リュナの依頼 4



 ラーサの森は、レアノルトの南に広がる。東西に延びる大きな森だが、そのまま南下すれば旧ブレイズベルク領に出られる。しかし一歩外れれば野盗の巣窟になっているらしいことは、ギルドで得た情報だ。曰くそれは昔からのことで、未だ根絶には至っていない。してもキリがないらしく、ラーサの野党討伐の依頼がギルドから消えることはないそうだ。
「昔からそんな輩がいると言うのに、どうして王国に報告しないんだろう」
 リュナの話を聞いて、セラが素朴な疑問を上げる。
 ――ギルドを出てからは宿を取って一泊し、朝早くにセラ達はレアノルトを出ていた。夜に森に入るのを避ける為である。単純に夜の森が危険だというのもあるし、何より夜は野盗共の縄張りだ。明るい内の方が、こちらのメリットは多い。とはいえ、森に入ったとはいえ、アジトがどこにあるのか具体的には解らない。ずっと警戒しながら歩いていても神経がすり減るだけなので、セラは適当に会話をしながら進んでいた。
「ええと……ならず者がいるから、それを倒す賞金稼ぎがいて、街が賑わい、店が潤い、賞金稼ぎも職として成り立つ。必要な悪、ってギルドのおじさんは言っています」
 リュナがセラの問いに答える。それを受け、尚もセラは釈然としない声を上げた。
「だが、被害に遭う者もいるだろう」
 うーん、と唸るリュナに代わり、今度はライゼスが口を開く。
「そう言って騎士団が正義をふりかざして介入し、全ての悪を根絶すれば、彼らを倒すことによって生きている者から職を奪います。そうすれば、その人にとっては騎士もならず者と変わらないという訳ですよ」
「他の仕事を探せばいいだろう」
「そうやってしか生きられない人もいます。そして、そんな人にも守るべきものがあるかもしれません」
「……」
 淡々と語るライゼスに、セラはそれ以上の追及の言葉を失って、一瞬立ち止まった。だが一瞬のことで、皆がつられて足を止める前には再び歩き出している。
「私は余りに無知だな」
「無知を自覚する者は、少なくとも愚かではありません。――でも自覚してくれたなら、もう少し勉学に励んで下さいね」
「…………善処する」
 答えながらも表情を引き攣らせたセラに、ライゼスは小さく笑った。そして少し間を置いて、再び口を開く。
「いつも正しく優しいものなど無い。だから人は信念を持つのだと、そしてそれを貫くしかないのだと、母はいつも言っていました。それは正義を振りかざすよりずっと難しいことだと僕は思います。でもセラはそれができる人です。だから何も恥じることはありませんよ」
 優しい声の方を振り返ると、同じ優しさを讃えた瞳と目があった。少し気恥ずかしさを覚えながらも、セラも微笑を返す。
「……あのー……」
 それを割って、おずおずとリュナは声を挟んだ。割るのを申し訳なく思う気持ちを声にこめながらも、黙っているには逆方向からの空気が痛い。
「仲が良くて羨ましいですが、あまりお二人の仲が良いと、ティルちゃんが拗ねて困ります」
「……リュナちゃんは俺をなんだと思ってるワケ?」
 年下に完全なる子供扱いを受け、ティルは半眼でリュナを見下ろした。逆にリュナはティルを見上げて、悪びれず答えた。
「子供」
「…………」
 きっぱりと即答されてティルは脱力した。これが男に言われたのだったら喧嘩も買うが、相手がリュナでは喧嘩にして勝っても負けても情けないだけである。それに、現にリュナには情けないところばかり見られているので、返す言葉もないのが実際のところだ。なんとも言えない顔をしていると、セラの笑い声が耳に届いてティルは益々情けなくなった。リュナだけならともかく、セラからの評価までこれ以上下げるのはどうあっても避けたい。無言で耐えていると、リュナはさっさとターゲットを変えた。
「お姉様とライゼスさんはどういう関係なんですか? ずいぶん仲が良いようですけど」
 輝くリュナの目は何か含んでいるように見え、ライゼスは言葉を詰まらせた。だがセラはあっさりと一言で答える。
「幼馴染だ」
「小さい頃からのお友達ってことですか?」
「まあ、そうだな。物心ついた頃から一緒だった。家族みたいなものだ」
「素敵です!」
 ぴょん、と髪を跳ねさせて、リュナは胸の前で手を組むと、甲高い声を上げた。
 セラはといえば、何が素敵なのかが解りかねて眉根を寄せた。だがちょこちょこ動いてキャーキャー騒ぐリュナを見ていると、まるで小動物だなどと考えることに思考はあっさりと移っていた。見ていて飽きない点において、理解はできないが面白くはある。
 そんなセラの好奇の視線の先で、またリュナはくるっと表情を変えた。
「じゃあティルちゃんはお二人とどういう関係なんですか?」
「無関係です」
 今度は先ほどとは逆に、セラが言葉に詰まってライゼスが即答する。
「随分だな」
「適切だと思いますけど」
 すかさず睨んでくるティルに、ライゼスも睨みを返す。弾ける火花と呆れるセラやリュナを間に挟んで、二人の口論は続く。
「確かにお前とは無関係だよ」
「じゃあセラとどういう関係があるっていうんですか?」
 ライゼスにとっては、いつもの口論の延長線に過ぎなかった。だがいつも減らず口を返してくるティルが、それを聞いて一瞬押し黙った。そして、さらにほんの一瞬だけ、美貌が歪んだ。その表情を、彼の見せた隙を――ライゼスは目を逸らして見なかったことにする。
「――ねぇよ、別に」
 目を戻したときには、彼は笑っていた。いつものように、得体の知れない自信と余裕に溢れた笑みと、人を小馬鹿にしたような視線。
「だから今から作るんじゃねーか」
「何をですか」
 ティルがいつもの調子に戻ったことに、何故かはわからないが安堵の気持ちが過ぎる。それに気を取られて、ライゼスは思わず安易に突っ込んでしまった。突っ込んでしまってから、しまったと思う。だが思ったときには遅く、ティルはもう口を開いてしまっていた。
「既成事じツッ」
 慌てて殴りつけた拳はかろうじてティルの言葉を中断させたが、あまり意味はなかった。殴られておいて黙っているティルでもないので、そこからは必然的な殴り合いが始まる。だが、セラもリュナも口論が始まった時点で二人を無視していたので、意味がないといえば殴り合い自体無意味なことだとも言える。
 そんな騒ぎはどこ吹く風としたままに、セラはリュナへ返す答えを考え続けていた。
「……まあ、友達かな」
 結局それ以外の結論はだせなかったので、そのままそれを言葉に乗せる。
「長い付き合いなんですか?」
「そうでもないよ。割と最近」
「じゃあそんなに仲が良いってわけじゃないんですね」
 話しながら歩いていたら未だ殴り合っている二人と距離が開いてしまったので、仕方なくセラは足を止めた。小さく嘆息して、子供のような喧嘩をするライゼスとティルを見遣る。
「いや。色々助けて貰っているし、一緒にいてくれて感謝している。そうだな……ティルも、いなかったら困るな。二人とも私に必要な人たちだ」
 立ち止まり、セラは表情を緩めた。鬱陶しいと思うことすらあった幼馴染に、その実とんでもなく依存していたように――成り行きで一緒にいただけのティルも、いつの間にか傍にいて共に行動するのが当たり前になっていた。三人で一緒にいる時間は、彼らの下らない喧嘩に呆れている今この様な時でさえ、セラにとっては心地良いと感じられるものだ。
 二人を見つめるセラの表情は、呆れ混じりではあるものの、瞳は穏やかで温かい。それを少し羨ましく思いながら、リュナは微笑んでセラを見上げた。
 だが不意に――それとは真逆の、昏く冷たい気配が場を駆け抜けると、温もりは一気に奪い去られた。それと同時にセラは剣に触れていた。
 木々から差し込む木漏れ日も、鳥の囀りも、何一つ変わってないのに空気だけが違う。普通に暮らす者にはわからない変化だが、戦いに身を置いたことがあるならば、もしくはその訓練を受けたことがあるならば、至極簡単に解る変化。ぴり、と肌を撫でていく嫌な感覚。どこまでも冷たい、悪意ある感情。――殺気。
「ラス、ティル」
 鋭い声で、セラが注意を促す。だが目を向けたときには、殴り合っていた筈の彼らは既に身構えていた。のみならず、ティルが既に抜刀しているのを見て、セラも剣を抜いた。