謎の青年 2



「セラのことを知っていたということは――その、素性を?」
 リュナがいなくなったことは、セラから詳細を聞くのには好都合だった。とはいえ、どこで誰が聞いているのか解らないので婉曲にライゼスがそう尋ねる。
「ああ。私のことをセリエラと呼んだ」
 手持無沙汰に、セラが水の入ったグラスを揺らす。積み重なった氷が、音を立てて崩れた。 普段、セラはセリエスという偽名を名乗っている。本名を知っているということは、そのまま素性を知ることに直結する。
「かまをかけている風ではなかった。あれは確信している。それに、それだけじゃない――」
 ぎゅ、とグラスを握り締める。その手の中が湿っているのは結露のせいではなく、内側からにじみ出るような嫌な汗だった。
「あいつ、只者じゃない。……ティルも気付いただろ」
「あそこまでされて気付かないほど馬鹿じゃないよ。情けないから蒸し返したくないけど」
 セラにそう振られて、ティルは渋面になった。セラに触れるのを阻止しようとして、全く何もできなかったことを思い出すと、苛立ちと憤りが体内を満たしていく。同時に、悔しいが戦慄すらそこにはあった。セラほど腕に自信があるわけではないが、それでも今まで何度も修羅場は潜っている。だが、あそこまで歯が立たなかったことはなかった。
「もしかして貴方、自重したわけじゃなく太刀打ちできなかっただけなんですか?」
「うるせーほっとけよ、文字通りそうだよ」
 そんな悔しさに容赦なく塩を塗り込むライゼスの言葉に、ティルは不貞腐れた声を返してそっぽを向いた。その代わりに、セラがライゼスの方を向いて補足する。
「ティルに刀を抜かせないくらいだ。気配の消し方といい、相当だぞ、あれは」
「抜かせない?」
「ラスにはただ手を押さえたように見えたかもしれないが、ティルは私より速い。あんな芸当、私でも無理だ」
 そっぽを向いたまま、ティルは横目だけセラに向けた。そして、内心だけで感嘆する。戦ったこともないし、戦っているところをそう見られたわけでもないのに、よくセラは把握している。やはり戦闘に関するセンスがずば抜けている。
 剣聖と讃えられた父を持ち、鬼神と言われるリルドシアの武将と対峙しても怯まなかったセラを、只者ではないと唸らせるくらいの相手。つまりは、彼はそういう強さだった。
「そんな得体の知れない相手に素性を知られているわけですか……はあ」
 胃痛がしてきて、ライゼスは腹を押さえた。面倒の予感に一気に気が重くなる。今回はすぐに帰れると思ったところだっただけに、余計に反動がきた。
「ただの知り合いってことはないの? 見た感じランドエバー人っぽかったし、貴族とかならセラちゃんとか陛下の顔を知っててもおかしくないだろ?」
「私を知っていて、ただ声をかけただけならあんな去り方しないだろう。それに私は、私より強い相手は忘れない」
 セラの言は的を射ており、それから三人は押し黙った。
 彼の去り際は、確かに何かを含んでいた。追ってこないよう仕向けられた感じすらする。
 何か企んでいるのだとすれば――素性を知られている以上、放置はしておけなかった。それに、今回は個人的な用事で来ている。セラにしても、父親に迷惑をかけるのは本意でない。
 三人がそれぞれに黙り込んでしばらく時間が流れただろうか。
「ただいまー!」
 明るい声が、重い場を破り、息を弾ませてリュナが戻ってきた。
 彼女は、さっき座っていた椅子を引くと腰を下ろし、まず切れた息を整えた。次に、残っていた自分の水を干して、そしてそのあと深呼吸すると、ウエイトレスを捕まえる。
「ええっとぉ、オレンジジュースとカフェオレとメロンソーダとチョコバナナパフェとストロベリーパフェとプリンアラモードとパンケーキお願いします!」
 メニューも見ずに、勢いよくリュナがまくしたてる。ウエイトレスも面食らったように目を白黒させていたが、すぐにかしこまりました、と言うと下がっていった。
「あれ、みなさんどうかしました?」
 三人に凝視され、リュナが不思議そうな声をあげる。圧倒されて皆が言葉を失う中、それでもようやく言葉を紡いだのはセラだった。
「いや……それ、全部リュナが食べるのか?」
「ええ、そうですけど……お姉様も食べたいですか?」
「いや、いい……」
 慌てて首を横に振り、セラは呻いた。
「想像するだけで気持ち悪い」
「僕もです……」
 ティルと、ライゼスまでもが、げんなりと呻く。考えただけでも気持ち悪くなりそうな甘いもののオンパレードだ。だが当のリュナはけろっとした顔で、やはり不思議そうに隻眼を見開きながらこちらを見返してくる。だがほどなくして、あ、と声をあげた。
「そうそう、例のおにーさんについて、ギルドで話聞きましたよ。なんと、Sクラスのライセンスを持つ、凄腕の賞金稼ぎでした。名前はクラスト・ヴィレットだそうです」
「クラスト……」
 セラがその名前を反復する。心当たりを探るが、どこにも行きつかなかった。ライゼスに視線を当ててみるが、彼も無言で首を横に振る。だが。
「……あれ、俺、どっかで……」
 意外な人物が意外な声を上げ、残りの三人の視線を集める。注視されていることにも気付かないくらい、ティルは黙って宙を睨んでいた。どこかで聞いたような気がする。だが、どうもはっきりとしない。
「知っているのか」
「――お待たせしました。オレンジジュースとカフェオレとメロンソーダとチョコバナナパフェとストロベリーパフェとプリンアラモードとパンケーキになります」
 セラが身を乗り出した丁度そのとき、ウエイトレスがトレイを手に現れた。話の腰を折られてセラは顔をしかめたが、リュナは目を輝かせてそれらをうっとりと眺めた。
 机の上に並べられた甘そうな品々に、セラが理解不能な表情をする。ライゼスとティルも、話を忘れてそれにつられた。
「ほんとにそれ全部食べるの?」
 呆れたティルの声に、リュナがツインテールが跳ねるほど大きく頷いてみせる。何を当然のことを聞くのかとでもいいたげな顔で凄い勢いでそれを平らげていくリュナに、三人はただただ驚くしかなかった。おかげで、何を話していたのか本当に忘れかけた。
「ああ、それでだ。知ってるのか、ティル?」
「え? ああ……うーん、やっぱ解んない。でも言われてみれば聞き覚えのあるような、見覚えのあるような……でも気のせいな気がする。女の子だったら忘れないんだけどなあ。男なんて深く記憶に留めないもんなあ」
 腕を組んで唸りながら、至って真剣にふざけたことを言うティルに、ライゼスはわざとらしく溜息をついた。だが聞こえなかったらしい、ティルはとくに何も言い返してこない。下らない喧嘩をしている場合でもないので、ライゼスもそれ以上は何も言わなかった。
「やはり直接会って色々聞きたい。リュナ、ギルドに行けば彼に会えるか?」
 問われ、リュナは口いっぱいに詰めこんでいたパンケーキを、オレンジジュースで慌てて飲み下した。
「ごっくん、えっと、長期の依頼を受けてるみたいですし、次いつギルドに来るかはわからないです。もしかしたら当分来ないかも」
 期待を裏切る返事に、セラは肩を落とした。それを見て、リュナが慌てて補足する。
「あ、でも大丈夫です。クラストさんが受けてる依頼、聞いてきましたから。そこに行けば会えますよ」
 パフェにスプーンを差しながら、リュナはにっこりと微笑んだ。

 ■ □ ■ □ ■

 リュナの話によると、そのクラストという青年が受けているのは、さる資産家の用心棒らしい。そこに行けば会えると楽観視していたセラだが、その後宿で一泊して朝早くかの豪邸に向かってみれば、城と見紛うような広大な敷地と厳重な警備に唖然とすることになった。
「ほええーーー。大きいおうちですねー」
 リュナが、屋敷を見上げてぽかんと口を開ける。
「王都の貴族並みですね」
 ライゼスの呟きに同調するように頷きながら、セラは門の前に立つ警備の者に話しかけた。門の左端と右端に一人ずつ、まるで城の門番宜しく立っている。私兵だろうに、纏っているのは同じ制服だった。
「少しいいか?」
 そのどちらにともなく、セラが声を上げる。怪訝な目を向けられたが、物怖じせずセラは続けた。
「ここで雇われている、クラストという人物に会いたい」
「ここの使用人なんて、いちいち把握してないよ」
 セラの言葉に応じて、否定的な返事が返ってくる。声を上げたのは、右側の門番だった。衛兵のような、ぴしっとした征服を着こんではいるが、やはり雇われ兵なのだろう。こちらが客でないのもあるだろうが、だるそうな態度を隠しもしない。
「ではここの主人に会わせてもらえないか」
「いきなり来てそう言われてもね……」
 気のない返事に、何と言ったものかと悩んでいると、リュナがちょこちょことその前に歩んできた。そして、懐から紙束を取り出し、門番に示す。
「依頼を受けてきました。賞金稼ぎのリュナです」
 何を言われたのか解らなかったのだろう。だが、彼女が発した言葉が徐々に彼らに浸透していくにつれ、彼らの口はおかしそうに釣り上がっていった。そして、最後には声に出して、二人の門番は笑った。
「い、依頼だって? お嬢ちゃんが? お使いじゃなくて?」
「ええ、依頼です。これあたしのライセンス。Aランクです。それでも信じられないなら、これギルドからの紹介状」
 言葉に合わせて、チャキチャキと紙束をしまい、ライセンスカードを出して、またそれをしまい、そして最後に封書を取り出す。ギルドの証文で封印されたそれを見せられ、門番は顔を見合わせた。そして、左の方がそれを受取る。しばし封書をためつすがめつしていたが、ふう、と息を吐くと、彼はそれを持って屋敷の中に消えた。とくに誰も言葉を吐くことなくしばし時だけが過ぎ、やがて門番が手ぶらで戻って来る。そして門を開けたまま元の位置に立ち、中を指し示した。
「入りな」
「ありがとう」
 まだ疑わしい顔をしている門番に、にこっと笑いかけながら、リュナが最初に門を通る。セラ、ライゼス、ティルの順でその後に続き屋敷に足を踏み入れると、白のシャツに黒いベスト、スラックスと、カチリとした格好をした男性が迎え出た。
「こちらへどうぞ。旦那さまが直接お会いになられるそうです」
 先に立って歩く彼に、そのまま一行が続く。広間を抜けて奥の一室の扉を開け放つと、彼は進路を譲った。
「ほう、これはまた――」
 リュナが一歩入るなり、中にいた初老の男性が歓声を上げる。それに驚いて、リュナは足を止めた。
「ああ、不躾に済まない。私がここの主、ドルフ・エズワースだ。――使用人のことは、普段はあれに任せきりだが、少女の賞金稼ぎと聞いて興味が沸いてね。直に見たくなった」
 この部屋まで案内してきた男を指して、初老の男性――エズワースが声を上げる。立ち止まったリュナと、その後ろに続くセラ達に座るよう促しながら、彼もまた腰をおろした。
「しかもAランクで、ギルドが紹介状を書くほどときた。実際に見て驚いたよ。私の娘と同じくらいじゃないか。だが腕が立つなら、娘の身辺警護にこれ以上の適役はいない」
 握手を求められ、慌ててリュナは腰を浮かすと、右手を差し出した。
「リュナです、ミスター・エズワース。宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しく頼むよ。少し我儘な娘だが」
 手を離すと、エズワースはセラ達の方へ視線を移した。
「君達も賞金稼ぎか?」
「いえ、そうではないのですが。私達も、こちらで雇って頂きたくて」
 そうセラが申し出るも、エズワースは困ったように顎下にたくわえた髭を撫でた。
「申し訳ないが、使用人の数がいささか増え過ぎてな……ギルドへの依頼も既に打ち切ったのだ。今のような事情があるので、リュナ君は雇おうと思ったのだが」
「――でしたら」
 難色を示すエズワースに、セラは逆に身を乗り出した。鋭い瞳が不敵に瞬く。
「何人でも構いません。この屋敷の警護をしている者と私を戦わせていただけませんか。その者全ての分、私一人で補ってみせましょう」
 誰も思いもかけなかったことをセラが自信満々にのたまい、ライゼスとティルが唖然とする。リュナは例によってきらきらと目を輝かせてセラを見つめた。そしてエズワースは、セラの闘志にのまれたように一瞬絶句したが、次の瞬間、弾かれたように笑った。
「――面白い! 解った。今手が空いているものを集められるだけ集めるぞ。君より体の大きい者も歴戦の戦士もうちにはいる。それでも構わないのか?」
 エズワースが脅すような口調でセラの目を覗きこむ。だが、セラは涼しい笑みを浮かべて頷いた。それを心底面白そうに見ながら差し出されたエズワースの手をセラが握り返す。
「セリエス・ファーストです。必ず満足させて見せましょう」