剣と番犬 2



エズワース邸を出て、丸一日。何を聞いてものらりくらりとはぐらかすクラストの後について、セラ達は港へと辿りついていた。港に来たということは船に乗るのだろうが、レアノルトの港からはラティンステルとファラステルの二大陸に定期連絡船が出ている。それだけではまだ目的地が絞れず、クラストがどの船に乗るのかセラもライゼスも動向を見守っていたのだが、彼が足を向けたのは船着場ではなかった。
「もう陽が暮れそうだし、今日は食事をして休もうか」
 足を止めたクラストがくるりと振り返ってそんなことを言う。相変わらず考えも目的も読めないままの状況にセラは顔をしかめたが、拒否したところでクラストは歯牙にもかけぬのだろう。解ってきたことといえばそんなことくらいで、それが余計に苛立つ。それにも増して苛立ちと疲労が増えるのが、クラストの食事の基準だ。
 彼が入っていった宿を見て、セラはややうんざりして溜め息をついた。
「……クラスト。食事を取るのは構わない。だが、私はこういう肩が凝る店は苦手だ」
 朝食、昼食もそうであったが、クラストが選ぶ場所はいつも高級店なのである。つまりは、セラが苦手とするフォーマルな食事を主体とするような店だ。今しがた彼が足を踏み入れた宿も、いかにも王侯貴族御用達という感じの外観である。
「じゃあセリエラはどういうところがいいの?」
 嫌そうなセラの言葉に、クラストが興味深そうな声を上げる。
 問われ、ぐるりとセラは周囲を見回した。レアノルトは栄えた街だ。そして港も近いので、様々な種類の店が立ち並んでいる。
「……ああいう感じのでいい」
 セラがさしたのは、冒険者でごった返す大衆食堂だった。それを見て、クラストがややオーバーアクション気味に驚きを表して見せる。
「セリエラはいつもああいう所で食べてるの? レゼクトラの坊ややティルフィア姫も?」
「ああ」
 信じられない、というようにクラストは目を見開いた。
「へえ……貴族の中の貴族と言われるレゼクトラの御曹司や、あの噂の姫がねえ」
 そう言われて、初めてセラも思い当たる。先のエズワース邸での食事を見ても、ライゼスやティルのテーブルマナーは板についていた。彼らはもしかしたらそういう食事の方が慣れているのかもしれない。だがセラが大衆食堂や簡素な宿を好むのに異論をつけられたことはなかった。
「でも駄目だよ。ボクには似つかわしくない」
 涼しく笑ってクラストがそんなことを言う。今に始まったことではないが、このナルシスト振りにセラは閉口していた。およそ今まで周りにいなかったタイプなので扱いに困る。
「それに、キミにも相応しくない。ボクの妃になるのだからね。フォーマルな食事にも慣れて貰わないと」
 それ以上に閉口するのがこの妃になれ発言である。彼と行動してまだ一日しか過ぎていないのに、もう何度聞かされたか解らない。既に突っ込む気力もない。
 そんなわけで結局今夜の食事も城のディナーと変わらぬほど豪勢なものとなり、せめてもの抵抗でセラは運ばれてきたステーキにおもいきりフォークを付きたてるとそのまま噛みついたのだった。
「……はしたないですよ、セラ」
 気持ちは解らないでもないが言わずにはいられないライゼスの小言は無視して、肉を引きちぎる。
「いい加減目的を話したらどうだ、クラスト」
 それを喉に通す前に言葉を吐く。ライゼスが睨んだのが解ったが、それもまた無視する。やれやれ、と言った風にこちらを見たクラストは、ナプキンで口元を拭いながら答えてきた。
「だからキミだと何度も言っているでしょ?」
「それはもう聞き飽きた!」
 ドン、とテーブルに拳を叩きつけてセラが叫ぶ。他の客の注目を浴びてもセラに構う様子はなく、ライゼスは慌てて彼女を窘めた。
「セラ、気持ちは解りますが。あまり目立たない方が」
 気はおさまらなかったが、ライゼスの正しさも理解している。セラは咳払いをすると気持ちを落ち着けるために深呼吸をした。苛立ちがそれで収まるはずもなかったが、どうにか平静だけは取り戻す。
「……だって、本当にそうなんだよセリエラ。キミを手に入れるのが目的なんだ」
「ならその理由はなんだ」
「キミが好きだからだよ」
 にこ、と笑うクラストに、とりもどした平静がさざ波を立てるのをセラは感じた。クラストの整った表情と甘い笑顔と声、囁く言葉は普通の貴婦人であれば卒倒ものだろう。だがセラには吐き気すら起こさせた。
「ふざけるな」
「ふざけてなんかないよ。キミは学習しない子だねえ」
 ナイフとフォークを皿に置くと、クラストは体ごとセラの方を向いた。不快をあからさまにする彼女に怯むこともなく、そんなことを言う。その意味が解らず怪訝な顔をするセラに、クラストは言葉を続ける。
「そうやってキミが取り合わないから、ティルフィア姫を追いこんだんでしょ?」
「……ッ」
 途端セラの顔から怒りは消え、その表情は歪んだ。リュナが眉を顰め、ライゼスが声を上げかけたがその前にセラ自身が声を上げる。
「よく言う……! ティルを人質にしておいて」
「人質だなんて。ボクがちょっかいをかけなくても、放っておけばあれは自分で死んだよ」
 微笑んだままさらりとクラストは楽しげにそう言う。今度こそ言葉を失くしたセラの両目を覗きこみ、尚も彼は続けた。
「ボクが何かをしたわけじゃない。彼を追い詰めたのはキミだ、セリエラ。残酷な子」
 ガタンと激しい音がして、再び他の客がこちらを向く。セラが椅子を蹴って立ち上がったのだった。今度ばかりはライゼスも彼女を止めなかった。というより、止められなかった。
「……先に休む」
「お姉様!」
 セラが踵を返し慌ててリュナも立ち上がる。豪華な食事に半分以上手をつけぬまま、早足に立ち去るセラの後をリュナが追い、テーブルにはライゼスとクラストの二人だけが残った。何事もなかったかのように食事を再開するクラストに、そこで初めてライゼスが口を開く。
「聞きたいことがあります」
「何? 番犬くん」
「……どうでもいいですが、その呼び方やめられませんか?」
 聞き返してくるクラストに、ライゼスは思わず言おうとしていたこととは違うことを口にしてしまった。するとクラストは愉快そうに口の端を上げた。
「じゃあ、ティルフィア姫に倣ってボーヤと呼ばせて頂こうかな?」
「…………」
 氷点下の眼差しで睨んでくるライゼスに、クラストがくつくつと笑う。
「冗談だよ、ライゼス・レゼクトラ。聞きたいことって何? 目的なら何度も言っているがセリエラだ。これは本当だよ」
 肉を切り分けながら、クラストが答える。ライゼスは手を止めたまま、クラストの言葉には取り合わず問いかけた。
「あの人は生きているんですか」
 端的な問いに、肉にフォークを刺してクラストが問い返す。
「ティルフィア姫のこと?」
 ライゼスは答えなかった。クラストが肉を口に入れたので、しばらく沈黙が続く。それを飲み下して水を口に含んで、さらに一息おいてからクラストが口を開く。
「生きてて欲しい? それとも君は、死んでいて欲しいのかな」
 悪戯っぽく尋ねるクラストに、だがライゼスは取り合わなかった。黙したままの彼に、クラストが痺れを切らす。
「じゃあ、聞いてどうするの?」
「別に。ただ死んでいるならこれ以上貴方の勝手に姫を付き合わせる必要はないですから」
「キミにしては随分無駄な質問をするね、ライゼス」
 クラストは再びナイフとフォークを置くと、テーブルの上に手を組んだ。
「どちらにせよ、それなら僕は生きていると言っておくよ。そうすれば餌にできるからね。だけど死んでると言ったところで、死体でも見ない限りセリエラは信じないんじゃない?」
 ライゼスの表情は揺るがなかったが、クラストはクスリと笑った。
「心配なら素直にそう言えばいいのに、頑固だねキミも」
「……もうひとつ。あなたの目的がセラなら、どうして僕の同行を許したんですか」
 必要なこと以外、ライゼスは取り合わない。小さく肩を竦めて、クラストも今度はすぐに答えを返してきた。
「利用できるから。それだけだよ。むしろ何故キミは着いて来たんだい? セリエラの足手まといにしかなれないのに」
 くすくすとクラストは笑い続ける。その体を、うっすらと青い光が包む。だが、ライゼスの目がすっと鋭く細まると光はすぐに消えた。その後で、静かにライゼスが立ち上がる。
「その力、僕には通じませんよ。貴方にセラは渡さない。それだけは覚えておいて下さい」
 クラストは組んだ手の上に顎を乗せると、歩き去っていくライゼスの後姿を眺めた。
「番犬には勝てない――か」
 愉しげに呟いてから、クラストはナイフを手に取った。