太陽の騎士姫 3



「何をしているクラスト!」
 扉を破って入ってきたシヴィリオが叫び、セラは表情を緩めた。クラストはシヴィリオの心を読めないと言っていた。それはすなわち、シヴィリオに精神魔法が効かないということだ。加勢を頼むにこれほど心強い人物はいない。
「やめなさいクラスト! こんなことをしてどうする。それほど私と父上が憎いなら、それも致し方ない。だが王女を巻き込む必要はないだろう!」
「貴様や父など関係ない! ボクはただ、ボクの道を行くだけだ」
「お前がお前の道を行くというのなら、私は誰よりもその道を守ろう。だが、他の者までお前の道を歩かせるのは間違っている。それが解らぬほどお前は愚かではないはずだ!」
 クラストが見た目にも憤慨し、隙を作る。だが恐らく、もう二度とないであろうその隙に、セラは踏み込まなかった。
「……クラスト。お前、シヴィリオ王子の心が読めないといっていたな」
 視線を外したまま、クラストは動かなかったし答えなかった。だがセラは言葉を続けた。
「読めないんじゃない、お前はまっすぐで裏表のないものが信じられないだけだ。哀れだな、クラスト。この世界は虚ろなだけじゃなく、影ばかりでもない。お前の言うとおり人間は自分勝手かもしれないが、大事なものを守ろうとするから優しくなれるし強くなれる。それが過ちを産んだとしても、真っ直ぐに誰かを愛することをお前に嗤う資格はない」
 ゆっくりとセラは剣を引き、腰を落としてもう一度構えを作った。
「そこを退け。私は私の大事なものを守る。一番大事なものを守れずに、それより大きなものを護ることなどできないから」
 セラのアイスグリーンの双眸が真っ直ぐにクラストを射抜き、そしてその向こうで――
 クラストは笑った。いつもの笑みを既にその表情に戻し、クラストもまた剣を構えた。
「馬鹿だね。そこまで決心しているのなら、どうしてさっき踏み込まなかった?」
 その笑顔に殺気がこもり、踏み出しかけた足がじり、と床を踏みしめる。
「キミを落とせないのは解った。ボクのポリシーに反するけど、だったらボクも本気で――」
 だがその言葉は半ばで途切れた。
「行きなさい、王女!」
 シヴィリオが後ろからクラストを羽交い絞めにしていた。咄嗟のことにクラストが反応できず、セラも行動を迷う。だが、
「早く!」
 その叫びで弾かれたようにセラは走り出した。
「――離せ!」
 背後でクラストの怒声が聞こえる。そう長くは持たないだろう――剣を抜いたまま、セラは城を出ようと走った。急がねば兵士達に訝しがられて邪魔されかねない。だがセラの進路を遮ったのは、そのいずれでもなかった。
「ッ」
 剣を構えかけ、止まる。
 切っ先の向こうには見覚えのある刀と、見間違えようのない人物がいた。
「ティル……」
 立ち塞がる人物の名を呻いて、セラは立ち止まった。だがセラの視線は、彼自身よりも彼が手にした刀の方に注がれた。血で曇った白銀の刀身が、まっすぐにこちらを向いていた。
 クラストがティルに下した命令は、ライゼスを殺すこと。
 そして姿を消したティルが、血濡れの刀を手にここにいる。それが示す意味を考えて、血の気が引いて行くのが自分で解った。だがティルに問いただそうとする前に、短い叫び声がそれを遮る。
「シヴィリオ王子!?」
 その声はシヴィリオのものだった。ただごとではない声色に戻るか否か迷う。だがその答えを出す前に、クラストの姿が視界を遮った。彼が手にした抜き身の剣もまた血で汚れているのに気付いて、引いた血が沸騰するように熱く全身を廻った。
「あれ? ボクはてっきり番犬が勝つと思ったんだけど」
 あてが外れた子供のような顔で、クラストが首を傾げる。その様が、あの日エズワース邸でティルの髪を投げたクラストの微笑みと重なった。
「うわああああああ!!」
 自分の声が酷く客観的に聞こえる。叫びながら、セラは剣をかざすとクラストに向けて走った。他のものは全て視界から消えて、いつものように笑ったままのクラストめがけて剣を突き出す。だがそれが彼に届くことはなく――
 耳障りな金属音に我に返る。擦れ違う刀が剣の軌道を変えて逸らし、首筋に鋭い痛みが走る。咄嗟に身を翻して距離を取る。防御の構えを取りながら首筋に触れると、ぬるりとした感触が指に伝わった。だがそれを成した相手はやはり、何一つ表情を動かさないままこちらに刀を突き付けてくる。
「番犬は――剣を持たなかったのか。さすが番犬、主人に忠実だ」
 くすくすとクラストが嗤うのが酷く遠くで聞こえる。それを斬り払いたくても、それにはティルと戦う必要があった。
 呼吸を整え、構えを変える。真っ直ぐに構える剣の切っ先に、青い瞳がある。
 呼ぼうとした名前は声になる前に消えた。少しでも踏みこむ素振りを見せれば、その前にティルは動くだろう。その一撃さえ避けられれば、その懐に斬りこめばいい。それで終わる――そこまで想像して、頭を振る。できそうもなかった。 
 戦えないなら選択肢はひとつしかない。だがそれすらも閉ざすように、クラストが歌うように囁いた。
「逃がさないよ」
 妖艶な声色が響くと、それを合図にしたようにティルが走った。閃く刀を、どうにか持ち上げた剣で撃ち落とす。だがそれが精一杯だということは、自分で解っていた。
「やめろ、ティル……! お前とは戦えない!」
 悲鳴に近い声にも、彼の動きが止まることはない。表情が戻ることはない。無表情のままティルは刀を振るい、セラはそれを後退しながら打ち払う。やがて肩が壁に当たり、それ以上の後退を阻まれる。構うことなく振り下ろされる刀を身を捻って避け、そのままセラは走り出した。その先に何があるのかは解らないが、他に取れる行動がない。だが追随してくるティルの刀が、それすら容易にはさせてくれない。次第に追い詰められていくのを、後から追って来るクラストがうすら笑いながら見ているのが時折視界に入り、セラは唇を噛んだ。
「どうしたんだい、セリエラ。戦えばいいじゃないか。キミが勝てない相手じゃない。キミの大事な番犬を傷つけた相手だよ?」
 それに気付いていてわざとなのか、煽るようにクラストが声を上げる。黙れ、と叫ぼうとして、ティルの刀にそれを阻止される。
 後ろに下がった踵が何かに当たって、振り向くと階段があった。その間にも繰り出されるティルの刀を身を屈めてやりすごしながら、追い詰められるまま階段を登リ切る。
 風が頬を撫で、セラははっとして顔を上げた。いっぱいの光が咄嗟にに降ろした瞼を突き刺す。強い風がドレスを翻した。
「もう逃げられないね、セリエラ」
 刀を構えたティルの向こうにうすら笑うクラストが現れて、そしてその後ろからばらばらとルートガルドの軍服を纏う兵士が現れた。そのいずれも表情がなく、クラストから青い光が立ち上っているのを見てセラは舌打ちした。
「さぁ。ボクに従うと誓うんだ。それ以外にキミに選択肢はないんだ。初めからね」
「来るな!」
 風の吹き抜ける小さな塔の上に、もう逃げ場はない。叫んで塀の上に登ると、それ以上退く場所はなくなった。同様に塀に飛び乗ったティルに刀を突き付けられると、全ての可能性が塞がれたことを認める他は無くなった。ティルとは戦えない。彼をやり過ごしたところで、後ろに立つ十数名の兵士とクラストに一人で挑むのは限りなく無謀だろう。
 手詰まりを悟って、セラは剣を放った。もう持っていても意味などないものだった。こんなものひとつで何かをどうにかできるほどの力など、はじめからなかったのだと自嘲する。だがそんな強さなど、きっと誰も持っていないのだとも強く思う。
「殺せ、ティル」
 虚ろな碧眼をまっすぐに見て、セラは一言、そう呟いた。それと同時に、弾かれたようにクラストが笑い狂う。その笑いは宙を舞って空に吸い込まれる。
「ついに諦めたね、セリエラ。その瞳から光が消えるのを、ボクがどれほど楽しみに――」
 だが言葉も笑顔も、半ばで消えた。もう一度見たセラの瞳から、強い光は消えていないのに気付いたからだった。笑顔を消したクラストに、セラは目を向けることはなかった。もうそちらなどどうでも良かった。
「諦めてはいないし、お前の思い通りにもならない。――私はこの世界が好きだし、この世界を生きる人が好きだ。どんなに虚ろな世界でも、どんなに哀しいことがあっても、何度裏切られても欺かれても私はこの世界を愛し続ける。この世界を信じ続ける。願わくは、私がそうすることによって一人でも希望を持ってくれればいい」
 真上にさしかかった太陽が、眩い光を落とす。その中で、セラは笑った。
「それが私の答だ。それを曲げて生きていてもそれは私ではない。だから――殺せ、ティル」
「……それは負け惜しみだよ、セリエラ。ただキミは諦めただけだ。死んだらそれで終わりなんだよ。それをどう取り繕っても同じだ。負けを認めなよ」
 その輝きに呑まれそうになりながらもどうにかクラストは笑みを引き戻した。だが、セラもの微笑みも消えることはなかった。
「負けては……いない」
 セラがそう零したのと同時に、ティルが刀を持つ手を上げる。その切っ先が喉元に触れても、セラは笑っていた。やめろ、とクラストが言葉を紡ぎかけ――
 だがそれは、成されなかった。
「……俺が殺せないって解ってて、言った?」
 クラストが息を飲んで歩みを止める。セラが驚いたように双眸を見開いて――、そしてまた、微笑んだ。
「わからない。でもただ、信じてた。それだけだ」
 ふっと、碧眼に光が戻る。虚ろなガラス玉でもなく。寂しさを讃えた蒼玉でもなく。どこまでも晴れた青空の青で、ティルもまた、笑った。
「ありがとう。セラちゃん」
 また、セラが驚きを表情に乗せた。だけどそこからは視線を外し、ティルは振り向いて刀を掲げた。

「チェックメイトだ――クラスト」