セラ、姫になる 1



 ティルの記憶に間違いはなかったため、仕立て屋はすぐに見つけることができた。とはいえ、さすがに陽は黄昏色の光と共に山の向こうへ姿を消してしまっている。看板の下がった扉を押し開けると、屋内からはランプの優しい光が零れた。
 店の中に人の姿は見えず、あちらこちらに埃よけの布がかけられている。営業が終わっているのではないかとライゼスは危惧したが、ティルは構わずずかずかと中に入っていってしまった。セラもそれを追ったので、仕方なく、ライゼスも店の中へと足を踏み入れる。ミシン油のにおいが、つんと鼻についた。
「いらっしゃいませ。お仕立てですか?」
 奥から若い女性が姿を現したのは、すぐだった。女性の言葉にティルが口を開き、だが一瞬止まる。だが女性がそれを不審に思う前には、既に声を上げていた。
「仕立てて貰う時間がないから既製品で構いませんわ。ドレスを三着下さいな」
 ああ、と。その口調に、ライゼスはティルが一瞬迷った訳がわかった。恐らく口調を変えるか否か悩んだのだ。だが女性で通す方が無難だと踏んだのだろう。黙っていれば女に見えるのだから、わざわざ疑惑を深める必要などない。その上での演技だったのだろうに、それも空しく、店員の女は怪訝な顔をする。
「三着――ですか?」
 ティルの後ろへ視線を投げて、女は戸惑った声をあげた。だが、すぐに合点が言ったように、微笑みを表情に戻す。
「三着ともお嬢様がお召しになるのですね?」
「……」
 女の言葉に、ティルは渋面になった。後ろを振り返ると、恥ずかしさに顔を上げられないライゼスと、ほらね、とでも言いたげなセラが視界に入って、無償に苛立ってくる。その苛立ちのままに、勢いよくティルは、店員の女の方へ向き直った。
「フィッティングルームを貸してくださいな。あとお化粧道具も。その間に、ドレスを用意して下さいませ。特別な招待を受けてるんですの、思い切り上等なのを頼みますわ」
「か、かしこまりました」
 有無を言わさぬ口調で一息に言うと、気圧されたように女がこくこくと頷く。それを見届けもせぬうちに、ティルはセラの手を引くと、試着室へ向かった。セラもまたティルの勢いに目を白黒させながら、成す術なく引きずられていく。そして、ライゼスがその後を慌てて追った。
「ハイ、セラちゃん。マント脱いでそこ座る!!」
 入ってカーテンを引くなり、ティルが普段の口調に戻ってそう指図する。とっさにセラが反応できずにいると、ティルは意地悪い笑みを浮かべてセラに顔を近づけた。
「早くしないと俺が脱がしちゃうよ? ちなみにそれだと、マントだけじゃなくて全ブッ」
「何を言ってるんですか貴方は!」
 ライゼスに思い切り頭を殴られて、ティルの言葉は途中で途切れた。
「くッ、拳を使ってくるとは成長したじゃないかボーヤ。俺はまた焦がされるかと」
「ふざけるのも大概にして下さいッ! 何をするつもりですか!」
「別にやましいことはしないよ。だから早く座って。急がないと指定の時間に遅れちまう」
「う、うん」
 そう言ったティルの顔は真剣だったので、セラも素直にマントを外してティルが指した椅子に腰を降ろした。何をされるのかとびくびくしているセラの視界に、くすんだ金髪が流れていく。束ねていた髪がほどかれたのだと、それで気づいた。視線を上げて前に置かれた鏡をみると、そこからあれよあれよという間に長い髪が丁寧に梳かれて、綺麗に結い上げられていく。
「……器用ですね」
 予想だにしていなかった展開にセラがぼうっとしている間に、今度は化粧までもがティルによって施されていく。そんな様子を見て、ライゼスが思わず零すと、手は休めずにティルは苦笑してみせた。
「一応、十七年ほど姫やってるんでね。親父は普段、俺に人を近づかせなかったから、自分のことは全部自分でやってた。まあ当然といえば当然だな。着替えでも見られたら大変だし」
 思い返すように淡々と言うティルに、セラもライゼスも言葉を返せなかった。普段の態度を見ていると忘れそうになるが、ティルの生い立ちは複雑だ。女言葉も化粧も芝居も、好きでうまくなったわけでは決してないだろう。
「まーでも俺がやることって間違ったことばっかりなんだよね。俺は良かれと思ってやってても、必ずしも本人の為にはならないってわかってはいるのに、ついついやっちゃうから。姫を演じたりとか、人の宿題やったりとか、ね?」
 はっとしてセラはティルを見た。ティルもこちらを見ていたから、二人の視線がまっすぐかち合う。ふだんふざけてばかりいるティルの表情に、だけど今はいつものそれはなかった。
「……ティルは、優しすぎるんだよ」
「そうかな?」
「ああ。だから、もう甘えないようにする」
 少しの自嘲と共にセラが呟く。それと、試着室のカーテンが開いたのは同時だった。
「ドレス、何点かお持ちしました。サイズ直しはすぐできますから、お好きなものを……あら」
 ドレスを手に入ってきた店員が、セラを見て驚いたような声をあげる。男だと思っていたのだろうことが知れて、セラとティルは苦笑した。
「ではこちらのレディに似合う、とびきりのドレスを選んで下さいませね?」
「は、はい」
 ティルの言葉に押されて、女店員が持ってきた中からセラに合うドレスを見繕い始める。
「……俺のこと、イイ人だと思った? 今」
 それを見ながら、ティルは隣にいるライゼスにだけ聞こえるような声で囁いた。急な問いかけとその内容にライゼスが答えかねていると、ティルがくくっと笑う。
「ホラ、結局さ、なるようになったじゃん? リルドシア王家もゴミ掃除できたし、セラちゃんも自分で宿題やる気になったし?」
「ッ、貴方って人は……」
 結局、ティルの計算通りなのだ。それが嫌というほどわかって、ライゼスが呆れた声を上げる。だがそのときには既に、ティルはもうセラの方に歩き出してしまっていた。
「ホラ、ボーヤも一緒にいきたいならさっさと選びなよ? 大丈夫、女っていやぁ女に見えるよ、ボーヤは。ボーヤだから」
 そんな、全く嬉しくもない言葉を投げかけられて、やっぱりこの人とは合いそうにない、と強く思うライゼスだった。