FAKE ROMANCE 1



 窓から差し込む陽の光が眩しさを増して、ティルは机から顔を上げた。それから実際に陽の高さを確認して、読んでいた本を無造作に脇へと寄せる。その表紙の角がぶつかって、さらにその脇に積み上げられた本の塔がぐらぐらと不安定に揺れたが、構わずティルは席を立った。これくらい陽が登れば、宿舎にいる他の騎士はすっかり出払っているだろう。ならば別段好きでもない読書をするために部屋に閉じこもっている必要もない。
 部屋を出て、まず最初に洗面所へと向かう。朝起きてすぐ顔を洗えないのはやや不満だが、今から仕事という騎士で込み合う場所に入り込むのもどうかと思うと、結局はこの時間になる。
 冷水で顔を洗うには肌寒い季節だが、そんな不満を言っても詮無いことで、思い切って両手に水を掬う。その瞬間、その冷たさとは全く異質な冷たい感覚が体を通り抜けた。それはよく慣れた感覚で、だからその次に取る行動も考えることはなかった。経験に身を委ねた結果、宿舎には澄んだ金属音が響き渡ることになった。
「……貴様、いつ抜いた?」
「今」
 高いトーンの声に問われ、ティルはにこりと笑った。愛刀の向こうに細身の剣があり、その向こうには金髪を腰まで伸ばした小柄な少女がいる。少女であるということに、いきなり襲撃されたことへの苛立ちはかなり和らいだ。
「女の子に襲われるのは、悪くないんだけどね。できればもうちょい違うシチュエーションがいいな」
 馬鹿にされたと思ったのだろう。少女の顔が憤怒の形相を刻み、ギリギリと剣に力が籠る。とはいえ小柄な少女の力など、男のティルにとっては取るに足らないものだ。
「可愛い顔で睨まないでよ」
「ぶ、無礼者!!」
 ティルの軽口に、少女は動揺を見せた。顔にうっすら朱を差しながらも、剣を引くことはしない。真剣を振りかざしていてもその様子は微笑ましくもあり、ティルはもう少しこのやり取りを楽しむことに決める。
「いきなり人の隙をついて襲ってくるのは無礼じゃないの?」
「馬鹿を言うな。部屋を出たところからずっと見てたが貴様隙などなかったぞ。それに、女なのになんて力だ」
 力任せに押してもびくともしない刀に、少女は悔しさに唇を噛んだ。一方でティルは激しく気を削がれていた。笑顔を消して溜息と共に少女の間違いを訂正する。
「……いや、俺男だけど」
 しばらく間がある。少女が理解するまで、ティルは待ってやった。間違われるのは不愉快だが、一方で無理もないという自覚もあった。いくら男物の服を着ているとはいえ、それだけで男だとバレるようなら十七年間も誰にも疑われず姫を演じるのは無理だっただろう。
 そしてたっぷり数十秒が過ぎてから。
「嘘だ!!」
 きっぱりと少女が叫び返してくる。まったく信じてないその様子に、ティルは彼女の剣を受けたままで肩を竦めた。
「そこ嘘ついても俺にメリットないでしょ。逆ならあるかもしんないけど」
「で、でも……!」
 どうにも少女には信じがたいことのようで、ティルは逡巡の後に刀を引いた。
「きゃあ!?」
 唐突に拮抗が崩れたことにより、少女は容易くバランスを崩した。倒れこんでくる少女の体を、ティルは片手で受け止めるとそのままためらわずに抱き締めた。
「き――」
「どお? これでも信じられない?」
「き――」
「どうしてもっていうなら脱いでもいいけど」
「き――――」
「やっぱり女の子の体は柔らかいね〜」
 耳元でティルの涼しい声を聞きながら、しかしその内容は全く少女の頭には入ってこなかった。伝わるのは、密着する体の感触。それは骨ばっていて固く、決して女性のそれではなく――。

「きゃああああああああああ!!!!!????」

 声にならない声を紡いでいた少女の唇が、その事実を認識した途端に派手な悲鳴を騎士宿舎中に響き渡らせた。
「うーんいい感触……セラちゃんには負けるけど」
 それにも構わず呑気に呟いたところで、ティルは背後にただならぬ殺気を感じた。
「あ・な・た・は――――」
 そして、同様にただならぬ怒気をまとった声に、条件反射で身構える。直後、すぐ手前の床が激しい光のスパークと轟音と共に弾けとんだ。
「お兄様!」
 抱えていた少女が、自分を突き飛ばして殺気の主へと嬉々として走っていく。そこにいる人物と、彼女の言葉を組み合わせて、ティルは思い切りげんなりした。
「朝っぱらから人の妹に何してるんですか!」
「……誰かに似てると思ったらボーヤの妹か……思い切り萎えた」
 相当に怒りまくっているその人物から目を逸らし、ティルは盛大に溜め息を吐いた。