終焉者は謳う 2



 一方、セラとクラストも馬車旅が続いていた。クラストが手配した馬車は豪奢な内装で、座席も柔らかい。長く座ったままでも尻が痛くなることはなかったが、クラストとの二人旅は精神的に疲れた。尻が痛い一人旅の方が断じていい。クラストが襲ってくることはあれから一度も無かったし、部屋も望めば分けてくれた。それでも常に傍にいるような気配がして、夜もよく眠れない。
 だがその旅も、一応は終着に来た。
「ここがボクの国だよ」
 窓の外を指し、クラストが微笑む。一応そちらに目を向けてやると、城というにはやや無骨な建物が見えた。リルドシアの白亜の城に比べれば、どちらかというと自国の要塞のような城に似ている。同じ軍事国である所以だろうか。
「美しくもないし下らない国だけど。当分はここにいてもらうから」
 クラストが爽やかに自分の国を見下す。その言い様に、セラは思わず眉を顰めた。
「お前はこの国の王子なのだろう。自分の国をそんな風に言うな」
「ティルフィア姫にもそう言った?」
 心外だ、とでも言いたげな顔をして、だがクラストは関係無いようなことを問いかけてきた。顔に疑問符を浮かべたセラに、さらにクラストは問いかける。
「彼は自分の国を好きだと言っていたかい? 父王を尊敬していたかい?」
「…………」
「まあそんなことはどうでもいいんだけどね。さあ、城についたよ」
 セラが質問の意図を解したところで、クラストは自らその話題を切った。それに呼応したかのように馬車が止まる。
「お帰りなさいませ、クラスティオ王子。今回は随分長い外出で……」
「ただいま。今回は少し長くなると、兄上にも大臣にも言ってあった筈だよ」
 数人の兵士と、正装した初老の男がクラストを出迎える。それらの者に微笑みながら、クラストは馬車を降りた。そして、車内に向けて手を差し伸べる。連れがいることを知らなかったのだろう、その動作に臣下の者達が怪訝な顔をする。それらを尻目に、セラはクラストの手を無視して飛び降りた。
「王子、彼は一体――」
「爺、失礼なことを言わないでくれ。『彼女』は、ランドエバーのセリエラ王女だよ」
 クラストがさらりと口にしたその国名と名前に、兵士達が一様に驚きを表情に浮かべ、爺と呼ばれた男が絶句する。驚いたのは彼らだけではない。簡単に素性を明かされてしまい、セラもまた慌てていた。だがクラストは大丈夫、と囁いて臣下の方へ向き直る。
「ボク、彼女と結婚することにしたから。その報告に帰ってきたんだ」
 あっけらかんと笑うクラストに、その場の時が止まったかのように凍りつく。それを見て、セラも溜め息をついていた。

「うん。意外と悪くないじゃない」
 硬直した者達をその場に残し、クラストに招かれるままセラはルートガルド城へと足を踏み入れた。クラストはすぐに侍女風の女を呼びつけ、その後は髪を梳かれ、ドレスを着つけられて今に至る。
「意外とで悪かったな」
「あれ、拗ねちゃったの? 大丈夫、女の子はね、飾れば綺麗になるものだよ」
「喧嘩を売っているのか貴様は」
「胸が無いのが少し残念だけどね」
「……ッ!」
 さっき臣下に失礼なことを言うなと言った口で、随分ずけずけと言うものだ。そんな皮肉すら、もう口にする気力なくセラは拳を握り締めて耐えた。この国のドレスは胸が大きく開いたものが定番のようで、女たちが困っていたのを目の当たりにしたばかりだし、それでなくとも自覚はある。だからセラはドレスというものが嫌いだ。だがそんな下らない言い合いをしていても仕方ないので、睨むだけに留め、セラは別のことを口にした。
「それより、ティルは? 国に来たら会わせてくれると言っただろう。約束を違える気か?」
「無粋だよ、セリエラ。夫になるボクの前で、他の男の名前なんて呼ばないで欲しいな」
 抱き寄せられて囁かれる。思い切り殴ってやるつもりで肘を振りかぶっていると、クラストはすぐに体を離した。
「冗談だよ。そう慌てないで。ちゃんと約束は守るから」
 噛みついてきそうな勢いで睨んでくるセラに、やれやれ、とクラストが息を吐く。その言葉で、とりあえずセラは構えた肘を降ろした。
「セリエラのために今部屋を用意させたから、そこに案内するよ。ボクは父上と兄上に帰還の報告をしてくるから、セリエラはそこで待っていて。ボクが戻るまで大人しくしててよ」
 手を引いて、クラストが歩き出す。その手を振り払うかどうか迷っている間に、すぐに彼は立ち止まった。
「さ、ここだよ。入って」
 扉を開けたクラストに誘われ、仕方なく足を踏み入れる。ある程度予想はしていたが、それにも勝る豪華な装飾に、セラは重い息を吐きだした。自室でさえこんなに華美ではない。というよりセラが装飾を嫌うので、むしろ殺風景な程だ。物があると剣が振れないからという理由なのだが、この部屋では剣を抜くのも困難だ。広いからそのスペースはあるはずなのに、抜けば必ずどれかの装飾品を壊してしまいそうなのである。壊れてもセラは困らないから、壊せばいいのかもしれないが。
「何か必要なものがあったらすぐに用意させるから言ってね」
「むしろ全て要らない」
 その注文は綺麗に無視されたが、それに文句を言う余裕はすぐになくなった。
「それからキミの護衛官を紹介するよ。入っておいで」
「護衛など必要な――――」
 セラはその言葉を最後まで言い終えることはできなかった。
 臙脂と黒を基調にした軍服。おそらくこれはこの国の軍服で、それを纏った者は、この部屋に来るまで何人か見かけた。だから、その服が問題なのではない。その服を彼が纏っていることが問題で、さらにその人物自体が問題だった。
 忘れようもない眩い銀髪と、虚ろな碧眼。
「ティル……?」
 掠れた声がセラの喉から漏れ、クラストは目を細めた。
 透き通るような肌は、白いというより色がない。澄んだ碧眼は、宝石というよりガラス玉だ。美しかった銀髪は、肩に届かないほど短くなってしまったが、それでも美しいことに変わりはなかった。しかしどこか空虚な美しさだ。表情も生気もない無機質な美貌はまるで作りもののよう。それを肯定するように、呼んでも彼は答えなかった。そんなことなど、これまで一度もなかったのに。
「じゃあセリエラ。ちゃんと大人しく待っててね。まあ、キミは彼を置いて逃げたりはしないよね? そうは思うけど……ティル、彼女をこの部屋から出さないように」
 クラストの声は空の上の方で響いているようで、頭には入らなかった。それでも、扉が閉まる音ではっとする。ティルはもうこちらを向いていなかったが、セラはその腕を掴んだ。
「ティル、何があった? 怪我はないか?」
 クラストが去っても、ティルは何も答えない。聞こえてすらいないようだった。
「どうして、何も応えてくれないんだ……!」
 堪え切れず叫ぶ。叫んでも、ティルは応えるどころかこちらを見もしない。小さく毒づくと、セラは部屋を出ようと扉へ向った。ティルに何をしたのかと、クラストを呼びとめて詰問するつもりだったのだが、それは叶わなかった。
「……ティル」
 目の前で起こったことが信じられず、セラが立ちつくす。ティルが刀を抜き、それをこちらに向けていた。
(これじゃ、まるで……)
 まるで、クラストの人形ではないか。
 外に出さないように、と言いつけていたクラストの声がよみがえり、セラは強く唇をかみしめた。ティルがエズワース邸を出たあの夜、確実に何かがあったのだろう。いや、何かという抽象的な言葉にせずとも、想像はついた。きっとクラストが、精神魔法か何かでティルを操っているに違いない。そう思い、もう一度口を開く。
「ティル、私だ――セラだ。本当に私がわからないのか……?」
「……退け」
 そうであるなら、もしかしたら何かのきっかけで元に戻るかもしれない。そう思い、セラは尚も語りかけた。だがティルが唇を動かし、喜んだのもつかの間――返って来たのは冷たい声だけだった。
「ここから出ることは許さない」
 それは紛れもなくティルの声だった。あの日哀しい歌を奏でた美しい声。だけど抑揚のない無機質な声。
 セラが一歩退くと、ティルは刀を納めた。それと同時に、へたりとセラは座りこんだ。
 自我もなく、クラストの人形のようになってしまったティル。元に戻るのかどうか、今はそれも知る術はないが、それでも――彼は動いている。喋っている。
 床を掴んだ手の甲に、涙が零れる。セラはそれを拭いもせず肩を震わせた。
「生きてて、良かった……ティル」