セラの決意 5



「離せ!」
 セラに覆い被さり、クラストがにっこりと笑う。ありったけの嫌悪をこめて怒鳴りながら、クラストの手を逃れようとセラはもがいた。だが、いくらセラでも歳上の男と純粋な力の勝負をするには分が悪い。現に、両手を封じるクラストの手はびくともしなくて、見降ろす悪戯っぽい笑顔には余裕が見てとれた。
「そんなに慌てると、かかっちゃうよ?」
 彼の言葉が何を意味するのかセラが理解したときには、もうクラストの体を青い光が包み込み、体の自由が利かなくなっている。
(……精神魔法!)
 そう考える思考さえもが痺れていく。唇を噛むことすらままならないのに、不快なほどに視界ははっきりとして、クラストの笑顔を写し取る。至近距離までそれが近付き、渾身の力でセラは顔を背けた。それが限界と知り、クラストが拘束していた手を離す。
「可愛い抵抗だね。……キスは初めて?」
 そんな問いかけと共に、顎に手がかかって無理矢理彼の方を向かされた。唇が本当に触れそうなほど近づいて、だが顔が熱くなるのはその為ではない。――思い出したからだ。
 ――ボーヤには内緒ね?
 笑いながらの囁き。頬にかかる銀色の髪。その髪と同じ白銀の雪。冷たい唇の感触を。
 だけど、からかって遊んでいるのだとしか思えなかった。悪戯っぽい声と対照的な、酷く思いつめた青い瞳の意味にさえ気付かないで。
「……ッ」
 その名を胸の中で呼ぶと、頭にかかった靄は晴れた。自由の返った手を握り締めて、セラはクラストの腹めがけて膝を繰り出した。咄嗟に避けようとクラストが身を捻り、その一瞬で彼の束縛を逃れる。ベッドの上に身を起こして、セラは身構えた。
「妬けるね。初めてじゃないんだ」
 くす、とクラストが笑う。
「レゼクトラの坊や? それともティルフィア?」
「どうでもいいだろうそんなこと!」
「大事なことだよ。キミはボクの妃になるのだから」
「聞き飽きた!」
「じゃあ言い方を変えるね」
 ベッドで座ったままのクラストが、両手をついてセラに詰め寄る。ベッドの上から逃れる隙を与えられないままのセラがのけぞり、暗くなりつつある部屋に、くすくすとクラストの笑い声が響く。
「キミはボクのものなんだよ」
 彼の形の良い唇がそう紡ぐ。精一杯の拒否を込めて睨むが、愉快そうに瞬く彼の瞳には届いていそうもなかった。ただ身を固くし、抵抗できるように備えていたのだが、それ以上彼が近付いてくることはなかった。
「ま、そんなわけだからね。今は無理にはしないよ。第一その為にキミをルートガルドに連れていくのだから」
 そう言って、クラストがベッドを降りる。とりあえずセラが安堵の息をついていると、またくすりとクラストが笑った。
「……その為だと?」
「うん。有体に言えば、キミにボクの子を産んで貰う為」
 あっけらかんとクラストがそう言い、セラがぽかんと口を開ける。だが、すぐにわなわなと肩を震わせた。
「ふ、ふざけるな!!」
 罵倒してもとても気がおさまりそうになかったので、とりあえず手近にあった枕を掴んで投げつける。難なくそれを受け止めたクラストに、時間差でもうひとつ枕を投げる。
「私は貴様の道具ではない! 愚弄するのもいい加減にしろッ!!」
 二つ目もキャッチされたところで、セラは立ちあがると今度はサイドボードの上の飾り時計を投げつけた。ひょい、とクラストが首を動かしてそれを避け、壁と激突した時計が派手な音を立てて壊れる。
「ほんとにセリエラって照れ屋さんだね」
「黙れ!!」
 また彼女が何かを投げ、クラストは咄嗟に枕をかざした。すと、という手応えに枕をひっくり返すと、ナイフが三本刺さっていて、クラストは枕を両手で持ったまま肩をすくめた。
「道具にしてないよ。無理にはしないって言ったでしょ? そのためにルートガルドに招待してるのもあるし、ゆっくり時間をかけてボクを好きになってくれればいいから」
「なるか阿呆ッ!!!」
 枕を離してクラストが踵を返すと、またひゅ、と空を裂く音がする。それを右手の人差し指と中指で器用に挟んで止めてから、クラストは振り返った。
「おやすみ」
 投げキッスのモーションで、クラストがそれを投げ返す。正確に手の中に返ってきたナイフを見て、セラは嘆息した。