太陽の騎士姫 5



いつものランドエバー城の騎士宿舎――ではないが。
 机に両肘をついたまま、いつもの通りセラはぼんやりと時間を流していた。あの一騒動から数日が過ぎ、セラ達はリルドシア城でランドエバーからの迎えを待っていた。自分で帰れるというセラの言は、あれだけの騒ぎの直後なのであっさり流されたのである。この分では、二度と任務など出して貰えそうにないなとセラは嘆息した。
「元気ないですねえ、お姉様」
 その横からリュナがひょこりと顔を出し、机に突っ伏すセラの顔を覗きこむ。
「暇なだけだ」
 だがそう言われれば、聞き捨てならないのが隣で本に目を落としていたライゼスだ。
「だったら勉強しましょうか姫。ここしばらくの騒動で、だいぶ進行が遅れてしまいましたしね。丁度いいですし、ファラステルの地歴あたりから……」
「わ、私は忙しい!」
 途端に椅子を蹴って立ち上がったセラにリュナが苦笑する。
「今暇だって言ったばっかりですよ、お姉様――」
 思わず突っ込むと、セラはこちらを見て人差し指を口に当てた。口止めされたところで、その台詞はライゼスもしっかり聞いているだろうにと彼の方を見ると、すっかり慣れた様子で溜息をついている。日常茶飯事なのだろうと想像がついて、もう一度リュナは笑った。
「でも残念ですね。もっとお姉様達と旅がしたかったです」
 だがその笑顔には寂しさが混じった。色々あったせいで心穏やかな旅ではなかったが、リュナにとってセラといられることは嬉しいことである。だが彼女はもうランドエバーに帰らなければいけないのだ。しょんぼりするリュナの髪を、セラはくしゃりと撫でた。
「また落ち着いたらランドエバーに遊びに来てくれ。それに、もう機会がないわけじゃない。私は抜けだすのは得意だぞ」
 セラがウインクし、リュナがぱあっと顔を輝かせて頬を染める。だがライゼスの咳払いが聞こえて、二人は苦笑した。
「まあでもラス。お蔭で世界が救われたといっても過言ではないんだぞ。私が抜けだすのは世界のためだ」
「何をめちゃくちゃなことを……」
「ノルザの一件だってそうじゃないか。騎士団の恥を長引かせることもなくなったし……。それにしても、伯爵とクラストが通じてたのは驚いたけれど」
 ふいにセラは話を変えると腕を組んで目を伏せた。ライゼスもまた本に目を戻し、難しい表情をする。
「……資金面で伯爵を利用していたんでしょう。二人は同じような力を使いますし。どちらかが分け与えたのか、それともそれぞれが生まれつきのものなのか、わかりませんが……」
 淡々とライゼスが述べると、その言葉はリュナが継いだ。
「精神魔法はそう特別な力じゃないんですよ。あたしの場合はパパから受け継いだものなんで少し特殊なんですが、極論、魔法が使えなくたって人の弱味につけこんで何かする人なんて大勢います。精神魔法はその延長でしかないと思うんです。人の心は何よりも脆くて強い。人に対してだけでなく、自分が強い、できる、特別と強く思いこめばそう変わることもできます。クラストさんやその伯爵さんの場合、少し度が過ぎてるのは確かですけどね」
「そんな者がごろごろいるってことか? 物騒で仕方ないぞ」
「でもお姉様もその一人だと思いますよ」
 思いがけないことを言われて、セラは目を丸くした。リュナに視線を投げると、微笑んだまま彼女もこちらを見てきた。
「その人たちを打ち破るほど、お姉様は強いですもん。それにお姉様の周りにはいつも人が集まって、お姉様を支えています。それは何より強いお姉様の力ですよ。……だからね。何が悪いとか良いとか正しいとか、そういうのはないんだと思います」
 優しいリュナの眼差しと言葉に、セラは安息を覚えていた。そうだな、と呟く。理解し支えてくれる人がいる自分は幸せだと思う反面、やはりセラにはクラストが哀れに思えた。
「……クラストは、どうなるんだろうな」
 セラの声がぽつりと落ちる。その波紋が消えると水を打ったような沈黙が残ったが、しばらくすると淡々としたライゼスの声がそれを壊した。
「さすがの彼もあの状況では言い逃れはできないでしょうし、相応の裁きは下されるでしょう。レイオス王子が影でうまく動いてくれて尻尾も掴めましたし、事実セラが追い詰められたところをリルドシア軍が目撃しています。あの人は、その状況を作り上げる為に動いていたようですから」
 言いながらライゼスは視線を部屋の入口へ向けた。足音が聞こえたからだ。恐らく、今しがた言及した人物だろうと察してライゼスは話を収束する方向に向けた。
「でもクラストのことですから、油断はできませんけどね。うまく逃れて、また悪巧みしなければいいんですが」
 ライゼスの言葉に、セラはクラストの最後の言葉を思い出した。

 ――キミがこの下らない世界に、いつまで希望を注げるのか――

(いつまでも、だ)
 返さなかった言葉を、やはり胸の中だけで呟いて、セラはふっと笑った。
「そのときは、また私が止める。それだけだ」
 強いセラの言葉に、いつものようにリュナは興奮し、そしてライゼスはいつものように渋面になる。
「いや貴方はもう何もしなくていいんです! そろそろ大人しく――」
 結局話は全く収束せずに、ライゼスの小言を遮る形でドアが開いた。姿を現した人物に、リュナが最初に駆け寄っていく。
「ティルちゃん」
 リュナが呼んだ名に、セラとライゼスもそれぞれそちらを向く。駆け寄ってきたリュナの頭を犬でも撫でるように掻きまわしながら、一方でティルは複雑な表情を二人に向けた。
「……ランドエバーから迎えが来たよ」
 微笑む碧眼を受けて、セラもまた、複雑な色をその表情に湛えた。

 案内された扉を押し開けると、最初にレイオスの姿が見える。その対面に座る人物を見て、ライゼスは悲鳴に似た叫びを上げた。
「父上!?」
「コラ、隊長と呼びなさい愚息。わざわざ迎えにきてやったのに嫌そうな顔するなよ〜」
 公私混同を注意しておきながら、自分はそれを守ろうともしない。父の砕けた口調に、ライゼスは忘れかけていた胃痛が一度にぶり返した――頭痛のおまけつきで。
「何故わざわざ隊長が? 迎えなど誰でも良かったでしょう」
 胃痛と戦うライゼスに変わり、セラが素朴な疑問をぶつける。するとライゼスの父――ランドエバー聖近衛騎士団総隊長ヒューバートは、ソファー越しに顔を寄せてきた。
「サボりたかったの」
 ぼそっと一言囁いた彼に、ふう、とセラが息を吐く。聞かずとも解るような理由だった。
 ノルザの一件があってから、国王も王の腹心も、不眠不休の日々と聞く。ヒューバートは、セラを迎えに行くという大義名分のもと、混乱する王城をほうほうの体で逃げ出してきたに相違なかった。セラもライゼスも呆れ返ったが、そもそも自分たちが元凶なので何も言えないのが現状だ。そんな均衡に、レイオスが一石を投じる。
「まあ、座り給え。話したいこともある。――ティルフィア、お前も」
 彼らのやりとりに苦笑しながら、レイオスは一同に椅子を勧めた。全員が着席したところで、レイオスはもう一度息を吸った。
「いろいろややこしい事態にはなったが穏便にことが済んでよかった。ルートガルドは近年怪しい動きをしていて、私も気になっていたんだ。感謝する、セリエラ王女」
「いえ、私は迷惑をかけただけで――」
「話を聞く限り、一番迷惑をかけたのはティルフィアのようだがな」
 レイオスがつい、と視線を動かし、ティルがびくっとして目を逸らす。そんな様子が意外で、思わずセラは笑い声を漏らしそうになった。ティルに怖いものがあると思うと何かおかしかっただけなのだが、ティルが申し訳なさそうに頭を垂れるのに気付くとセラは慌てて頭を振った。
「ティルのせいじゃない。もともと私が迂闊なのがいけないんだ」
「その通りです。リルドシアには色々ご協力頂き感謝しております」
 間髪入れずにヒューバートがセラの言葉を継ぎ、自分と一緒にセラの頭を下げさせる。そのぞんざいな扱いにライゼスは父を睨んだが、勿論のこと意に介する様子はない。血管が切れそうに収縮するが、この場で親子喧嘩を始める訳にも行かないから、胃痛に耐えるしか道はない。そんな彼の戦いなど知る由もなく、レイオスは楽しそうに口を開いた。
「いや。私もそちらの姫には一目置いているのだよ。ティルフィアが執心するのもよく解る」
「兄上!」
 余計なことを言われてティルは咄嗟にレイオスの言葉を遮った。だが一瞥をくれられただけで済んでしまう。もとより取り合うような兄ではない。
「……それでだ、王女。先日は少し試すような言い方をしてしまって済まなかったな。本音を言えば、このリルドシアの王子は数だけはいるが、使える者というのがいない。数人減ってしまったし、すぐ放浪する者や変わり者ばかりだ。ラディアスは腕ばかりで頭が良ろしくない。右腕として、私はティルフィアが欲しかったんだよ。何しろ十七年も私を欺いた狸だ」
 ティルが驚いたような視線をレイオスに向けた。そちらに意味ありげな視線で応えながら、レイオスは先を続ける。
「だがティルフィアは帰りたくないというし、セリエラ王女も返さないという。で、結局どうするつもりなんだ、ティルフィア」
 ティルが驚いたままの目を、今度はセラに向けた。だが一同の視線を感じて、つい癖で髪をいじろうとした手が宙を掻いた。いじれるほどの長さがもうないのを思い出して、すっきりしたような寂しいような気分になる。今の胸の内もそれに近かった。
「……ランドエバーにもリルドシアにも迷惑はかけたくありません。私の処遇は兄上とセリエラ王女にお任せします」
 困った末にそう述べると、セラの目がすっと細まる。
「ティルはどうしたいんだ?」
 なんとも答えに困る問いかけをしてくるものである。
 ティルにしてみれば、国の問題などはどうでもいいことであった。迷惑をかけぬよう上手くやることに自信はある。だから本音を言えばセラの傍にいたい。だがセラとライゼスを見ているのは辛い。本当はそんな自分勝手な思いで悩んでいるなど言える筈もない。
「ティルがしたいことがあるなら、私はそうしたらいいと思う。迷惑などとは思わない。でも処遇を任せるというなら、私は……ランドエバーに居て欲しい」
 余計迷うことを言う。ティルは内心泣きたくなった。だがお構いなしにレイオスが話を進める。
「なら、リルドシア王家の遠縁としてこちらでティルフィアの戸籍を作り直そう。そうすれば身元もはっきりするし迷惑もかからないだろう」
「いや、兄上……」
「待てよ。いっそ王子にしてしまうか。父上には妾が大勢いるし一人くらい増えてもどうということはないだろう。ついでに婿にどうだねセリエラ王女。国交の架け橋としても、悪い縁談ではない筈だ」
 レイオスが端正な顔立ちと裏腹に豪快に笑い、ティルが凍りつく。だがヒューバートは便乗して笑った。
「ああ、そりゃ面白い。どうです姫」
 愉しげに笑う大人二人に置いて行かれながら、ライゼスがなんとも言えない顔を、リュナが興奮を抑えきれない表情をする。セラはと言われれば当然だが困惑していて、ティルは思わずその腕を引いた。
「いいよ、俺リルドシアに残るから。こないだのことは忘れて。……セラちゃんは、ボーヤが好きなんだろ?」
「う、うん……あ、いや……うーん」
 囁きかけると、セラは何とも歯切れの悪い返事をした。そして、ライゼスとティルを見比べる。そんなことをするものだから、ライゼスとティルは思わず緊張して身を竦めた。リュナだけがわくわくとそれを見ていたのだが。
「その、私は……ラスもティルも好きだし、どっちとも一緒にいたいんだけど……」
 セラが戸惑いがちな言葉を零すと同時に、レイオスとヒューバートも間がいいのか悪いのか、笑うのをやめていた。
 お姉様大胆、とリュナがぼそりと呟き、セラはますます困って、ライゼスとティルは犬猿の仲も忘れて思わず顔を見合わせてしまった。ヒューバートがフタマタ、と失礼な呟きを漏らし、最後にレイオスが愉快そうに、ふむ、と頷く。
「成程。だったら――」

■ □ ■ □ ■

 昼下がり、ランドエバーの騎士宿舎。いつもどおり騎士は出払っており、誰もいないその場所で、セラは頬づえをついて暇を持て余し――
 てはいなかった。
 うず高く両脇に積み上げられた本の山。それに埋まるようにして、セラは必死でペンを動かしている。
 それを、少し離れた位置でライゼスとティルが、何ともいえない表情で見守っていた。
「……あなたの兄上も、とんでもないことを言ってくれたものです」
「それについては俺も悪いとは思ってるけど……まあいいんじゃない。何かやる気になってるみたいだし」
 ぼそぼそと、二人は会話を交わしていた。セラに聞こえないよう小声でだったが、どのみち彼女には聞こえていないだろう。
「本を開いたら即寝するセラちゃんがここまでやってるんだからさあ……」
「そのうち天変地異が起きないか僕は心配ですよ。帰国してからずっと雨続きだし」
「この地方で雨が続くのは珍しいことじゃないだろ? ボーヤらしからぬことを言うねえ」
 背後で失礼な会話が交わされていることなど知らず、セラは目の前の書に没頭していた。セラがいきおい勉強に没頭し始めた理由は、レイオスの無責任な発言にあった。

「だったら王妃におさまろうと思わず、貴女が王になったら良いではないか。それで両方囲ってしまい給え」

 そんなことをレイオスがのたまい、ひとしきりヒューバートと爆笑していたのである。
 ライゼスとティルは半眼で彼らを睨んだものだが、始末の悪いことに当のセラがそれを真に受けてしまったのだった。
「兄上の言うことも一理ある気はするけどね。セラちゃんにはカリスマがあるし」
「でも、今から一国を統べる決意をした人が算数やってるんですよ。しかも小等部がやるような」
 ライゼスの突っ込みにティルは乾いた笑い声を上げた。やがてそれが止むと、雨の音とペンが走る音だけになる。欠伸を噛み殺しながら、ティルはぼんやりとセラの横に積み上げられた本を見た。
「じゃーまあ……俺も勉強しとこうかな。いざというときのために?」
 そんなことを言いながらそのひとつに手を伸ばすと、それより先に伸びた手が今しがたつかもうとしていた本を掴む。
「……お前……」
 ティルが睨むのを無視して、ライゼスは本を開くとそこに目を落とした。嘆息して、ティルは別の本を手に取った。
「まあ、いーや。ゆっくり決着つけるとしますか」
 苦笑混じりのティルの声を聞くともなしに聞きながら、ライゼスは文字を追った。しかし文字よりも図が多く、読む所はほとんどない。
 ライゼスのため息を飲み込んで、ランドエバーの午後は呑気に過ぎてゆくのだった。