白き村の吸血鬼 5



 急ぎ古城へと駆けつけたセラ達を出迎えたのは、剣がぶつかり合う音だった。誰もいない回廊をその音に向かって駆け抜け、開け放たれている大きな扉の前に立つ。そのセラの目に飛び込んできたのは、無防備に佇むティルと、今まさにその彼を手にかけようとする、美しい男の姿だった。
 助けに入るには距離がありすぎた。間に合わない、と頭が結論を出し、ぎゅっと心臓を掴まれるような感覚に襲われながらも、咄嗟にセラは叫んだ。
「ティル!!」
 できたことはと言えばそれだけだったが、それが思う以上に効を奏した。その瞬間、生気がなく虚ろだったティルの目に光が宿り、まるでスイッチが入ったかのように、隙だらけだった身体に闘志が宿る。セラですら見極めるのが困難な速さでティルの右手が動き、奔る剣閃が対峙する男の体を薙ぎ払う。
 そうして危機を脱したティルは、セラを見て嬉々として叫んだ。
「セラちゃん!!」
「ば、馬鹿! まだ――」
 敵からまともに注意を逸らしてしまったティルを見て、セラが慌てる。相手はまだ倒れていない。それどころか突き刺さるような殺気が、先刻より増してティルを捉えている。咄嗟にセラは横目でライゼスを見た。この遠距離で敵を止められるのは彼の魔法しかないだろう。しかし言わずとも既にライゼスは印を切り終えていた。
『光よ! 我が前に集いて、濁濁なるもの灼きつくせ!』
 ほとばしる眩い光が、殺気もろとも敵を吹き飛ばす。
「再会を喜んでる場合ですか?」
「俺はそーゆう場合だ!!」
 嫌味を言ったつもりが大真面目に即答され、ライゼスは顔をしかめた。だがさすがにティルももう隙を作ったりはしていない。吹き飛んだ相手の状態を見、そしてティルも渋面になった。すぐに伯爵は体勢を立て直し、セラ達の方を睨み付けている。あれで倒れてくれたかもしれないとは、都合の良すぎる考えだった。
「ううッ、熱い……この光……気分が悪い」
 呻く伯爵からは笑みが消え、表情には苦悶があった。首筋からは血が流れている――先ほどのティルの一刀を受けた結果だろう。しかしさほど大きな傷ではないところが、やはり油断ならない。
「ランドエバー王国聖近衛騎士団第九部隊のセリエスだ。王命により、貴様を拘束する!」
 セラが抜き放った剣をまっすぐ伯爵に向け、高らかに告げる。
「同じくライゼス・レゼクトラです。王都まで同行願います」
 そんな命令は一言もされていないと思いつつ、今それを突っ込んだ所で仕方なく、ライゼスもまたセラに続いた。そして、最後にティルが笑う。
「一応俺も同じくだ。ま、俺はこの場でブッ殺したいけどな」
 そう言って彼が刀を向ける頃には、だが伯爵の顔には既に余裕が戻っていた。
「王国騎士か。だが私は諦めん。フィアラに会うまでは」
 伯爵がにたりと笑う。剣を構えたセラが踏み込んだが、彼は動かないまま、ただ右手をセラに向けてかざした。
『闇よ……安寧の夜に堕つものよ。我が前に集いて深淵を見せよ』

「!」
 魔法だとすぐに気づけて咄嗟に回避に入れたのは、その動作がいつものライゼスのそれに酷似していたからである。だが、性質は真逆。すべてを飲み込んでしまうほどの漆黒の闇が、そのままセラが走っていたら直撃だったろう場所を包み込み、消える。
「闇属性の魔法……まだ使える人がいたんですね」
 ライゼスが呟くと、それに同調するように、伯爵も言葉を返す。
「同感だ。忌々しいほどの光。まるで『ランドエバーの守護神』のようだな。反吐が出る」
 伯爵が口にした言葉は、セラにとってこれ以上ない挑発だった。ギッと伯爵を睨みつけ、もう一度斬りかからんと床を蹴る。しかしまたも伯爵の口は呪文を紡ぎ、具現された闇によって進路を阻まれる。立ち往生を余儀なくされながらも、セラは伯爵を睨み付けたまま激昂した。
「陛下を侮辱するのは許さん!」
「吼えていろ、狗。私は王室は好まん」
 右手をかざして吐き捨てながら、もうひとつの殺気に向けて、伯爵が左手の剣をゆらりと持ち上げる。その剣が振り下ろされた刀を止めた。
「セラに手出しはさせない」
「ほう……、元気になったものだな」
 伯爵が目を細める。剣を持つ手がティルの刀に押されて震えた。それは、片手で受けているからというわけではないだろう。さきほどは取るに足らない力だったのに、と笑みを零して、伯爵はセラとライゼスの方に目を向けた。
『光よ、我が前に集いてその力を示せ!』
 ライゼスが詠んだスペルによって、闇と光の力がぶつかり、相殺されてどちらの力も消えかける。しかし伯爵もまたその力を強め、再び漆黒が広がる。広間を飲みつくしそうなほどの闇に、ライゼスに驚愕が走った。魔法の効果を途中で変えて、どうにか自分とセラだけは防御する。だがそれも長くもつかは怪しい。
 魔法には絶対の自信があるだけに、ライゼスは驚きを隠せなかった。魔法の力が衰退しつつある今、これほどの力を持つ者はもういないと思っていた。
「お前の光はたいしたものだ。私の闇でも敗れぬ。だがそれが限界の筈だ――だから、そこでしばし待て。今久しぶりに愉しいんだ。邪魔をするな。こいつを……フィアラの子を、私の贄にするまでな」
 心底愉快そうに伯爵が笑い、セラは気分が悪くなった。
「――貴様は、愛する者の大事な者を、大事にはできないのか」
 冷たく言い放つセラに、むしろ怯んだのはティルの方だった。伯爵はといえば全く動じることはなく、逆にわずかな隙ができたティルの刀を弾き飛ばし、ティルがバランスを崩して倒れる。
「ティル!」
「随分な綺麗事だ。そもそも、大事にするとはどうすることだ? どういう基準だ? それは誰が決める?」
 ふっと闇が消える。そして、伯爵がまっすぐにセラを見る。その瞳が危険に細まるのを見て、ライゼスが身構えるが、伯爵は淡々と言葉を紡ぐのみだった。
「大事なものであればあるほど、自分の意に沿わなければ傷つく。その存在が大きいほどだ。お前もそれは同じ筈」
 がくり、と。前触れなくセラが床に膝をつく。
「セラ?」
「やめろ!」
 ライゼスは咄嗟に状況が飲み込めなかったのだが、ティルは慌てたように叫んだ。さっき自分に仕掛けたものと同じだとわかったからだ。惑わせて相手を支配しようとしている。よくわからないが、伯爵にはそういう力がある。
 ティルは態勢を立て直して斬りかかろうとしたが、うまくいかなかった。セラでさえ手をこまねいたのだから当然といえば当然であり、今までの伯爵は遊んでいただけなのだと知ることになった。迂闊に近づけばやられる。伯爵の間合いから中に近づけず、ティルは歯噛みした。
「――お前にとっての大きい存在が、視えた。大きすぎる想いは、弱点になるぞ」
 伯爵の顔が歪み、ティルに戦慄が走る。セラを標的にする気だと察して、ティルは斬り込んだ。勝てる気はしなかったが、返り討ちにされるとわかっていても立ち止まることはできなかった。
「遅い」
 セラに視線をあてて、スッと伯爵がかざした右手を振る。途端――セラの足元から床が掻き消える。態勢を崩していたセラに成す術はなく、咄嗟に手を伸ばすが僅かに遅い。が、間一髪その手をライゼスが掴み、とりあえずは窮地を脱する。だが引き上げるまでには及ばず、そしてそちらに完全に注意が向いてしまったティルの隙を、伯爵は逃さなかった。
「く……ッ!」
 伯爵の一太刀をまともに浴びて、ティルがその場に崩れ落ちる。
「遅いと言ったろう。さあ――絶望の始まりを、お前にやろう」
くつくつと笑いながら、伯爵は踵を返した。背後に気配を感じながらも、ライゼスは動くことができない。
「離せ、ラス! 背後から斬られたいのか!」
 セラが叫ぶ。だがライゼスに応えられる余裕はなかったし、離す気もさらさらなかった。例えこれから何が起きたとしても、離すことはできなかった。
「うわあああ!」
 溢れる血も痛みにも構わずティルが立ち上がる。だが、その時にはもう、伯爵は剣を振り下ろしていた。ライゼスの背が鮮血を撒き散らし、そのままセラに引きずられるようにして、二人の姿は広間から消えた。