8.


「……報告は、以上です」
 ランドエバー王城執務室にて、ライゼスは突き刺さるような三対の視線を浴びながら、淡々と言葉を切った。そう長く話し続けたわけでもないのに酷く喉が渇く。声が掠れないか危惧したが、一度も掠れはしなかった。
 剣術大会が終わった日から三日目の夕方になる。窓から差し込む光は黄昏色をしていた。机に向かって座ったアルフェスが大きく息を吐く。その隣にエレフォが、机にもたれるようにしてヒューバートが立っていた。そのいずれも表情は重い。
「先ほど、リルドシア王の訃報が発表された」
 口火を切ったのは、エレフォだった。ライゼスが報告書から顔を上げて、そちらに顔を向ける。
「そのようですね」
「……本当に病死だったのか?」
 単刀直入に切り込んでくる母の、その瞳はいつにも増して鋭い。物心がつく前から、この目には何度も威圧されてきた。だがそれに萎縮するほど、ライゼスももう子供ではない。
「ええ。というか、衰弱死かと」
 一切表情を動かさず、ライゼスが答える。
「外傷はありませんでした(・・・・・・・・)。二年も寝たきりだったのを突然長旅などすれば、無理もないでしょう」
 エレフォが、ライゼスからヒューバートに視線を移す。
 ヒューバートはライゼスに情報を伝えた足で、ラディアスの元へ向かった。二人がスラムにたどり着いたときに見たものは、既にこと切れていたリルドシア王と、意識のないセデルスとティルだった。セラとリュナがティルの介抱をしていたために、その場でも状況説明をしたのはライゼスだ。
「オレが到着したときには、もうリルドシア王の息はなかったからなぁ」
「私も同じようなものですよ。ただ、今しがた報告した通り、セデルスと戦ったのは私です。ティルに引き合わせる代わりに自分を王家に戻すよう王と取引したと見られますが……」
「それなら、王が死んでは目的が果たせないのではないか。セデルスがリルドシア王の命を蔑ろにするとは状況的に考えにくくなるが?」
「セデルスはティルを殺そうとしていました。ティルが死ねば取引は成立しなくなります。そもそも今リルドシアで実権を握っているのはレイオス王子ですし、リルドシア王を懐柔したとしても追放を解くのは無理があるのでは? そうすると、むしろセデルスの目的は、最初から二人の殺害だったのかもしれません」
「……全て憶測にすぎんな」
「いえ、セデルスがティルを殺そうとしていたのは確かですよ、だから私が応戦したわけですし。それは姫も見ているので、姫に聞いてもらっても構いません」
 憶測だと切り捨てるエレフォに対して、ライゼスは食い下がった。まあまあ、と二人の応酬をヒューバートが割る。そしてライゼスを見下ろした。
「お前がそう言うならそーなんでしょうよ」
「ええ。今までに一度でも、僕が誤った報告をしたことがありましたか?」
 いつもの薄ら笑いを浮かべる父に、いつも通りの仏頂面で息子は答える。
「わかっているよ、ラス。私は君を全面的に信じている」
 いつも通りギスギスとした親子のやりとりを、アルフェスは柔和な笑みで遮った。そちらを見ずに、ライゼスが軽く頭を下げる。
「で、ティルの容態は?」
「傷は癒えておりますが、意識はまだ戻っておりません。父の死、実の兄に殺されかけたことを思えば、精神的負担はかなりのものでしょう」
 そうか、とアルフェスが思案するように相槌を打つ。ライゼスはそこでようやくアルフェスの方を向くと、「ですから」と続けた。
「意識が戻っても、彼に事情を聞くのはしばらく時間を頂けませんか?」
 エレフォは顔をしかめたが、アルフェスはふっと笑みを戻した。
「わかった」
「陛下……」
「そう睨むなエレン。いずれにしろ今回の件、こちらに落ち度はないだろう。できれば……陛下とはもう一度、ちゃんと話ができていればとは思うが。致し方ない」
「またそう甘いことを言う。落ち度がないならば、セデルスの身柄は引き渡すべきではなかったのでは?」
「追放されていたとはいえ、レイオス王子にとって実の弟だ。私達が彼を裁けば、リルドシア王家に禍根を残すことになりかねない」
 セデルスもリルドシア王の亡骸も、ラディアスの手引きによりリルドシアへと渡っている。ラディアスがレアノルトに滞在していたこと、彼やレイオスの対応が迅速だったために、大きな騒動にはなっていない。
「それについてはオレもチビ姫も容認したからな。さすがにもう追放で済ますなんて甘いこたぁしないだろうし、恩は売っておくに越したことはないだろ?」
 ごく珍しいヒューバートの反論を受けて、エレフォもようやく押し黙る。
(……ま、迅速すぎるとは思うがな)
 ラディアスはともかく、事件からリルドシア王の訃報が出るまでのレイオスの手際は良すぎると言えなくもない。ランドエバーだけでなく、リルドシアにも大きな混乱は見えてこない。とはいえ内乱が起きる前からリルドシアはレイオスの采配によって動いていたため、おかしなことと言えなくもなく、ヒューバートはその引っかかりを胸の中だけに留めた。――それよりもおかしなことと言えば。
「しかし、君たちは不思議な関係だな。仲があまりよくないと噂で聞いていたが」
「私のことですか? 立場上、良くなりようもないと思いますが」
 ヒューバートの心中を述べるかのように、アルフェスが苦笑する。それに対して当人であるライゼスは気にするでもなく、変わらず淡々とした声色で答える。しかしアルフェスの表情が気まずそうになるのを見て、失言を悟った。
「……済まないな。セラが我儘ばかり言って」
「いえ、そういうつもりでは……、それがなくても、もともと馬が合わないので」
「なら、なんでそんなに気にかけてやるのさ? それは姫のためじゃないの」
 アルフェスの前でする話ではないと、ライゼスは渋面を父に向けた。だが、この際なので訂正しておく。
「……違いますよ。でも別に彼のためでもないです」
「じゃ、自分の為に嫌いな人物に情けかけんの、お前? ストイックにも程があるだろ。哲学じみてて俺にゃ理解できねえよ」
「そんな小難しい話じゃありません。いけませんか? 嫌いな友人がいては」
「…………」
 ヒューバートとエレフォが揃って溜息をつき、アルフェスがクスリと笑った。ライゼスが咳払いをして、一同が居住まいを正す。
「……恐れながら、私は元第九部隊長でした。姫も殿下も元部下に当たるわけです。守ろうとしておかしくないかと思います。では」
 そそくさとライゼスが退室すると、足音が消えるのを待ってヒューバートは噴き出した。
「ククッ……変わったんだか変わらねぇんだか。あいつほんっとエレンそっくり」
 その彼の言葉が終わらぬうちに、エレフォは抱えていた資料の束をヒューバートの顔面に投げつけた。
「こらこら、夫婦喧嘩なら帰ってからにしてくれ」
「お前の夫婦喧嘩を食ってきたオレに随分なお言葉だな」
「たった一度のことをさもいつものことのように言うんじゃない。……と、ふざけている場合でもないな」
「わかってるなら若い奴らを甘やかすのはやめろよな。お前の悪い癖だぞ」
 薄ら笑いを張り付けたまま、ヒューバートが目を細める。冗談のようでいて、その裏で腹を探ってくることこそ、無二の友人であるこの男の悪癖だとアルフェスは嘆息した。
「安息の次世代を渡すことが僕らの務めだと思っているだけなのだけどね。あの頃は戦さえ終わればと思っていたんだが……」
 独白のようなアルフェスの言葉に、エレフォが黙って紙束を拾い、ヒューバートは肩を竦めた。