ティルの選択 5


『リルドシアの姫、急逝』

 そう大きく見出しがついた号外を、セラはぼんやりと見ていた。既にリルドシアを出てスティンに入っていたが、どこの国でもトップニュースのようである。詳しく記事を読んでみると、姫の死の原因は病であること、そしてその死によって王が臥せってしまったこと、そして次期国王は第二王子レイオスが最有力候補であることが書かれていた。
「……結局、レイオス王子の計算どおりって感じですよね。あの人最初から狙ってたんじゃないですか?」
 声を上げたのは、横から覗き込むようにして記事を読んでいたライゼスだった。セラも同感ではあったが、返したのは曖昧な相槌だけだった。浮かない顔の彼女を見て、ライゼスも口を噤むと、馬車の中には馬の蹄の音だけが響いた。

「……って。なーーーんでそんなしんみりしてんだよ?」

 ばさり、と急に号外を取り上げられて、セラはぱちぱちと目をしばたいた。空になった手を手持ち無沙汰に遊ばせて、号外を奪った人物に視線を投げる。
「だって、ティル……これで良かったのかなって。ディルフレッド王子やセデルス王子はどうなったのかわからないし」
「うん、これで良かったの。全部まぁーるく収まったの。ディルフレッドとかなんてどーでもいいの。セラちゃんが気にすることはなぁーんにもないのっ」
 くしゃくしゃと号外を丸め、ぽいっと投げる。それをセラが目で追うと、狙い済ましたかのように、ライゼスの頭にぽこんと当たって落ちた。
「……今、狙いましたね」
「被害妄想ってやーね!」
 ホホホ、と口元に手をあててわざとらしくティルが笑う。その様子が冗談にならないほど似合っているのだが、今のティルはもう女物の服は着ていなかった。男物のジャケットとスラックス、長い髪は後ろで一つに束ねている。
「女の振りしても、その格好じゃ気持ち悪いだけですよ」
「ふふん、誉め言葉と受け取っとくよボーヤ」
 ふんぞり返ったティルをまじまじと見ながら、セラもうんうんと頷く。
「ティルって着やせするんだな。最初に見たときは女の子にしか見えなかったのに、よく見たらラスよりも腕太いや」
 ぐさ。という効果音が聞こえた気がして、ティルはライゼスを見た。本当に何かに刺されたかのごとく、腹を押さえてうずくまる彼を見て、あちゃー、と呟く。
「まあ、あれじゃん、ボーヤは成長期がまだ来てないだけだって、うん。てか、なんでボーヤは剣やんないの? そこそこいい線行くと思うけど」
「なんでそんなこと思うんですか? 母上から、素質がないから絶対剣に触るなって言われてるんです」
「ふむ、なるほど」
 ということは、ライゼスの親は、ライゼスの暴走癖を知っている可能性が高い。しかも剣に触るなということは、ライゼスの人格が変わるきっかけは、やはり剣にあるようだ。本人が自分の暴走癖を知っているのかどうかかまをかけてみたのだが、どうやら知らないようである。セデルスたちを一掃したことが記憶に無いようなのでそうだとは思っていたが。
「なるほどって、どういう……」
「ま、俺が着やせするならセラちゃんは見た目より小柄だよね。ハグして思った〜」
 追及してくるライゼスに構わず、ティルが話を変える。はぐらかされたとわかっていても、無視できずに、ライゼスは呻いた。
「なんですって……?」
「ああ、いや、それは計画を伝えるために――ラス、聞いてるか?」
 ありがとう、と言われて抱きしめられたあのとき、耳元で囁かれたのだ。これから何があっても、作戦だから止めるなと。そうは言われていても、レイオスが首を振ったときは肝が冷えた。だが王が気を失うと、レイオスはすぐにティルの止血を始めたので、セラもすぐに冷静になれたのだ。その後ライゼスの魔法で一命を取り留めたティルは、ランドエバーへ亡命することになった。
 大部分気を失っていたライゼスに、セラはその間のことを補足したが、聞いている気配がない。それでもめげずにフォローを入れようとするセラだったが。
「悲しいなー、あれも作戦だと思ってたんだ? じゃーもっかいハグ〜」
 ティルが逆に油を注ぐ。向かいの席からセラににじりよってくるティルを、ライゼスは思い切り突き飛ばした。
「貴方を回復させたのは間違いでした!」
「別に俺も、ボーヤに回復を頼んだ覚えはねぇよ!」
 ラスが叫べば、突き飛ばされて頭を打ったティルもまた、こめかみに青筋を立てて叫び返す。ギャーギャーとまたも喧嘩を始めた二人を尻目に、セラは小さく欠伸をした。止めるのも面倒になり、放っておくことに決める。
「――っと、ちょっとストップ。セラちゃんが寝ちゃったよ」
 慌てたようなティルの声に、ライゼスは喉元まで出ていた怒号を押し留めた。小さく嘆息して、自分のマントを外してかけてやる。二人が対立する原因もセラなら、団結できるのもセラのことだった。セラを起こさないための休戦協定が成立し、またしばらく馬が走る音だけ馬車の中に響いた。
「――貴方の怪我」
 不意に、ライゼスが声を上げる。セラの眠りを妨げないよう小さな声だったが、ティルは彼の方を見た。
「作戦だったのなら、急所を外すことくらいできたでしょう。あと一瞬遅かったら失血死でした」
 ライゼスの口調は他愛ない世間話をするようで、答えを求めてきているようなものではなかった。というより、答えは既に知れているのだろう。セラが本当に眠っていることを確認して、ティルは唇を湿らせた。
「ああ。ホントに死ぬつもりだったよ」
 相変わらず重いことをさらりと軽く言う人だ、とライゼスは嘆息した。
「けど、それにしては凄い回復力でしたけどね」
 嫌味っぽく言うと、言い返してくるかと思ったティルは「はは」と笑った。
「ちょっと未練ができちゃったんだよね」
「未練?」
「うん。俺、本気で惚れちゃったみたい」
 ガタン、と馬車が揺れる。誰に、なんてのは愚問だろう。窓枠に頬杖をつくティルは、ずっとセラを見つめたままだ。
 絶句するライゼスに、ティルは片目を瞑ってみせた。
「まあ正々堂々戦おうぜ、ライゼス」

■ □ ■ □ ■

「暇だなぁ〜……」
 ひとけのない騎士宿舎の食堂で、セラは大きな欠伸をした。他の騎士は、それぞれに仕事や訓練で出払っている。宿舎にいるのは第九部隊、即ちセラとライゼスの二人だけだ。
「暇ならお部屋にお戻り下さい、姫。昨日サボられました授業を今から始めてもらいましょう」
 大真面目にライゼスが言うと、セラはぱっと目を逸らした。
「い、忙しいなぁ〜」
「とてもそうは見えませんけどね」
 とってつけたように言い直したセラを見て、ふぅ、とライゼスは息をつくと、読んでいた本に目を戻した。すると、ふわりと真横に気配を感じた。
「それって、面白いか?」
 頬が触れそうなくらい間近で、セラが本を覗き込んできて、ライゼスは体を強張らせた。

 ――正々堂々勝負しようぜ、ライゼス。

 急に頭の中で、ティルの言葉が響き渡る。それをライゼスは、両手で自分の髪をぐしゃぐしゃとかき回してかき消した。
(あの人、勘違いしてる。僕はセラのこと、そんな風に思ったことないのに)
 そう思いながらも、何故だかティルにはそう言えなかった。
「そういえば、どうしてるかな。ティル」
 口にしていないのに、セラが急にその名を出したことと、すぐ目の前で彼女が振り返ったことで、ライゼスは叫びそうになった。それでもどうにか平静を装って言葉を返す。
「そ、そういえばあれ以来、ぜんぜん顔を見せませんね」
 ライゼスの言うあれ以来、というのは、ティルと共にランドエバーへと帰国して、国王に報告を済ませたときのことだ。彼の処遇はランドエバー王に委ねられることとなったのだが、その後どうなったのかをセラは知らない。
「元気だといいけれど」
 セラの呟きは、後半激しい音を立てて開いた扉の音にかき消された。同時にライゼスが渋面になる。
「やぁ〜お二人さん。暇してる〜?」
「父上! 扉は静かに開けて下さい!」
 ライゼスの抗議を無視して、ランドエバー近衛騎士総隊長、ヒューバートがずかずかと宿舎に入ってくる。
「や〜、今日はめでたい報告があるんだよね〜。なんと、九部隊に新入隊員だ!」
『はあ!?』
 セラとライゼスの声がハモる。

 ランドエバー王国近衛騎士団第九部隊。
 それは、諸々の事情により、他のどの部隊にも所属できない者の部隊だ。そこに連なる名前は、王女でありながらも騎士の道を強く望んだセラと、その側近であり、騎士隊長を父に持ちながらも騎士団唯一の魔法使いであるライゼスの二人だけだった。今までもこれからもそうだろうと思っていた二人の思考を打ち破り、ヒューバートはにこやかに手招きする。
「ティル、入ってきていいよ〜」
 その名前に、セラはぱっと顔を輝かせ、ライゼスは顔をひきつらせる。
「というわけでぇ、今日付けで第九部隊に入ったティルでーす。宜しくお願いしまーす!」
 現れた銀髪碧眼の少年は、満面の笑みでVサインを出したのだった。