セラ、姫になる 4



 馬車は幌付きの大型のもので、前方には二頭の馬が鎮座している。幌を上げると、馬車の中から淡い光がこぼれた。
(魔法の光だ)
 光源を探し当てて、ライゼスが驚く。光は火ではなく魔法によるものだが、誰かが今魔法を行使しているわけではない。ランプのようなものから零れているそれは、おそらく魔法具と呼ばれるものだろう。魔法の力がこもった品というのは、魔法の力が衰退した今では恐ろしく高価だ。それに、先の聖戦の引き金になった古代秘法のように、恐ろしい力を秘めている場合があるので、安易に売り買いできるものでもない。この馬車と馬自体高級なものであるから、所有者の財力が伺えた。
 ともあれ、光があるので馬車内の状況は容易に把握できる。馬車の中には既に先客がいたが、彼女らの視線が、乗り込んだ瞬間一斉にこちらに集まった。そして、その視線がティルを捉えた瞬間に、明らかに場の空気が変わる。
「……?」
 その空気に、一瞬ティルが気圧される。だが、ティルがその理由を問う前に、彼女らはもう目を逸らしてしまっていた。
 馬車内部は、二人掛けの席が縦四列に設けられており、三人の女性が既に着席している。
「早く座ったらどうですか」
 後ろからライゼスにそんな声をかけられて、ティルは喉の奥で唸った。今、位置関係としてはティルが先頭にいる。そして、そのことをティルは激しく後悔した。
 前に二人の女性、そしてその後ろに一人、その隣は空席だ。そこに座れば、後ろの席にセラとライゼスが隣り合って座ることになる。だが、あえてそこを埋めずに後ろに座れば、次に座るライゼスは、セラがティルの隣に座るのを阻止するために自分の隣に着席してくるだろう。
「…………ッ」
 一瞬の間に様々な考察を終えて、ティルは断腸の思いで、既に座っている女性の隣に腰を降ろした。ライゼスの隣にいるよりは、まだ普通の女の子の隣の方がいい。それに、うまく立ち回って、怪しまれず彼女らから情報を集められるのも自分しかいないだろうと思った。彼女らが件の吸血鬼についてどれほどの情報を持っているかはわからないが、こちらが持っている情報はあまりに少ない。聞いてみる価値はある。
 しかしここまで漕ぎ着けることができたのは、どう考えても自分の涙ぐましい努力のお蔭であることを考えると、この仕打ちはないとティルは心の中で涙せずにはいられなかった。任務後、絶対に相応のお返しを要求することを心に決めつつ、隣の女性に話しかける。
「あの」
 だが声をかけると、彼女は避けるように逆側を向いてしまった。他の女性といい、こちらを気に掛けながらも避けている。その理由も気になって、ティルは少し言葉を選びなおしてもう一度話しかけた。
「……私、何か気に触るようなことしましたかしら」
 極力温和に話しかけると、ようやく彼女は少しだけ頭を動かし、こちらを向いた。
「いえ、別に……」
 光に映し出されたのは金髪に碧眼、白い肌という典型的なランドエバー人の風貌だ。ふんわりしたドレスに身を包み、貴族の令嬢のようないでたちをしている。好みはあるだろうが、まずたいていの人は可愛らしいと口を揃えるだろう。剣呑な空気までは消せないものの、どうにか口をきいてはくれるようなので、ティルは本題に入ることにした。
「そう、それなら良いのですけれど。……ここにいる方は、皆様ノルザに行かれるんですの?」
 ごとん、と馬車が揺れた。どうやらセラ達でノルザに行く女性は最後だったらしい、出発したようだ。声をかけた女は何か言葉を返そうと口を開きかけてはいたものの、急に馬車が動き出して、腰をおられる形になった。しばし沈黙が流れ、もう一度ティルが会話を試みようと唇を湿らせる――
「当たり前じゃないの。貴女もそのために来たんでしょう?」
 だが実際声を上げたのは、ティルの前に座っていた女性だった。頭だけでこちらを振り返り、あからさまな敵意とともに、不機嫌な声を投げつけてくる。やはり金髪で、隣の女性とはまたタイプが違った美貌をしていた。隣が気弱なお嬢様タイプだとしたら、こちらは高飛車な女王様タイプだ。少し視線をずらすと、斜め前に座る女性もそっとこちらを伺っていた。タイプ的には、隣のお嬢様美女に近い。
「やっぱりティルが一番綺麗だよな」
 後ろの席から彼女らをざっと伺って、ライゼスにだけ聞こえるように口に手を当てながらセラが小声で言う。返答に困る問いに、ライゼスは複雑な顔をした。
「……なんていうか、不条理ですね」
 ティルが聞いても全く喜ばないようなセラの感想は、やはり認めざるを得なかった。もし神がいるのなら、何故あの美貌を女性に与えなかったのか、ライゼスには疑問で仕方ない。途中で性別を間違えたのだとしか思えない。彼女らの敵意も、そこから来るのではないだろうかとライゼスは勘繰った。
「そこまで美しければ、そこから枯れるのはさぞ苦痛でしょうものね」
 なじるように刺々しい声を向けられても、ティルは表情を変えなかった。堪えているのではなく、女でないので、女の戦いを仕掛けられても受ける気にならないのが本音だが。
「あら、貴女も充分に美しいですわ。永遠の美など与えられなくても、貴女という存在が充分に魅力的ですのに」 にこりと笑って受け流す。
「あの人、何気に口説いてないですか……」
「あんな恥ずかしいことサラリと言えるあたり、さすがティルだよな」
 やりとりを聞きながら、ボソボソと後ろで二人が会話を交わす。だがそれを、女の金切り声が割った。
「白々しいことを! それとも私には永遠の美が相応しくないとでも言いたいの!? 大層な自信ですことね!」
 彼女の怒声と形相に、セラとライゼスがびくっと首を竦めた。はっきり言って怖い。正直ティルも少し怖かったが、どうにか表情は笑みを保った。
「ごめんなさい、そういうつもりではなかったのですけれど、気分を害されたなら謝りますわ。これからは皆、美しさを約束されるんですもの、仲良くしましょう?」
「あなた、知らないの? 伯爵様に永遠の美を与えられるのは選ばれた女性だけなのよ」
 見かねたのだろう、隣の女性がティルの袖を引いた。意外な話に、ティルは驚きをそのまま表情に出す。
「……そうなの? ええと、その、伯爵様って?」
「貴女、本当に何も知らないで来たのね。それに、その髪。どこからいらっしゃったの?」
 今度は斜め前の女性が声を上げる。見れば彼女も金髪だ。ランドエバー領内なのだから当然といえば当然のことで、セラ達を合わせても銀髪なのはティルだけである。
「私、違う大陸からランドエバーに留学していますの。その、ノルザの噂は、ほんとうに噂を聞いただけで、あまり知らないのです」
 あたらずさわらずな答えを返すと、憤慨していた女性も合点がいったのだろう、ほんの少し怒気を弱めた。
「じゃあどうしてこの馬車に乗ったの?」
「ミーミアの酒場のマスターに、乗るように言われたのです。詳しいことは教えて下さいませんでした」
「そう。あなたくらい綺麗だと、周囲の人だって放っておけないのでしょうね」
 諦めたように、隣の女性は息をついた。
「いいわ、教えてあげる。まず、この馬車が向かっているのはノルザのカルヴァート伯の城よ」
「カルヴァート伯……吸血鬼というのは、やはりただの噂なのですね」
「いえ、本当よ」
 前の二人はもうこちらを向いてはいなかった。ティル達の声だけが馬車の中に響く。
「カルヴァート伯はもう百年も昔からノルザにいるわ。いちばん美しかったときからひとつも歳をとらず、そのままの姿でね。本当よ。私の母も伯爵様に会いに行ったのだもの」
 信じられない、というティルの気持ちを読み取ったのだろう、彼女は念を押してきた。それならば、とティルが再び問いかける。
「お母様は永遠の美を手に入れたんですの?」
「多分」
「多分?」
「一度だけ手紙が来ましたけれど、母はそれきり帰ってきませんでしたから」
 何の感慨もなく、あっさりとそんなことを言う彼女に、だがセラとライゼスは顔を見合わせた。彼女が気にしてないにしても、聞いていて穏やかな話ではない。
「永遠の美を与えられる代わりに、与えられたものは一生伯爵様の城で彼に仕えるのですって。だからきっと母は選ばれたんです」
「それで貴女は良かったのですか? 母上が戻らず、伯爵を恨んだりはしなかったのですか」
 思わずセラが口を挟む。女はそこで始めてセラの存在を知ったというように振り向いた。そして気の無い返事を返してきた。
「どうして? 母が望んで行ったのだもの、母は幸せでしょう。むしろ、私を置いていって、自分だけ美を手に入れた母こそ恨みました」
 セラには理解できかねぬ論理に、何も言ぬままセラは口をつぐんだ。そしてティルもまたそれに倣う。これで大体のカラクリがわかってきた。
(要するにただの人攫いじゃねーか)
 黙ったったままティルは胸中で吐き捨てた。彼女達の話では、永遠の美を餌に美女を集めてハーレムを作っているだけの話に聞こえる。
 だが、それが何故今まで王国に看破されなかったのか。
 一抹の疑問を残したまま、ティルの思考は大きな馬車の揺れに止めさせられた。ノルザまではまだ相当な距離があるが、別の街で休憩するにしても早すぎる。
 他の女達も同様に考えたのだろう。ざわめきだす女達をよそに、幌が上がった。
 ――そして馬車の中の光が、幌を上げた人物と、その手に持った鋭利な刃物を写し取ると、女達のざわめきは悲鳴へと転じた。