隻眼の少女 3



 数刻後、無事ミーミアの街まで辿り着くまで、今度こそ沈黙が破られることはなかった。
 どう見ても体力などありそうにない小柄な少女は、道中一度も歩く速度を落とさなかった。だがそれだけで限界だろう。それはティルにしても同じことで、雨の中ぬかるむ道を、意識のない者を抱えて進むのは決して容易いことではないはずだ。二人共とても話をする余裕などないだろう。その為ライゼスもまた黙したまま、ただ歩いていた。それでなくとも、さすがにライゼスとて雑談をしながらという気分ではない。ティルが何かふざけたことをしないかだけは警戒していたが、終始彼は無言だったし無表情だった。この状況でふざけられても腹が立つだろうが、そんな態度だとそれはそれで調子が狂う。
 そんな足音と雨音だけの行軍を終えて到着したミーミアの街もまた、少しも場を明るくはしてくれなかった。そこかしこに騎士が配備され、酷く物々しい雰囲気だ。
「最近、何か事件があったみたいなの」
 街が見えだして、そこで初めて少女は振り返ってそんなことを言った。
「街に出入りする人を調査してるみたい。あたしは子供だと思われてあまり警戒されなかったけど、お兄さん達大丈夫かな……」
「調査……ですか」
 心配そうにこちらを見上げる少女に、ライゼスはやや顔をしかめた。その事件とやらの詳細は、よく知っている。むしろ、こうなる事態を引き起こした要因は自分であるとも言える。これもまた前の任務と関係したことだが、素性の知れない少女に話せるようなことではない。とはいえ、街に入るのに手間取るのは避けたい。ティルなら舌先三寸で潜り抜けられるのだろうが、今の彼にそれを期待するのも無理そうだ。
「……先に行って事情を話してきます」
 小さく息をついて、ライゼスは駆け足で少女を追い越した。そして、街の入口にいる騎士に二・三言告げて、戻ってくる。
「どうでした?」
「病人がいると言ったら簡単に話が通りましたよ。大丈夫です」
 概ね嘘だった。なので、じっと少女に見上げられて、冷や汗が出る。後ろめたい嘘でもないのに、まっすぐに見つめられると罪悪感がよぎる。元来嘘は苦手だった。だが、正直に自分の素性を明かしたなどと言っては、芋づる的に詳細を話さねばいけなくなる。ティルならともかく、その辺をうまく言いくめられる自信はライゼスにはなかった。
「――わかりました。それより今は早く休める場所ですね」
 心の声を聞かれたような物言いにどきりとするが、彼女の言うとおり、今はセラを休ませるのが先決であるので、頷いてその場はやり過ごす。
 宿に着くと、少女はてきぱきと店の主人に指示して湯と着替えを頼んだ。
「というわけで、あとはあたしに任せて、お二方は出てって下さい」
 部屋に入るなり、くるりとこちらを振り返り、きっぱりとそう告げる。しかしいくら少女とはいえ、今さっき出会ったばかりの者に――それもセラが倒れる元凶を作った者に、セラを任せるのはライゼスも気が進まなかった。ティルにしても同じようでそれに応じる素振りは見せなかったが、少女は構わずセラを降ろせと、目でプレッシャーをかけている。
 それに耐えかね、ついにティルは口を開いた。
「信用できない。俺が看る」
 だがそれはそれで聞き捨てならず、ライゼスもまた口を開く。
「僕は貴方の方が信用できません。それくらいなら僕が看ますよ」
 思わずそう言うと、冷たい視線と毒舌が返ってくる。
「俺だってボーヤなんか信用してねーよ」
「知ってますが、そういう問題じゃないでしょう! それに僕はセラの――」
 それを皮切りにいつもの口論に発展しかけ――
「やかましいです!!」
 それを裂く一言に、二人は口を噤んだ。誰の声なのか一瞬把握できず、互いに睨み合ったまま、目をぱちくりと瞬く。ようやく声の主に思い当って同時に振り向くと、凄まじい形相でこちらを見る少女と目が合った。
「喧嘩してる場合ですか! だいたい、お兄さんたちじゃ着替えさせられないでしょう!? 熱あるんだから、早くぬれた服かえないといけないし、体も拭かないとダメじゃないですか! だからとっとと出てって下さい! ホラさっさと下ろす!!」
 恐ろしい剣幕で叫ばれて、気圧されたようにティルが少女が指示したソファーへとセラを降ろす。ライゼスは硬直したまま動けなかった。
「大体熱があるのに雨の中歩かせるお兄さん達も悪いんですよ! その上喧嘩、疲れて当然です! だからあたしの魔法なんかに巻き込まれたんですよ。精神魔法がターゲット以外にかかるなんて、普通ないんです。その証拠にお兄さん達は平気だったでしょ?」
 今まで黙っていたのが嘘のように、少女の口には次から次へとぽんぽん文句が並べたてられた。そして、二人の背をぐいぐいと押し、部屋の外まで押し出しにかかる。入れ替わりに、宿の主人が着替えを持ってきたのを左目で見るや、
「着替えが終わったら呼びますから! それまで覗かないで下さいね!」
 だめ押しとばかりに叫ぶと、彼女は主人から着替えをひったくって扉を閉めた。