ストレンジツインズ 兄妹と亡国の姫君 2


 頭からオレンジの果汁を滴らせることになっても、青年には特にそれを気にする様子はなかった。もしかして感情が欠落しているのではないかと思うほど表情のない顔がリゼルの方を向く。その静かさとは対照的に、リゼルは全身で怒りながら青年を睨んでいた。
「ティラを離せ」
「……それはできない。主のご命令だ」
「あ、そー」
 まずい、とティラは自分が捕まっている状況も忘れて危惧した。リゼルが怒っている。とんでもなく怒っている。この兄は、多少馬鹿だが基本的には人畜無害だ。だが(じぶん)が関わると、そうでもない。
「兄さん、落ち着――」
「聞けないってんなら、聞かせるまでだ」
 遅かった、とティラが青くなる頃には、既にリゼルは構えていた。体勢を低くして一歩で間合いを詰めたリゼルが、下段から抜刀する。その切っ先が青年の腕を掠めるか否かの刹那、青年はティラから手を離してそれをかわした。その後で再びティラを捕えようと手を伸ばすが、リゼルの刀がそれを許さない。
 再び刀がしなり、この辺りでさすがに周囲の客も異変に気付いて騒ぎだす。店内で真剣を振り回して暴れている者がいるのだから無理もない。
 店は一瞬でパニック状態になり、悲鳴を上げながら客は逃げ惑う。平静を保っているのは恐らくティラと、そして刀を向けられた青年だけだろう。
 ――そう、この青年は、全く表情を動かすことなくリゼルの攻撃を避け続けていた。その全ての行動に、ひとつも無駄はない。かわす動きが少しでも早すぎれば、リゼルはそれに追随する。だが捕えたと見えた瞬間、寸前で青年の体は刀の軌跡の横にいる。反応しきれないリゼルの刀は、そのまま空を裂いてテーブルを両断する。食器が床へと落下し、けたたましい音を立てる。
「兄さ――」
「逃げろ、ティラ!」
 止めようにも、そうする手段がない。せめて叫ぶティラの声を掻き消して、兄が警告を飛ばす。だがティラは動けなかった。
 店内で刀を抜くなどリゼルの行動は非常識極まりない。本音を言えば他人の振りで逃げたいところではあるのだが――  そうできないのは、相手の青年が只者ではないことが解るからだ。リゼルは本当に、本当に厄介でどうしようもない馬鹿兄だが、一度刀を持てば、その腕前だけは誰にも引けを取らない。そのリゼルと対等に戦える時点で只者ではないのだ。そしてティラはそんな男に――何故か――狙われている。
 きっとリゼルは男が只者ではないと見抜き、最初から全力で斬りかかっていったのだろう。
 妹を守るために。そんな兄を置いて逃げられるほど、妹は薄情ではない。
「兄さん――!」
 ティラの叫びを置いて、リゼルと青年は攻防を繰り広げながら、店の外へと向かっている。青年が誘導しているのか、兄が仕向けているのかはわからないが、どちらにしても店の中では動き辛い筈だった。
 そしてようやく店の外へと出た瞬間に、青年が背負っていた剣を抜き放つ。通行人が悲鳴を上げて逃げるが、そのうちの半分は野次馬と化した。悲鳴に歓声も混じっているのは、恐らく戦っている両方が美形だからだろう。青年も、リゼルのような華やかさはないが、なかなかに整った容貌をしていた。二人の攻防は瞬く間に見世物と化す。
 いよいよ、これだけの騒ぎと化した場に兄を放ってはいけなくなった。
 だが裂帛の気合と共に青年の剣が繰り出されるとそれどころではなく、ティラは全身の血の気が一気に引いた。店の外に出て、ついに青年が攻勢に転じたのだ。それを避けるリゼルに危なげはないが、今度はリゼルが防戦一方になる。
 青年の剣は、細身のリゼルの刀に対して随分と重量がありそうな幅の広い両刃剣だった。しかしそれに釣り合わないすばらしいスピードで連続攻撃を仕掛けてくる。リゼルはそれを紙一重で避け続けていたが、直に追い込まれて退路を失くす。一瞬ティラは目を覆いかけたが、その前にリゼルは跳躍し、その爪先の下を青年の剣が横薙ぎしていた。そのままリゼルが軽い身のこなしで屋根の上まで逃れ、息をつく暇もなく青年もその後を追う。斬り合いの場所は屋根の上へと移った。
 その頃には下は歓声と喝采にあふれ、二人の決闘は平和な街の思わぬ余興と化して、賭けを始める声が至るところで上がり始めた。その輪からは少し外れた場所で屋根の上の二人を見上げながら、ティラは何とかこの騒ぎを止められないものかと思案していた。だが良い策はひとつも思い浮かばない。すぐ後ろで唐突に気配を感じたのは、途方に暮れたそのときだった。
「全くあの人は、何を遊んでいるんだか」
 振り返ると、ファーがあしらわれた白いケープをまとった少女が呆れたように呟いた。
「……あなたは?」
 言葉と状況で、おそらくは兄と戦っている青年の関係者だと直感する。その暗黙の問いかけにも答えるように、少女がフードを後ろに払った。
 フェアブロンドが零れ、透き通ったブルーアイがまっすぐに射抜いてくる。歳はティラとそういくつも変わらないだろうが、気の強そうな表情は少し大人びて見せていた。そんな面差しの少女は、酷く“誰か”を彷彿とさせる。
「あなた……」
「わたくしの名は、イリヤ・マーリス・カリヌ・ミルヴァ=グランヴァニス。あっちで貴方の連れと遊んでいるのはわたくしの連れの、フリートですわ」
「……あなたの連れなら、今すぐあの馬鹿騒ぎをやめさせて欲しいのですが」
 少なくとも表向きは一切の動揺を飲み込んで、ティラが淡々とした、だが切実な要求を述べる。すると、彼女――イリヤは見下したような目でこちらを見、口元に手を当てて、まぁ、と大仰に嘆いて見せた。
「こちらがご挨拶申し上げておりますのに、貴方は名乗る礼儀もご存知ありませんの?」
 高飛車な物言いでこちらの要求をはぐらかされたことにはむっとしたが、話をこじらせては余計な時間を流すばかりだ。焦燥を押し殺して、ティラは端的に名乗った。
「ティエラです」
「わたくしがフルネームで名乗っているのですよ? 失礼だとは思わなくて?」
「……ティエラ・オーア」
 苦虫を噛んだような表情でティラが唸る。そんなのティラ態度を、イリヤは気に入らなそうにふんぞり返って眺めていたが、やがてふっと息を吐くと「まあいいですわ」と呟いた。
「ティエラ。わたくしあなたにお願いがあるんですの」
「その前に、あの騒ぎを止めてとお願いした筈です。そうでなければ聞けません」
「あんなもの、どう止めればいいのかわかりませんわ」
 イリヤが肩を竦める。
 だが、イリヤにしても手段を持たないのだろう。自分が手をこまねいているのと同じように。だが。
「放っておけばおさまります。それよりわたくしの願いを聞きなさい、ティラ。わたくしと一緒に来るのです」
 手を掴まれて引かれる。それは先ほどの青年と比べれば、ティラでも振り払えそうなほどどうということはない力だったが。
 あえてその手に引かれたまま、ティラは妙に落ち着いていた。いい策を思いついたからだ。いや、考えなかったわけではない。だができれば最終手段にしたかったのだけれど。もうこの際仕方ないだろう。
 遠い目をしたこちらにイリヤが怪訝な眼差しを向けてくるが、構わずティラは思い切り息を吸い込み、そして叫んだ。

「お兄ちゃん、たすけてー! さらわれるぅーーー!!」

 それから、ほどなくして。
 地響きを立てて駆けつけてきた兄を引っつかんで、ティラはその場からのトンズラを試みるのであった。



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