02:高校時代


 溜め息と共に吐き出した煙が、空へと立ち上っていく。
 良く晴れた空には雲ひとつなく、抜けるような青に白い煙が渦を巻くのを仰向けに寝転んでぼんやり見ていた。だが唐突に、咥えた煙草が無遠慮に取り上げられる。
「こらっ、悠二! 学校で煙草吸うな!」
 降ってきた騒々しい声に、少年――十八歳の日野悠二は顔をしかめた。無視を決め込もうかとも思ったが、固いコンクリートの上は背中が痛い。のろのろと起き上がると、煙草を取り上げた少女が火がついたままのそれを持て余し、あたふたと騒いでいた。溜め息をついて彼女から煙草を取り返し、コンクリートに押し付けて火を消す。
「屋上でキツエンって、絵に描いたような非行少年ね。シシュンキの男ってそういうもんなの?」
「知るかよ、ただ下だと春紀に見つかるんだよ。高等部の屋上なら安全だろ」
「ふーん、高等部にはこの美咲さんがいることをお忘れですか」
 腕組みをしてジト目でこちらを見下ろす少女は、名を松本美咲といい、家が隣同士の所謂幼馴染というものである。娘が欲しかったという悠二の母は美咲を実の娘同然に可愛がり、悠二と春紀は日曜でも不在がちな父に代わり、美咲の父によくキャッチボールをしてもらった。そうして日野家と松本家は家族ぐるみの付き合いが続いている。
 昔は弟の春紀、そして美咲と三人でよく遊んだものだが、中学に上がるとその関係は少しずつ崩れた。優等生で何かと比較される弟が鼻に付き始め、周囲から揶揄を受けると美咲に声をかけられるのも煩わしくなった。だが、二人と距離を置きたい悠二の思惑に反して、春紀はしょっちゅう小言を言ってくるし、美咲も何かにつけ構ってくる。
 今もうるさいと突っぱねたいのは山々だったが、ジト目が少し寂しそうに見えると、どうにも悠二は弱かった。
「……いつも、女子と騒ぎながら弁当食ってて気付かねーじゃねーか」
 現に屋上で喫煙するようになってから結構経つが、見つかったのは今日が初めてだ。そう言うと、美咲ははっとしたように目を逸らし、そわそわと慌て始めた。
「実は、お弁当忘れちゃって」
「じゃあ購買行けよ」
「それが、お財布も忘れちゃって。友達にお金貸してなんて言えなくて……」
「ご愁傷様」
 携帯灰皿に吸いがらを放りこんで立ち上がる。くるりと彼女に背を向けて屋上を出ようとすると、案の定背中に罵詈雑言が飛んできた。 「ひどい! 鬼! 悪魔!」
「……貸してもいいけど、利子たかいぜ? 春紀に頼めよ」
「春ちゃんからお金なんて借りれないよ! ……利子って、いくら?」
「明日二倍。明後日になったらその二倍」
「ばっかじゃないの!」
 即答すると、向こうも即答で罵ってきた。だが、すぐに「にやり」と嫌な笑みを浮かべる。
「じゃあいいよ。ここで煙草吸ってること、春ちゃんにチクるからー」
「……」
「口止め料ってことで」
 美咲が手を差し出し、わきわきと動かす。利子どころの話ではない。勝手にしろと喉元まで出かかったが、正直それはご免こうむりたかった。春紀の口うるさいことと言ったらこの上ないのだ。無視しても延々と小言が続くし、喧嘩になっても口では勝てない。かといって殴れば今度は親に咎められる。そこから成績がどうのという話にまで飛び火されれば余計に煙草の本数が増えるというものだ。
「……いくらだよ?」
「じゃあ、千円で」
「俺がそんなに持ってるわけねーだろ。ホラ」
 ポケットから五百円玉を出して投げると、「まいど〜」と美咲がそれを差し出した手で受け止めた。
「あ、そうだ。進路調査票、今日までだよ?」
「知ってるよ。とっくに出したし」
「うそぉ、絶対まだだと思ったのに。悠二、大学なんて行かないよね。就職するの?」
「は? 春から働くなんて冗談じゃねーぜ。俺は適当な大学で四年間遊び倒すんだよ」
 言いながら、悠二は学ランの内ポケットに手を入れ、キャスターの箱を出した。無意識の行動だったが、美咲に睨まれて渋々と仕舞う。 「それ、うちのお父さんが吸ってる煙草」
「だからなんだよ」
「イトコのお兄ちゃんが言ってたよ。キャスターってオヤジタバコなんだって。男ならマルボロなんだって」
 煙草の事など知りもしないくせに、物知り顔で腰に手をあて、美咲が語る。うるさいと言いかけたが、今度も声にはならなかった。先に美咲の方が声を上げていた。
「私、就職するよ」
「は?」
 唐突に話を戻され、咄嗟について行けずに聞き返す。美咲は黙って手すりまで歩いていくと、風になびく髪を押さえながらこちらを振り返り微笑んだ。

「警察官になるの」