隻眼の少女 1



「精神魔法士(マインドソーサラー)?」
 今しがた口にした言葉の一部を、少し離れて歩く同行者が拾う。「ええ」とだけ返して、少年は目の前で次々に地面へと奔っていく雨の線にぼんやりと焦点をあてた。
 雨は静かに降るが、木々の葉を打って絶え間なく物悲しい音を奏でる。そして少し肌寒い気温と薄暗さは、否が応にも気分までをも暗くする。本来なら、外には出たくないような天気だ。だが長旅の帰途、そしてその予定が多分に押している状況であればそうは言ってもいられない。
 雨を避けるために目深に被ったフードを少し持ち上げ、少年は同行者を見遣った。彼との仲はお世辞にも良いとは言えない。だが、この陰鬱な空気の中を無言で歩くよりマシだと判断して話を振った。声を返してきたところを見ると彼も同じだったのだろう。そうでなければ無視されていたはずだ。
「伯爵の妙な力について、色々考えていたんですが。どうも、それに近いかと思うんです」
 話の内容は、概ね先の任務についてのことである――二人は共に騎士だった。否、正確には三人は、である。足元が悪い天候の中、それでなくても滅多に人など通らない森の中のぬかるんだ道には、三人分の足跡だけが残っている。
 ラルサの森。それが今彼らがいる地の名称で、大陸で最も広い領土を有するランドエバー王国の北方に位置する。そして彼らはそのランドエバー王国の騎士団に所属する騎士だ。だが「騎士だ」と断言してしまうと少々語弊がある。正確には「一応騎士だ」と言ったところか――そしてその、「一応」がついてしまう理由の筆頭は、黙して前を歩く者の素性である。
「現代では一段と希少になった非精霊魔法ですが、魔法というより特殊能力に近いですね。その名の通り、精神に働きかけるものです」
 その無言の背中を見るともなしに見ながら、少年は前言を補足した。
「精神に……人の心を操るってことか? 確かにアイツはそういう力も持ってたけど……悪趣味だな。好かねえ」
 すると、後方からは不機嫌な声が返ってきた。もう一度そちらへ視線を戻すと、彼もフードを持ち上げ、こちらを見た。その拍子に銀色の前髪が揺れ、その下からはやはり不機嫌そうな青の双眸が覗く。女性のように――というよりは女性にしか見えない、美しくも愛らしい容貌。それと粗野な言葉使いがちぐはぐな印象を醸し出すが、慣れてしまえばそれもどうということはない。というより中身を知ってしまえば、いくら美しくとも、そっちの印象の方が薄れてしまうというものだ。
「詳しいことは僕も知りませんけど、陛下のご友人にもいるようですし、一概に悪趣味とも言えませんよ。逆に伯爵の力が何であっても彼のしたことは許せませんし、その力がなんだったのかを解明したところで今さら仕方ないことかもしれませんけどね」
 それを最後に、再び場には沈黙が訪れた。ささやかな雨音と、ぬかるみを歩く足音だけがやけに大きく耳につく。
「…………」
 今まで会話を交わしていた二人は、顔を見合わせ――そして気まずそうに逸らした。それから一人の人物へと視線を向ける。四つの瞳に注視されても、当の本人は気づいてもいないようだった。ただぼんやりと歩みを進めるのみである。
「――本当に、どうしたんですか、セラ? ここしばらく、おかしいですよ」
 ついに耐えかねて、少年はフードを取り払い、セラと呼んだその人物の前へと回り込んだ。
 セラ――本名、セリエラ・ルミエル・レーシェル=ランドエバー。鋭い切れ長の瞳と腰に下がった長剣が凛々しい青年の風貌に見せているが、実際は十六の少女だ。そして、このランドエバー王国の王女である。『ランドエバーの守護神』と謳われた父王の剣才を余すことなく受け継ぎ、本人も騎士の道を強く志しながら、王女であることから正式な騎士としては認められなかった。それが「一応騎士」の理由となる。
 そしてそのセラと対峙した少年は彼女の側近であり、名をライゼス・レゼクトラという。騎士団長の父と、元王女親衛隊隊長の母を持つ騎士のサラブレッドでありながら、彼は全く剣を扱えなかった。それがライゼスの「一応騎士」の理由だ。
 最後に、少し距離を置いて二人の対峙を見守ってる銀髪の美少年――彼の「一応」の理由は少し複雑になる。リルドシアという小さな国に生まれた彼は、男でありながら姫として育てられた。その美しさから世界中の注目を集めるが、父王が姫を溺愛するあまりに狂い、内乱の末病死とされる。その一連の騒動がセラの初任務となり、その結果セラにベタ惚れしてしまった彼は、ティル・ハーレットという偽名で彼女と同じ部隊に志願したのである。
 その三人の訳ありの騎士を隔離した部隊が、ランドエバー聖近衛騎士団第九部隊だ。だから普段第九部隊に仕事はない。だがごくまれにおかしな任務が舞い込むことがあり、今回はその帰りだった。ランドエバー最北の村ノルザで任務を終えた三人は、うまく行商の馬車を捕まえ順調な帰途についていたが、強い雨がそれを阻んだ。舗装されていない道がひどくぬかるみ、馬車の通行を不可能にしたのである。あと森を抜ければ、舗装された街道と乗合馬車が出る町に着くという地点だっただけに、痛恨の雨ではあった。だが逆に、森さえ抜ければ王都は目の前になる。空に鎮座して動こうとしない雨雲といつ終わるかわからない睨み合いを続けるよりも、三人は徒歩で森を抜ける選択肢を選んだのだった。
 天候のいい日でさえ陽の光を遮る森は、雨であればなお暗い。だが、場を暗くしているのは主にそれが理由ではない。
 ノルザを発ってからずっと、セラがほとんど口を利かないことに理由はあった。
 ライゼスが耐えかねて声を上げたのはその為である。それでもとくに反応を示さなかったセラだが、正面に周られれば歩みを止めざるを得ず、ようやく彼女は顔を上げた。
「……何だ」
「何だじゃないですよ。どこか具合でも悪いんですか?」
「別に、普通だ」
 淡々と返されて言葉に詰まると、その彼をおしのけて、セラはまたさっさと進み始めた。取りつく島もない。
「どう考えても変です。いつもは外に出ると落ち着きない子供みたいなくせに」
「悪かったな子供で」
 独り言だったのだが、そんなところだけは聞き逃さずに刺々しい声を返してくる。ライゼスはこれ以上彼女の機嫌を害さないよう、ひとまず矛先を変えることにした。気になっていることは、他にもあった。
「だいたい、貴方も少し変です。いつもなら鬱陶しいくらいセラにまとわりついてるくせに、気にならないんですか?」
「まとわりついててもいいの?」
「ふざけないで下さい」
 茶化されてライゼスが険悪な声をあげる。いつもなら口論に発展するパターンに身構えるが、ティルはフードを直すとセラの後を追って歩き出した。やや拍子抜けしながらも、仕方なくライゼスもまた歩き始める。
「どーも、近頃避けられてるみたいだからさ」
 ややあって、ティルは小さく呟いた。怪訝に思って彼の方を窺うが、目深に被ったフードの奥に、表情が隠れて読み取れない。もっとも真正面から向き合ったとして、素直に感情を出すような彼でもないのだが。
「……セラに避けられるって。何したんですか貴方」
「さあな。それより、ボーヤの方こそ最近ぎくしゃくしてるみたいじゃないか。そっちこそ何かあったんだろ?」  問い返され、ライゼスは言葉に詰まった。返事に窮しても、それ以上ティルが追及してこないところを見ると、彼も聞き返されたくないのだろう。
 またも気まずい沈黙が訪れそうになったとき、前を歩くセラがふと足を止めた。
「……殺気」
 セラの呟きが走り抜け、ライゼスが表情を緊張させ、ティルが刀の柄に手をかける。息を止めるくらいに耳を澄ますと、男のがなり声が聞こえ、同時にセラは走り出していた。
「セラ!」
 呼び止めながら、だがそれが功を奏さないことはわかりきっているので、反射的にライゼスも走り出していた。迷いなく駆けるセラと、それを追うライゼスとティル、その三人を待っていたのは――
 全く場にそぐわない声と、聞きなれない呪文のような言葉と、そしてそれがもたらす予想だにしない出来事だった。
『ソウル・コマンド!!』
 どこか舌足らずの、幼く高い声が上がった瞬間、前を走るセラの体が途端に力を失い、ぬかるむ土の上に糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。