。力尽くでは勝てないが、いざ抵抗を示せば、兄は力尽くで従えようなどとは思わない筈だ。案の定戸惑ったようにこちらを見た兄に小さく首を振って見せると、ティラはヴァシリーではなくイリヤに向かって言葉を発した。
「……一晩、考えさせて下さい」
 驚いたようにイリヤが双眸を見開く。だが困ったようにその視線は母を向き、そしてヴァシリーは苦い顔をしたが、
「お母様、一晩くらい良いではありませんか。どうせこのわたくしとお母様の願いを、この者達が断れる筈はないんですから」
 母の渋い顔にイリヤは一瞬で戸惑いを消すと、堂々と言い放った。そんな娘の様子に、ヴァシリーは渋い顔を戻すと笑顔に戻り、そうねと零す。
「では部屋を用意させましょう。それまでにあなたの兄君をよく躾けておくことね」
 それからはしばらくヴァシリーの高笑いが響いて、リゼルも、さすがにティラも、そしてフリートまでも、しばらくげんなりしたのだった。



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