セラとライゼス 2


 周囲に人の気配がなくなったのを確認して、若者は声を上げた。
「いい加減に姿を見せ――」
「なんで、人気のない方向に行くんですかっ! 危ないでしょう!?」
 低く発した言葉は、怒鳴り声に阻まれた。その声を聞くなり若者が渋面になる。そして負けじと叫び返した。
「お前が尾けてくるからだろうっ!」
 びし、と若者が指差したのは、短い金髪と、リラの花びらのような紫色の瞳をした、魔法使い風のいでたちをした少年だった。魔法が失われつつあるこのご時世からすれば、やや珍しい装いと言える。
 実は若者にとって、この少年はよく見知った者であった。そしてほぼ同い歳である。だが若者の凛として大人びた風貌に対して少年がそんな風であったから、見た目の歳の差はだいぶ開いてしまっていた。
 ともあれ、指さされて詰め寄られ、少年はさぁっと青ざめた。
「またそんな汚い言葉遣いをして! だいたい貴方は――」
「ああああ……」
 くどくどと始まった少年の小言に、若者は頭を抱えてしゃがみ込んだ。その肩がふるふると震える。
「だから、私は陛下に申し上げたのですよ。一人で外出させるなどもっての他ですと――」
「やかましいッ!!」
 ついに耐えかねて、若者は立ち上がり、叫んだ。
「いいか、ラス――いや、ライゼス。私は正式に、陛下の命を受けて動いているんだ。れっきとした任務なんだ。分かったか? 分かったら早く城に帰れ」
「いや、陛下は止めたんですよ。なのに、ひ――」
 怒鳴られてもまけじとライゼスは言い返す。しかし、ある『呼称』を口にしそうになったところで鋭く睨まれ、言葉を止めた。切りかかってきかねない目だった。
「――セラ様が、勝手に飛び出していったんじゃないですか」
「様は必要ない。敬語もだ」
 ぶっきらぼうに言われ、ライゼスが大きな溜め息をつく。
「じゃあ、セラ。一緒に城に帰ろう」
 言われたとおり、ライゼスは敬語を使うのを止めた。若者――セラの機嫌をとって言うことを聞いてもらうためだったが、セラはあっさり首を横に振った。
「嫌だ」
 実にあっさりと拒否される。しかしライゼスもまた、引かなかった。
「じゃあ、僕も行きます」
「なんだ、その『じゃあ』っての言うのは!」
 セラにとって、ライゼスの言葉は予想していたものではなかった。
 どうせしつこく止めてくるだろうから、どうにか言いくるめて、無理なら撒いてでも、この国に置いくつもりだった。しかし彼が口にしたのは、「ついてくる」という言葉だったのである。
「僕にも任務があるんですよ」
「……なんの」
「あなたのお守りをしろとの陛下の命です」
 咄嗟に言葉を失うセラに、ライゼスは幾分表情を緩めた。
「確かに、今回の任務あなたが適役です。止めたいのが本音ですけど、セラが行くというのならもう止めません。陛下も同じ気持ちでしょう」
 ライゼスの言葉に、セラは安心したように息を吐いた。だがすぐに表情を引き締めると、彼をキッと睨みつける。元々目つきが鋭いので、ちょっとでも睨まれるとかなり凄まじい形相になる。
「――だが、私はお前のお守りなど必要ない。城へ帰れ」
「いーえ、必要です! さっきだって、そう路銀も多くないのにリンゴなんか買わされちゃって、しかも洗いもせずに食べたでしょう!?」
「洗わずとも死にやしない! お前の、そういう過保護すぎるところが私はイヤなんだ!」
 睨みにも怯まず叫んだライゼスだったが、再びきっぱりと拒否されて、一瞬言葉に詰まった。少し傷付いたような目に、セラは少し言い過ぎたと内心では反省したものの、それを口にすることはしなかった。
「ラス、お前が心配してくれるのには感謝しているけれど、私はもう子どもじゃない。自分の事は自分でできるし、自分の身は自分で守れる」
「……セラが強いのは知っています」
 セラの父は、大陸を越えても名が通っているほどの英雄だった。その才能を余すことなく受け継いだセラ自身の剣の腕も、歴戦の戦士顔負けであるということはライゼスも良く知っている。
 過保護なのは彼も自覚していた。しかし、セラが自分よりはるかに強いことを分かっているから、くだらないどうでもいいことばかり心配することになって、煩わしいと思われるくらい過保護になってしまうのだ。
 ライゼスは、ぎゅっと両手を握り締めた。
「……わかりました。口出しはしませんから、同行させて下さい。僕はただ」
 真摯な紫の瞳に見つめられ、セラは言葉に詰まった。
 直感的に負けたと感じた。
 セラに負けず劣らず、ライゼスもまた頑固である。そしてひたすらに純粋なのだ。だから結局、過保護だと思っても、彼の言葉を無碍にできない。
「ただ、貴方を守りたいだけです」
 もとよりセラも、本当に彼が煩わしくて帰れと言ったわけではない。ただ、気持ちの優しい彼を、危険かもしれないことに巻き込みたくなかっただけだ。だがそれを言えば却って彼を傷つけることくらい、セラにも分かっている。
 真っすぐにこちらを見つめてそう言われると、セラも頷くしかできなかった。