姫は誰のもの 5



 風化した古城には雪が吹き込んで、屋内までも白くその姿を染めていた。おちた天井から降り注ぐ陽の光を、その白が反射して光彩を放っている。その白銀と同じ輝きを放つ髪を風に遊ばせながら、ティルはぼんやりと城の前に佇んでいた。
 別に感傷に浸っているわけではなかった。むしろ、母にも憐れな伯爵にも、とくに何の感情も覚えなかった。美しいと言われた母。美に固執した伯爵。どっちにも興味はなかった。それでもここに来たのは、単に一人になりたかったからである。
 城を脱出してから既に三日が過ぎているが、ライゼスが思う以上に憔悴しており、いまだ出立できずにいる。本人は大丈夫だと言い張っているのだが、行きと違って帰りは魔法の馬ではない。時間がかかるし体力も必要だ。そう言ってセラが却下する、そんな口論を三日飽きずに二人は続けている。ティルとしては手持ち無沙汰であるし、正直見ていて面白くなかった。
 だから席を外したのだったが――ふいに気配を感じて、やや驚きつつティルは振り返った。
「……セラちゃん。どーしたの」
 白銀の雪に映えるアッシュブロンドに目を細め、ざわつく胸には目を瞑って、平然と聞いてみせた。彼の思惑など知る由もないセラは、いつも通りの顔で、いつも通りの声で返してくる。
「姿が見えなかったから。でも、ここにいると思わなかった」
「そお? なんで?」
 不思議に思って問い返すと、セラは少し言い難そうに口ごもってから、声を落とした。
「あまりこの件に関して、感傷とか持っていないように見えたから」
「いやそんなことないよ。俺今回頑張ったのに、セラちゃんがボーヤに付きっ切りだから、感傷に浸ってる」
 セラの言葉をティルは真面目な顔で茶化してみせた。正確には、本音をふざけた口調で誤魔化したのだが、やはり気付かないセラは慌てて詫びてくる。
「すまない。……礼を言おうと思って探していたんだ。今回の任務、ティルがいなかったら無理だった。ありがとう」
「じゃーなにかお礼ちょーだい」
 セラを覗き込むように身をかがめ、ティルは子供のような軽口を叩いた。呆れられるか断られるものと思っていたのに、彼女は真顔で頷いてくる。
「ああ。私にできることなら何でも」
「…………」
 何でもと言われ、思わず様々な邪念がティルの頭を過ぎった。だがそんなことは微塵も頭にないであろう、どこまでも真剣なセラの目を見ていると、咳払いしてそれをどうにか頭の隅へと追いやるしかない。そして、爽やかな笑みを取り繕う。
「冗談だよ。別にいい」
「でも……」
「いーんだ」
 だが、自分に言い聞かせるように繰り返しているうちに、強がりは本音に変わっていった。
「……いいんだよ。セラちゃんがそこにいてくれれば」
 会えない日々を思い出してみれば、本当にそれだけで充分だった。セラがいるだけで、自分の中の弱さや汚さ、後ろ向きな部分まで、熱にあてられた雪のように溶けてなくなっていく気がした。でもそれはきっと気がするだけで、彼女に会えなければ至極容易にそれらはまた顔を出してくる。もしくは、本当に雪のように、また降り積もって吹き荒れる。そのことを、嫌というほど思い知った。
 不思議そうにこちらを見上げるセラは、きっと何もわかっていない。――だから礼など意味がないのだ。欲しいものは、下さいと言って貰えるようなものではない。
 丘を吹き抜ける冷たい風が、下ろしたままの髪を巻き上げる。顔の前でばさばさと長い銀髪が遊び、ティルは鬱陶しさに顔をしかめた。それで、欲しいものを思いつく。
「……何か髪縛れるもの持ってない?」
「ああ……ごめん、ない」
「うー」
 すまなそうなセラの返事に、仕方なくティルは手で髪を束ねて押さえた。だがふと、別にもう伸ばす必要もないことに思い当たる。母と同じと、事あるごとに称えられた銀髪だが、ティルには鬱陶しいだけだった。見て欲しいのはそんなところではないのに、上辺が全て人の目を奪ってしまうから。
「……切ろうかな」
 刀にかかるティルの手に、セラの手が重なった。
「どうして? 綺麗なのに勿体無い」
「どうしてって……鬱陶しいし、この色嫌いなんだ」
「私は好きだ、ティルの髪」
 束ねた手から零れた一房の髪に、セラが触れる。そして微笑む。穢れなど何も知らない、どこまでも無垢な笑顔で。それだけでまた、わだかまっていた何かが簡単にほどかれる。乾いていた何かが簡単に満たされる。憎んできたものを愛せてしまう。
 嫌いで仕方なかった、母と同じで、父が愛し、自分が疎んだこの髪でも、セラが綺麗というのなら綺麗だと思えた。セラが好きというのなら、好きになれる。――理不尽なほどに。
「……ッ」
 その一瞬、ティルは確実に我を忘れた。驚きのこもった翡翠の瞳と視線がかちあい、はっとする。髪にかかった細い指を力任せに掴んでいたことに気づいて、それをほどき、そして恐らく睨みに近かったであろう表情を緩めた。きっと、怒ったと思ったのだろう。セラがおずおずと手を引いて、詫びた。
「すまない。気に障った?」
「いや。それよりやっぱお礼、貰っていい?」
 首を横に振りながらも、消しきれてない感情が、口を動かしていた。
「あ、ああ……でも何を」
 唐突な言葉に、セラは戸惑いながらも頷いてくれる。だが、言い終えるのは待てなかった。言葉半ばに開いたままのセラの唇に、強引にティルは唇を合わせた。何が起きているのか、おそらくは理解できていないのだろう。凍りついたように固まっているセラの体を抱き締めそうになって、慌てて離す。
「……。ごちそーさま。ボーヤには内緒ね」
 余裕などどこにもなかったくせに、余裕の笑みを浮かべてみせる。ティルはそんな自分を酷く客観的に見ていた。傷つけてでも手に入れると嘯いた自分が、確実に理性を蝕んでいる――
 ようやく事態を理解して、真っ赤になったセラに、咄嗟に背を向ける。これ以上彼女を見ていても、多分止まれないから、足早にその場を立ち去る。
「いよいよヤバイな、俺」
 湿った唇を舐め、ティルは自嘲気味に独白した。