姫は誰のもの 2



 一方大広間では、ティルとカルヴァート伯爵の戦いが続いていた。斬り込んだ刀が剣に阻まれ、跳ね飛ばされたティルが床にたたきつけられる。追い討ちで襲い掛かる剣を転がって避け、その反動で起き上がる。眼前に迫る伯爵の剣を再び受け止め、膠着になる。ティルはそれをすぐに流すと、間合いを取った。もうそれほど力が残っていない。
 だが、伯爵も無傷ではなかったし、余裕の笑みもなかった。肩も上下している。
「あがくではないか」
 それでも伯爵には軽口を叩く余裕があったが、ティルの方にはそれがなかった。疲労や痛みの為ではない。圧倒的な怒りと焦燥が理由だった。間をおかず、再びティルが斬り込む。相手の出方を待つ時間はなかった。ティルは先手必勝の一撃必殺を得意とする反面、正式に剣術を学んだことがないので持久戦は苦手だ。これまでなら逃走を試みただろう。だが、今それをすることは絶対にできない。ならば、攻め続けるしかない。それに、間を置かず攻撃することは、魔法の詠唱を阻止することにも繋がる。
「だがいつまで持つかな」
「うるさい黙れ」
 銀髪もドレスも白皙の肌も血で汚しきって、ティルは口の中にまで広がる鉄の味を、悪態と同時に吐き捨てる。
「友達を穴に落とされたのがそんなに不満だったかね」
「友達じゃねーよボケ。耄碌してんじゃねーのかクソジジイ」
 答えるのは面倒だったが、聞き捨てならないので毒づいてやる。言いつつ下段に刀を構えて、再びティルは床を蹴った。どこにそんな気力が残っているのか自分でも謎だった。だが手を休めることはできない。
「口が悪いな」
「真実を言ってるまでだろ。いくら取り繕っても貴様はジジイだ」
「私は若く美しい」
「言ってろよ阿呆。でも誰も認めねえぜ。だから母上も貴様の元を去ったんだ」
 今まで何を言っても動じなかった伯爵の表情に苛立ちを見るや、怒りや焦燥は次々に毒へと変化した。それを投げつける度に、伯爵の顔が怒りに歪んで行く。それとは逆に、ティルの顔には笑みが浮かんだ。
「いい顔だぜ! 美しくはないけどな!」
 挑発が通じたことに俄然士気が上がる。迎え撃つ伯爵は怒りに任せ、大振りの横なぎを繰り出してきた。それを態勢を低くして避けたときに、先刻落としたショールが目に入り、とっさに掴んで伯爵へと投げる。それが伯爵の視界を奪って虚を生み、その隙に乗じてティルの刀が閃き、ショールごと伯爵を切り裂いた。
「……ッ!」
 さすがにそれで致命傷を負わせることはできなかったものの、切り裂かれたショールの向こうで、毒々しいほど赤い血が伯爵の白い顔を伝った。
「やっとその気分悪ィ面に、傷をつけてやれた」
 疲労も忘れ、心底愉快そうにティルは笑った。伯爵から表情が消え、震える手を顔へ運ぶ。その指先がぬるりと血で濡れて――消えた表情は憤怒の形相へと変わった。
 雄叫びとも悲鳴ともつかぬ声をあげ、伯爵がティルへと切りかかる。受けた刀ごとティルは壁際まで吹き飛ばされた。その衝撃に息が止まり、激しい咳に血が混じる。
「お前の顔も抉ってやろうか」
 ぱっくりと裂けた顔に残忍な笑みを浮かべ、伯爵はティルの顔へ切っ先を当てた。その表情は凄まじいものがあったが、ティルは動じなかった。息を整え、涙を溜めて、カルヴァートを見上げる。
「酷いわ、アレクシス。私の顔を傷つけるんですの?」
「! フィア……」
 咄嗟に、カルヴァートは後ずさった。その彼を碧眼に映しこみながら、今度は童女のように、クスクスと笑って見せる。
「まあ。酷い顔ね、アレクシス。醜いわ。そんな貴方は――嫌いよ」
「――――――ッ!」
 ガラン、と。カルヴァートの手から剣が離れ、落ちる。崩れ落ちるカルヴァートと反対に、ティルは立ち上がり、その肩口めがけて思い切り刀を突き出した。
「おおおおぉぉぉぉッ!!」
 刀が、吸い込まれるように伯爵の肩に突き刺さる。そのまま気合と共に刀に体重を乗せ、ティルは伯爵の体を床へと押し付けた。
「き、貴様ァ……ッ」
「おいおい。愛する女は間違えないんじゃなかったのか?」
 無様にもがく伯爵を見下ろして、ティルは笑みを嘲笑へと変えた。そして、刀にかけた手にさらに力をこめる。
「ぐ、あッ」
「セラはどこだ」
 もうティルは笑っていなかった。狂わしいほどの殺気を感じ、伯爵が必死にもがく。
「い、いいのか。知らんぞ。貴様の仲間がどうなってもッ」
 その様子に、ティルはため息をつくと、刀から手を離した。一瞬伯爵が表情に安堵を浮かべるが、ティルが床に落ちた剣を拾うのを見て、凍りついた。その直後、ティルが躊躇い泣く逆の肩へと剣を打ちこむ。
「もういい、自分で探す。これは返して貰うぜ」
 ティルが剣から手を離し、再び自分の刀を握る。憎々しげに見上げてくる伯爵と目が合って、彼はもうひとつ付け加えた。
「友達でも仲間でもねーんだよ。ボーヤは敵。そしてセラちゃんは」
 そして、一気に刀を引き抜く。伯爵が声無き悲鳴を上げ、その返り血を浴びながら、嘲笑でも苦笑でもなくティルは穏やかに優しく笑った。
「セラは……愛しい愛しい俺の女だよ」

■ □ ■ □ ■

『光よ――我が、』
 ライゼスの詠むスペルが途絶え、そして苦しげな咳がその後に続く。
「ラス!」
 目の前に迫ってくる、少女の姿をした化け物を一層して、セラはライゼスの方に駆け寄った。背中合わせで戦っていたが、女の数がおびただしい。斬っても灼いても土から沸いてくるように次々と襲ってくるので、戦いは熾烈を極め、いつの間にか距離が開いていた。
「ラス、大丈夫か――」
「す、すみません。ちょっとつかえただけです」
「本当に?」
 荒い息をつくライゼスを見、セラは眉をひそめた。顔面が蒼白だ。大量に失血した後にこれだけ動いたのだ、大丈夫な訳がない。
「……強がっても仕方ないですね。もう、魔法はあまり撃てそうにありません。灯りを保つのが精一杯です」
 ライゼスもすぐに虚勢を張るのをやめた。片手で女たちをやり過ごしながら、セラが逆の手で今にも倒れそうなライゼスを支える。
「大きい魔法を使います。魔法を撃てるのはそれで最後でしょう。隙を逃さず退路を探って下さい。もし僕が倒れたら――」
「倒れるなよ。私はお前を置いては行かないぞ」
「セラ。いえ、姫。貴女が戻らなければ、ランドエバーはどうなるのです」
「国よりもお前の方が大事だ!」
 有無を言わさぬ口調で言ったつもりのライゼスが、逆に有無を言えぬことになった。睨むようにこちらを見るセラは、だが睨んでいるわけではない。国の重臣が聞いたら眉を顰めるような言葉だろう。王女として決して口にしてはいけない言葉だ。
 だからこそ。
「……じゃあ倒れません」
 印を切り終えた手をかざし、短く答える。
『光よ! 我が前に集いてその力を示せ――聖光烙印(ホーリーエンブレム)!!
 古代の言葉が光の力を呼び起こし、女たちを灼き払う。威力は長くは続かない。反動で脱力感が襲ってくるが、ライゼスは必死に耐えた。半ばセラに引きずられるようにしてだが、どうにか前に足を出す。
 女達は灰にしても灰にしても、死霊のようにまたどこからともなく現われ、襲い掛かってくる。それでも今の攻撃で多少の時間は稼げたはずだ。出口など見当もつかないが、何もせずに力尽きるよりはマシだとはセラも思っているのだろう。だが途中でライゼスはふと逃げる足を止めた。体力の限界が近い中、ほぼ惰性で動かしていた足を止めると、途端にがくりと膝が落ちる。
「立て、引きずるぞ!」
 それを力尽きたと思ったのだろう。腕が抜けるかと思うほど強く引っ張られ、ライゼスは慌てて声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って下さいセラ。力つきたわけじゃありません。う、上」
 ライゼスの言葉を聞いて、セラは足も足を止めると上を見上げた。腕をさすりながら、ライゼスも再び顔を上に向ける。ずっと上のほうだが、光が見える。明かりを消しても、周囲は仄かに明るかった。逃げてきた方も、先に延びる道にも、あれほどいた女たちの姿は見えない。
「あの、ゾンビみたいなやつら、ここには来ないみたいです。やっぱりアンデッドですから、光は苦手なんでしょう」
 確信を得てライゼスが説明すると、セラは安堵したように息をついて、剣を仕舞った。
「……こんな場所があるなら、もっと早く退路を探るべきだったな。無駄に消耗した」
「す、すみません。でもセラだって何も考えないで戦ってたでしょう?」
「私が考えるわけないだろう。考えるのはお前の仕事だ」
 開き直るセラにライゼスは呆れたが、言い争いをする元気など残っていない。それはセラも同じだったのだろう、しばらく腰を下ろして黙っていたが、ふいに声をかけてきた。
「そういえば、ラス。あんな光のないところで、よく魔法が使えたな?」
「……ああ」
 セラの疑問を受けてライゼスは顔を上げた。精霊魔法は、読んで字のごとく、精霊の力を借りて具現する魔法だ。精霊は元素に等しく、火があればそこには火の精霊の力が宿るし、光であれば、光源に宿る。普通であれば、光のない場所で光の魔法は使えない。並ならぬ力と才能を持つライゼスでも、光のないところで魔法を使うのが困難なことは、セラも知るところだ。
「やっぱり難しいですよ。でもセラが傍にいれば使えるみたいです。大体僕が魔法を使うときはセラが傍にいるんで、今まで気づかなかったんですけど――そ、その」
 急にライゼスが言い淀み、不審に思ってセラはライゼスに目を向けた。だが顔を逸らされる。
「?」
「あの、降りてくるときに気づきました。あの魔法は、もうだいぶ昔に滅びた飛翔呪(フライトスペル)の一種で、僕も今まで具現に成功したことはないんですよ。でも――」
「そうか。私が近くにいればいるほど、ラスの力は強くなるということか?」
 傷を治し終わるまでライゼスが手を離さなかったのを思い出し、セラが合点がいったように頷く。一方ライゼスは、どうにか沈まりかけていた動悸がまた激しくなって俯いた。あのときは傷が深くそれどころではなかったが、思い出すとどうにも恥ずかしい。
「陛下は剣聖として有名ですけれど、同時に光の精霊の守護を受けた光魔法の使い手でした。その血を引く姫も、守護を受けていておかしくありません。僕の魔法が強化されるのも、きっとその恩恵でしょう」
 それをごまかすように、自論を展開してみる。聞き流されると思ったが、それを聞いてセラは何かを思いついたように目を輝かせた。
「私が傍にいることで力が強まるなら、あそこから脱出できないかな」
 頭上の穴を指し、セラがそんなことを言う。
「さっきの――ええと、フライト……なんとかっていうの。飛ぶための魔法なんだろう?」
「か、簡単に言わないで下さいよ。本当は滅びた魔法なんですよ? さっきみたいに、落下速度を緩めるくらいが限度ですよ!」
 だがライゼスに否定されても、セラは諦めなかった。
「私が近くにいるほど、力は強まるんだろう? だったらもっと傍にいれば」
「え」
 言葉と同時にセラが動いた気配が伝わり、ライゼスはそちらを振り向いた。そして硬直する。すぐ、ほんのすぐ目の前にセラの頭があり、背に回った彼女の腕に、ぎゅっと力が篭る。
「……ダメ?」
 肌が触れ合うほど近くで見上げられ、ライゼスのあらゆる思考が停止する。その瞬間、ぐらり、と地面が大きく波打った。
「!?」
 不意を突かれた振動に、二人はまともに体勢を崩した。そしてそのまま成す術なくその場に倒れこみ――
「……何してんの?」
 セラを押し倒す格好になってしまって呆然としていたライゼスは、酷く不機嫌なティルの声で我に返ることになった。