セラの決意 4



「ボクの妃になる決心はついた?」
 突如声をかけられ、セラはうんざりしながら振り返った。
「……約束までまだ一晩あるんだが」
 月明かりを浴びて、ハニーブロンドが甘く輝く。
「お前の戯言を聞く時間は、一分でも短い方がありがたいんだがな」
「セリエラは照れ屋さんだね」
 セラの顎に人差し指を沿わせ、楽しそうにクラストが囁く。怒るというよりは呆れてしまって、セラは嘆息した。
「番犬クンは置いていくのかい?」
「……その呼び方はやめろ。ラスは大事な家族だ」
 ふうん、とクラストが含んだ笑みを浮かべる。だがそれ以上は何も言わず、彼はセラから手を離すといつもの笑みに戻った。
「まあ、なんでもイイよ。とにかくだ。レゼクトラの坊やよりボクを選んだことは、決して後悔させないからね」
「馬鹿を言うな。私はティルを返してもらいに行くだけだ」
「やれやれ、ライバルが多いなぁ」
 冗談めかして零しながら、クラストは歩き出した。
「おいでセリエラ。朝一番の馬車に乗ろう。僕の国で……会わせてあげるよ」
 歌うように喋るクラストの声を彼の背中越しに聞く。歩き出すその背を、セラは少しだけ躊躇して――そしてその後を追った。

 クラストに言われるままセラは彼と共に朝一番の馬車に乗り、昼過ぎにはラーシアに入った。少し早かったが夕食にしようというクラストの言葉に頷き、そしてまた彼の選ぶ高級料理店に辟易しながらも、これも大人しくセラは従った。
「お手本には程遠いけど、シルバーを使えないわけではないんだね」
 その食事を終えて今日の宿を取ってから――部屋に入るなり、クラストがそんなことを言う。セラはさほど興味もなさそうに、振り返りもせず呟いた。
「これでも一応王女だ。だからこそ、外に出てまで肩の凝ることはしたくない」
「ふーん?」
 クラストは外套を外すとソファに身を沈めた。その音を背後に聞きながら、セラは窓辺から外を見ていた。彼が選ぶ一流ホテルにもうんざりするのだが、ひとつだけ良いと言えることがあるなら、階数が高いことである。知らない街を眺望できるのはセラにとって嬉しいことだった。ひとしきり街を見渡していたのだが、視線を感じて振り返る。クラストは相変わらずソファの上で寛いでいたが、その目はじっとこちらに向けられていた。怪訝な顔でセラもしばらくクラストを見返していたが、彼が何も言わないので仕方なく言葉を探す。静かなのはあまり好きではなかった。
「……お前は城から出てまでこんな環境で、疲れないか?」
「普通の王族は庶民の暮らしなどできないものだよ。城にいれば、家臣や使用人が媚びへつらう。彼らが何でもやってくれる。愉快で楽なものだろう?」
 セラが顔をしかめ、クラストがふっと息を漏らす。
「理解できなそうだね。……威張りくさる者と媚びへつらう者。互いの利害が一致し、目的も解り易い良い関係だよ、主従関係は。それをわざわざややこしくするキミの方が、ボクには解らないけどね。ある意味興味深いよ」
 クラストがソファから身を起こす。少女の鋭いアイスグリーンの瞳に焦点をあてたままで、クラストはセラに歩み寄ると手を伸ばした。
「キミの番犬は、番犬でいることが幸せだったんだよ。ボクとしては、離れてくれた方が嬉しいんだけど不思議なんだよね。番犬は番犬でいたい。キミには彼が必要。利害が一致しているじゃないか」
「私は利害のために一緒にいたいんじゃない。だから私の所為で傷ついて欲しくない……」
 クラストの言葉に幼馴染を思い出し、セラは呻いた。半日会っていないだけなのに、思い返すと懐かしかった。空虚な気分が思い出すだけで少し癒され、そしてそのあとさらに空虚になる。たった半日で、また甘え過ぎていたことを知った。いなければ自分で考える。意地も張らない。食事くらい静かにできる。だけど、そんなことは何もかも意味がない気がした。
 クラストが伸ばした手をセラの頬に当てる。
「泣きそうな顔しないで」
「ッ、泣いてなどいない」
 きっとクラストを睨みつけながら、セラは彼の手を振り払った。
「一人にしてくれ」
 顔を背けて吐き捨てるが、クラストは困ったように肩を竦めた。
「そう言われても部屋はここしか取っていないんだけどね」
「は!?」
 そんなことを言われて、思わずセラは背けた顔をまた彼に向けた。
「キミはボクの妃になるんだから、不都合はないでしょう?」
「冗談じゃない。大体妃、妃とお前はいちいちやかましいが」
 ついに我慢の限界を越えた。声を張り上げてから、そこで一度息を継ぐ。言っても仕方ないと、ティルを助けるのが優先と押し込めていた不満と文句が堰を切って溢れ出す。
「誘拐同然に私を連れ去って妃だなど、それで私の祖国が納得すると思うか? 大体私はランドエバーの後継ぎだし、他の国に行くことはできん! 勝手を言うな!」
「問題ないよ。ボクは第二王子だし、セリエラにボクの国に来て欲しいとは言ったけど、ボクの国に居て欲しいとは言っていないでしょ? それに周囲の納得なんて、どうでもいいことだと思わない?」
 セラの怒号を穏やかに受け止めるクラストの、体全体を青い光が包む。精神魔法の光だ。察してセラは一歩後退した。
「反対するなら操ればいい。ただ残念なことに、ボクの力も万能じゃないから、その場凌ぎにしかならないんだけどね」
「だったら――」
「だったら」
 クラストの言葉を遮ったセラの言葉と、その後を継いだクラストの言葉は同じだった。彼の目が妖しく光り、優しく両肩に手をかけてくる。
(あ――)
 セラが何かを思い出しかけてはっとするのと、クラストが行動に出るのと、どちらが早かったかといえば――
「だったら、既成事実を作ればいいわけだよね?」
 クラストの手に力が籠る一歩手前でそこから逃れたセラの方が、僅かに早かった。拍子抜けしたようなクラストが、空を掴む手を握ったり開いたりする。
「よくボクが考えてることが解ったねえ。なんにも知らない真っ白な子だと思っていたよ」
「残念だったな。確かに私はそういうことには疎いが、物好きがいてね。その手は食わん」
 皮肉を言う様は余裕に見えたが、凄まじい形相でこちらを睨んでくる様子はそれを台無しにしてしまっている。獲物を見つけた肉食獣のような目でクラストは笑った。
「だったら、力尽くでするまでだ」
 クラストが不穏な台詞を口にして、咄嗟にセラは剣に手をかけた。だが抜かせる前にクラストはその手を掴み、そのまま斜め後ろに引き倒した。踏みとどまれない方向への誘導に、あっけなく倒れたセラの身体が、狙い澄ましたかのようにベッドに落ちる。
「――!」
「残念だったね、セリエラ」