白き村の吸血鬼 2



 村は閑散としていて、宿の場所を尋ねようにも中々人が見つからなかった。しかし村の規模が小さいので、そう手間もなく見つけられた。扉を引くと、さびれた内装に出迎えられる。カウンターに人の姿はなく客などそうそう来ないのだろうことが窺えた。
「あの――」
 すみません、と奥に向かってライゼスが声を上げかけたのと、カウンターに女性が出てきたのはほぼ同じくらいだった。ライゼス達に気付いたわけではなく、たまたま出てきただけだったのだろう。セラとライゼスの姿を見て、女は驚いたように小さく呻き声を漏らした。宿と同じくらい寂れた印象の初老の女で、脅えに近い表情をしている。
「な、なんの御用でしょうか?」
 かすれた声で女はそんなことを聞いてきた。宿ならそんなことを聞くのもおかしい。
「ここは、宿ではないのか?」
「ああ、いえ。宿ですけれども。ご宿泊で……?」
「いや、すまない。そういうわけではないんだが、聞きたいことがあって」
「き、聞きたいことと言いますと」
 警戒の抜けきらない声で聞き返してくる。しきりに奥へチラチラと視線を走らせ、こちらと目を合わせようとしない。まるで今にも逃げ出したいとでも言うように。
気にはなったが、聞くことは聞いておかなければならない。女が本当に逃げないうちに、セラは口を開いた。
「長い銀髪で碧眼の、美しい娘が来なかったか?」
 その、セラの質問に。
 まるでそれが、呪いの言葉ででもあったかのように、「ひぃ」と小さい悲鳴を漏らして女は顔色を変えた。それと同時に、入り口の扉がけたたましい音を立てて開け放たれる。振り向くと、男が数人、険しい表情でこちらを見ていた。いでたちからすればただの村人だが、それぞれが手にしている刃物やら棒やらを見るに、歓迎しにきたわけではなさそうだ。ライゼスが表情を硬くする。
「……なんのつもりだ?」
 セラはとくに動かなかった。動きを見ても、彼らは戦えそうになかった。焦る程の状況ではない。鋭く問うと、先頭に立った男も質問で返してきた。
「お前たちは何者だ。何をしにきた」
「今言ったばかりだ。銀髪碧眼の娘を探してる」
「探してどうする。……まさかお前たち、王国騎士か」
 じろじろと探るような視線を投げてくる男の目が、セラの携えた剣に止まる。投げかけてきた問いには強い警戒がこもっていた。
「だとしたら、なんだ」
 セラは否定も肯定もしなかったが、唐突に男は、手にした武器を振りかぶった。
「セ……」
「手出しするな!」
 動きかけたライゼスを鋭く制し、それと同時にセラは剣に手を伸ばしていた。そして言い終える頃には、半分だけ抜いた刀身で、男の刃物をうけとめていた。
「お前たちが束になってかかってきても、私には勝てない。無駄な怪我をしたくないなら大人しく答えろ。ティルは、ここにいるんだな?」
 ぎりぎりと、男が武器を持つ手に力をこめる。だが、それを受け止めるセラの細腕はびくともしていなかった。
 力には使い方というものがある。力の込め方、受け止め方、受け流し方、いずれにおいても、訓練を受けた者と素人では全く違う。たとえ大人の男でも、ただがむしゃらに力を込めるだけでは御される気はしなかった。例え受け切れなかったとしても受け流せば良いだけのことで、セラにはそれだけ余裕がある。
しかし男の方は、明らかに自分より小柄な子供に競り負けているのだ。もう既に心が折れている。そこにセラの鋭い睨みと声が切り込むだけで、男は決して暖かくないこの場所で、汗を幾筋も流すことになった。
「退け。もう一度言う。私には勝てない」
 とどめは言葉だけで十分だった。男がその場にへたりこみ、手にした武器がガランと落ちる。
 その様子に、その後ろで今にも飛び掛らんばかりに構えていたほかの男たちが、どよめきと共に後ずさった。
「ティルに……、その銀髪の娘に会わせてくれ」
 剣を納めると、それ以上なるべく男らを畏怖させぬよう、なるべく穏やかにセラは頼んだ。誰もすぐには応えなかったが、根気よく待つと、ようやく先頭にいた男がぽつりと言葉を吐く。
「もう、いない」
 男の答えは、ようやく合流できるというセラの安堵を打ち砕くものだった。
「彼女は今朝方、伯爵に献上した」
「……どういうことだ。詳しく話してくれ」
 尋ねても男はへたりこんだまま、そして他のものはじりじりと遠巻きにこちらをうかがったままだ。このままでは埒が明かない。致し方なく、セラが腰の剣に手をかける。
「手荒なことはしたくないが……話してくれないというなら考えるぞ」
村人相手に気は進まなかったが、セラは考えうる限り穏やかな言葉で脅しをかけた。それでも男達に変化は見られず、セラがいよいよ困る。だが落胆するには早かった。男達には変化がなかったが、背後でわずかに気配が動いた。先ほどの女だ。
「もう――諦めましょう。私たちは罪を犯してしまったのですもの。滅びて然るべきです」
「何を……何を! われらが何の罪を犯したというのだ! それに、これが最後だった! 彼女さえ手に入れば、 伯爵は満足するはずだ!」
「何もしない罪ですわ。女たちを止めなかった。いえ、あの娘に至っては、自ら差し出したじゃありませんか」
 女が、カウンターの上にぼろぼろと涙をこぼす。それを見て、男たちが言葉を詰まらせる。彼らは納得したわけではないようだったが、ぴりぴりした雰囲気は消え、セラはそっと女の傍に歩み寄った。
「――私は王国騎士のセリエス・ファーストだ。悪いようにはしない、話を聞かせてくれないか」
 その手をとって優しく告げる。騎士と聞いて、女性の顔からはさらに色が抜けていった。
「あああ……」
 反対の手で顔を覆って泣き崩れる。それを見て、男は長く深い息をついた。そして、疲れ切った顔で重い言葉を吐き出した。
「……話すよ、騎士様よ。そしてどうにでもわれらを裁くがいいさ」
「裁くのは陛下だ。私は真実を知りたいだけ。だがその前に、お前たちが伯爵に献上したというその娘のことについて聞かせて欲しい。いつこの村に来た? 一人だったのか? 怪我はしていなかったか?」
その様子で、セラがよほど心配しているのがわかったのだろう。男はすぐに答えた。
「彼女が来たのは、三日前の夕方だ。一人だった。大分憔悴していたが、食事をして休んだら回復したようだった。怪我をしていたようには見えないな。……そういえば、誰か探していたようだったが」
 先ほどとは打って変わって、男の声は落ち着いている。腹を決めたのだろう。
「恐らく私達を探していたんだろう」
「いや、違うと思うが? 『可憐で清楚でこの世のものとは思えぬほど愛らしい少女と、小生意気な坊やの二人連れ』と言っていた。どっちもお前さんじゃないだろう」
「…………」
 セラがうっすら赤面し、ライゼスは半眼になった。
「間違いなくあの人ですね」
「それで見つかるわけないだろッ! 何故本人がいないところで社交辞令を言うんだ……?」
 頭を抱えるセラに、ライゼスがはあ、と息を吐く。別にライゼスもセラを男扱いするつもりはないが、人に聞いて探すのであれば、本人には悪いが凛々しい青年と言わせてもらう。主観より客観が大事だからだ。ティルとてそのくらいわかっているだろうに、どうやらセラのことになると頭の螺子が盛大に外れるらしい。だが遠まわしにセラに失礼なので黙っておく。ただセラが言うように社交辞令ではなく、本人は至って真剣だったのだろうことは何となく想像できて、ライゼスは嘆息した。
「まあいい。それで、何故その娘を伯爵の元へ連れて行ったんだ。本人は了承していたのか?」
 咳払いをして仕切りなおし、再びセラが話を進める。
「何故って、本人も伯爵に会いに来たと言っていたぞ。探している二人は護衛だと言っていた。だが吹雪ではぐれてしまって、二人の安否が気がかりだから無事がわかるまで待つみたいなことを言っていたな。だが、こちらとしては時間がなかった」
「時間?」
「あの娘の容姿が容姿だ。すぐに伯爵様の耳に入った。そして、すぐに連れてこいと。われわれがこの厳しい地で 生きていけるのは、伯爵様のお力のお蔭だ。逆らうことはできない。すぐにと言われればすぐに連れていくしかない」
 男は、諦めと自嘲の混じった声を、ため息と一緒に吐き出した。
「容姿……美しい娘だからか?」
「確かに伯爵様は美しい娘を集めている。そして、あの娘は恐ろしい程美しかった。だが彼女の場合、それだけではないだろう。――フィアラ様に瓜二つだったからだ。我々も驚いた」
「フィアラ……?」
 聞き覚えのない名前をセラが反芻し、男は頷いた。
「フィアラ・ハーレットという、銀髪碧眼の美しい娘だ……。彼女は二十年程前、この村に少しの間住んでいた。伯爵様の妻として」
「フィアラ・ハーレット。……ハーレット」
 また、セラが名前を反復する。だが今度はさっきとは逆で、その姓に聞き覚えがあったからだ。だが、どこで聞いたのか、誰の名なのかが思い出せない。
「……ラス。ハーレットという姓、聞き覚えないか?」
「いえ? 僕には思い当たりませんが」
「そうか。なんだか、ほんの最近聞いた気がするんだが……。気のせいか。話を止めて済まない、続けてくれ」
 ライゼスに視線を移したセラだったが、あっさり否定されたので、気にはなったが男へと意識を戻した。わからぬことを考えていてもしかたない。
「続けるもなにも、そのあんたが聞きたいと言っていた娘の話はそれで終わりだ。そういう理由で、伯爵様が強く ご所望になったので今朝方連れて行った。抵抗はしなかったぞ。……だが、そうだ。後で部屋を見たら、部屋の鏡が割れていて血が落ちていた。やはり寸前になって恐ろしくなっていたのかもしれないな……。可哀想なことをした」
 ぽつりと、男がそんなことを漏らす。だがライゼスは顔を歪めた。
「あの人に限って、恐ろしくなって自虐的になることはないと思いますが……」
「ラス、失礼だ。と言いたいが、私もそう思う」
 そう長い付き合いではないが、二人から見たティルという人物は、いつでも得体の知れない自信と余裕に溢れた人物である。怯えていたとするならば演技としか思えない。
「では伯爵のことを聞かせてくれ。吸血鬼とは本当なのか? 美女を集めているのは何故だ?」
「……」
 ここにきて、男は言い淀んだ。腹を決めたと見えたのに、それでも言い難いような事柄であるらしい。
「……私がお話します。吸血鬼かどうかは存じませぬ。ですが、伯爵は既に、人ではありません……人と言うには、あまりに人とかけ離れているのです」
 言葉を継いだのは、泣き崩れていた女性だった。まだ涙は止まらず、ところどころ嗚咽が混じっていたが、それでもひとつひとつの言葉ははっきりとしていた。
「フィアラ様に魅入られて、伯爵は人を捨ててしまわれました。ですから、吸血鬼と言われるのも無理からぬことです……。二十年前、もう初老に差し掛かっていた伯爵は、だのに日に日に若く美しくなっていきました――それと、美女を集めだしたのは同じ頃です。あらゆる財力を使って、伯爵はほうぼうから美女を集めました。そしてそれが王国に看破されぬよう、騎士をも抱きこんで、二十年近くも罪を重ねてきたのでございます。私達はそれを知りながらも、伯爵様のお力で村が潤うことを喜び、断罪など誰も頭になかったのです……」
 自責のこもった声で、涙ながらに女は言葉を連ねる。まるで懺悔をするように、震える手を組みながら。
「その、フィアラというひとは夫を止めはしなかったのか」
「伯爵が狂われる前にフィアラ様は村を去ってしまわれ、伯爵様は必死に探しました。ですが見つかったときには、もう彼女は手の届かぬ場所にいたのです」
「手の届かぬ場所?」
 想像がつきかねてセラが問うと、女は深く頷いた。
「もともとフィアラ様は、この大陸の者ではありませんでした。故郷があるファラステル大陸へと渡り、そこでど こかの国の王に見初められたとのことです。いくら伯爵様といえど、他国の王室には干渉できません。フィアラ様は王の寵愛を受けていたようですし、無理に取り返そうとすれば王の逆鱗に触れたでしょう」
女の言葉は、途中からセラの耳に入ってこなかった。そこに至るまでに、もっと重大なことを聞いたからである。
勢い込んでライゼスを振り返ると、彼も気づいたようだった。
「ファラステル……国王……。思い出した。ハーレットって……」
「どうでもいいので忘れてました。ティル・ハーレット……今のあの人の名前ですね」
 まさか本名を使うわけにもいかないので、現在ティルは偽名を名乗っている。その姓が確かハーレットだった。その由来など聞いたことはないが、偶然にしてはできすぎている。フィアラ・ハーレットがティルの母親で、その姓を使ったと考えるのが自然だろう。
噂という名の切れそうな糸が、しっかりとした縄になり、とんでもないところに引っかかったといった気分だった。