新たな任務 2



 ヒューバートに連れられて、王の執務室に辿り着く。こともあろうに、ヒューバートはノックもせずに扉を開けて、ライゼスは父親に殴りかかりたい衝動を王の前だからと必死で押し止めていた。当の国王には全く気にする様子はない。いや、少し苦笑はしたか。
「お呼びでしょうか、父上」
 きらきらした目で見上げられ、ランドエバー国王アルフェスは、再び苦笑させられることになった。
「任務だと聞いた途端にまぁ、生き生きと。誰に似たんでしょうねぇ」
「……僕に似たと思うのか?」
 肩を竦めたヒューバートに、アルフェスがぼそりと返す。誰が見ても、無鉄砲で跳ねっ返りなところは母譲りだった。ちなみに、顔の造りはというと父の方にそっくりで、造形だけでなく、アッシュブロンドもアイスグリーンの瞳も、分け合ったかの如くまるで同じ色だ。いくら素性を隠しても、ランドエバー国王を知るものなら彼女に国王の面影を見てしまう。
 ともあれ任務ということで、俄然輝きだした娘の瞳を見下ろしアルフェスは話を始めた。
「ちょっと気になる噂を聞いてね。ただの噂かもしれないから、そんなに期待されると気が引けるんだが」
「いえ。わかっています。まっとうな任務なら九部隊には回ってこないでしょうから」
 言葉を濁した王に、セラは諦めに似た笑みで返した。だが、諦めのなかにあって、瞳の輝きには何のかげりも見られない。そのことに、アルフェスもまた心の中に諦めの笑みを落とす。王女なのだから城の中で大人しくとまで言うつもりはないが、親であればやはり戦いに身をおいて欲しくはない。それでもセラを見ていると、たった一人の跡継ぎでなければ立派な騎士になっただろうとそんなことを思わずにもいられない。アルフェスがそんなことを考えていると、不思議そうにこちらを見上げる娘の視線とぶつかった。考え込むあまり、すっかり黙り込んでしまっていたことに気付いて、慌ててアルフェスは言葉を継いだ。
「ああ、すまない。それで、今回行って欲しい場所なんだけど。ランドエバー領内の最北、ヴァラド地方のノルザ村だ」
「ヴァラド……ですか? あの万年雪に覆われている」
 アルフェスの言葉を受けて、領内の地理に明るいライゼスが口を挟む。
「ああ。近頃その雪深い村に関して……、あまり楽しくない噂があるようで。北から少しずつ噂が広がり、ついには城下まで届いたわけだが」
 噂、噂とその単語ばかりが言葉の端々にのぼる割には、なかなか王はその内容を口にはしない。言いよどむ彼を不審に思いながらも、セラは単刀直入に聞いた。
「それで、その噂というのは何なのですか」
 問われ、アルフェスはなんとも言えない表情で、同じような表情のヒューバートと顔を見合わせた。だがすぐにセラ達の方へ向き直る。
「……吸血鬼が、いるらしいんだよ」
『は?』
 王の前だということすら一瞬忘れた、ライゼスとティルの素っ頓狂な声がハモった。同時に九部隊にこの任務が回ってきた理由も理解する。そんなお伽噺のような噂だけで軍は動かせないだろう。その心情を読んだかのように、アルフェスが補足した。
「あまりに突拍子もない話だから、軍を動かし辛いというのもあるのだけどね。ノルザのような人里離れた村は排他的だ。国の介入も嫌う傾向がある。だから、それとなく探ってきて欲しいんだ。君達なら、警戒も最小限に済むだろうし、それに噂を聞いてノルザ村に行く者たちにも紛れやすいだろう」
 最後の言葉に違和感を感じて、ライゼスは眉根を寄せた。
「村に行く……者達ですか? 吸血鬼に会いに?」
「なんでも、若い女性に永遠の美をもたらすとかいう話でね。まあ実際に永遠の美を手に入れたという話は聞かないけれど」
「ますますお伽噺ですね」
 胡散臭そうにライゼス。黙ってはいるものの、ティルもまた似たような心境だった。セラだけが、噂の内容を聞いた瞬間さえも、全く表情を変えていない。
「その真偽を確かめてくればいいのですね」 「ああ。無茶や軽率なことはしないよう。必要ならば改めて討伐隊を出すから」
 何か言いたげなセラを遮り、ライゼスがその言葉に返答を返す。
「わかりました。私が責任を持って、軽率なことはさせません」
「頼むよ、ラス」
 苦笑しながらアルフェスが念を押す。
「それにティル、君も。セラを宜しく頼む」
「そうそ、気をつけなよ。なんでも美女は危ないらしいからね」
 ヒューバートが横槍を入れる。双方に対して、ティルは頭を垂れた。
「お任せ下さい。吸血鬼だろうが何だろうが、お美しい姫様には指一本たりとてこの私が触れさせません」
 大真面目にそんなことをのたまうティルに、ヒューバートは困ったように頬を掻いた。
「いや……、姫は大丈夫だと思うんだよね。むしろ君の方が心配だと思うけど」
「父上!」
 何気にセラに対して失礼な言葉を吐く父を、ライゼスが強く嗜める。だがセラはといえば、気にしていないどころかほとんど聞いてもいないようだった。そわそわした様子で、既に退室しようと扉に手をかけている。まさに居てもたってもいられない、という様子だ。
「ではさっそく行ってまいります」
 言うなりほとんど飛び出すように退室していくセラに、ライゼスが慌てて一礼して続く。
「ティル」
 さらにそれに続こうとしたティルを、呼び止めたのはアルフェスだった。
「何でしょうか」
 退室しかけていた足を止めて王に向き直り、半端に開いたままの扉を、少しの逡巡の後に閉めた。
「ヒューに聞いたが。君の剣の腕はなかなかのものらしいな」
 そんなことを言われ、ティルは横目でヒューバートを見た。
 正直なところ騎士になりたかったわけではないのだが、ティルは騎士の登用試験を受けていた。騎士隊長立会いのもとでの実技にも通っている。腕だけ見れば、エリート集団と言われる第一部隊でも遜色ないと言われていたが、彼が志願したのは第九部隊だった。先の一件で正規騎士になるのが難しいことはわかっていたし、そもそも最初からそれが彼の目的だった。
「……滅相もございません。隊長や陛下からみれば稚拙なものです」
「謙遜するねぇ」
 別にティルにとってみれば謙遜でもなんでもなかったのだが、ヒューバートがそう言って茶化す。だがヒューバートをして謙遜だと言わせたことに、アルフェスは改めて興味深げにティルを見やった。
「ちょっと不思議でね。姫として育てられた君がどうやって剣を覚えたのか。……いや、答えたくないのならいいんだ。深い意味があって聞いているわけじゃないから」
「いえ。暗殺者に対抗するために覚えさせられただけです。姫でないことが明るみに出るのを恐れて、護衛もつけてもらえなかったので」
 あっさりと答えた彼の声も表情も、今までとはなんら変化はなかった。だが彼の凄惨な境遇に、アルフェスもヒューバートも言葉が出なかった。だが一瞬のことだ。ティルが同情されて喜ぶような人間ではないことぐらいは見てわかる。
「……そうか。いや、ヒューが君のことを、センスはいいんだが所々粗が目立つのが惜しいというものでね。もし君が強くなりたいと望むなら、騎士隊の訓練に参加してくれて構わないと言いたかったんだ。流派は違うだろうけれど、マイナスにはならないと思うよ」
「お心遣い、ありがとうございます。任務から戻りましたらそうさせて頂きます」
「強くなりたいんだ?」
 突然にそんな言葉をヒューバートが投げかける。その意味が理解しきれずティルが戸惑いを浮かべると、彼はすぐに言い直してきた。
「いや、さっきの言い方だと、好きで戦ってるわけじゃなさそうだったから」
 何も考えていないようで、さらっと核心を抉ってくる。要注意人物だな、と心の中でこぼしながら、ティルは彼の方に顔を向けた。
「自分の為に強くなるのは限界だっただけです」
 今はそうじゃないですから、そう言ってティルは微笑んだ。